お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「ロータリーバス」・・・回顧してます。

2005年01月25日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
缶を開けると、ムクムクとアイスシャーベットが出てくるものがあった。僕が小学校低学年の頃の事だ。棒が二本突き刺さったアイスキャンデーも、「お得感」があって、好きだった。まだ、コカコーラの自動販売機がお金を入れるとドアが開き、ロックが外れ、ビンを引っ張り出す形式のものだったし、パーコレーターでジュースを循環させ、紙コップで飲む形式の自販機も存在していた。鉄道の切符も、「最短区間」だけしか買えない機械があったり、印刷の文字のインクが手に付くという厄介なものもあった。バスに車掌がいる場合もあったりして、時代は「人間」と「機械」の過渡期だったのかもしれない。列車の行き先表示も、丸や四角の看板を終着駅でかけかえていた。路面電車などは、終点に着くと、車掌が「電線から電気を取るポール」の方向をひっくり返していた。大阪の市街地には、まだ、ロータリーバスが走っていた。ロータリーバスと言っても、今の人には分からないだろう。「バス」と「電車」の中間的存在なのだ。つまり、「走る経路の上の電線から電気を取って、走るバス」なのである。従って、電線の無いところは走れなかった。電線から電気を取る以外は、普通のバスだった。なんで、ロータリーバスという存在があったのだろう。今でいう「省エネ」かなぁ。父の持っていた「定期券」が、羨ましかった。大人が持つものだと思っていた。フジテレビの「夜のヒットスタジオ」が始まると、親は「子供の時間じゃないから、寝なさい」と必ず言った。そんな時代だった。
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「監督」の快気祝い

2005年01月25日 | 健康・スポーツ
新宿ゴールデン街で知り合った「監督」が癌になった。店のマスター、始め常連一同、心配していた。そしたら、一昨日の夜、自宅にマスターから電話がかかってきて、「監督」の癌は消滅したとの事。まことに喜ばしい。2月に入ってからの「監督」の快気祝いのお誘いだった。「監督」は、入退院を何度か繰り返し、その間も「お酒」を飲み続け、マスターの話によると、「監督」は「お酒で癌を治した」と言っているとのこと。元気な監督の姿を早くみたい。
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「テレビ局の看板」を背負うな!

2005年01月25日 | テレビ
「テレビ局」だから、それが顕著に見えてしまうのかもしれないが、「会社の看板」で仕事をしている社員が多い様に思う。男性も女性も。「○○テレビ」という「看板」を取り外した時、この会社で、何人の人がフリーで通じるかと思うと、心もとない。僕が言いたいのは、「テレビ局」に就職したのだから、その職種をちゃんとこなし、サラリーマンとして、サラリーを貰えるだけの事はして欲しい。それに、僕自身でいうと「妻子を食べさせていく」為という一つの大切な役割がある。それは、どこの会社に勤めていても、同じ事である。
僕が腹立たしく思っているのは、「私(俺)はテレビ局員だから、偉いんだ」という態度で、取引会社の人と接する人だ。相手は「○○テレビ」という看板をその人が背負っている限り、逆らえない。「○○テレビ」の看板を外して付き合え、と言っているのではない。フラットに同じ人間として、会話できないのかなぁ、という僕の想いである。見ていて、恥ずかしい。「強きに弱く、弱きに強い」というのを目の当たりに見せられるのは、嫌だ。テレビ局にも、「派遣」や「業務委託」の人達がたくさん入っている。その人達との差別感も無くして大切にして欲しいなぁ。場合によっては、「派遣」や「業務委託」の人の方が社員より、よく働くのだから。だから、僕は「仕事をしない社員」を見ていると、とても腹が立つ。
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「砂糖」と「塩」はいつできたか?

2005年01月25日 | エッセイ・日記・意見
「砂糖」は、サトウキビか、砂糖ダイコンから取れる。「塩」は、岩塩か、海の塩を使う。この「甘い」調味料の代表である「砂糖」と、「塩辛い」調味料の代表である「塩」は、いつ頃から誰が使い始めたのだろうか。サトウキビを食べているうちに、その「甘いという成分」を何とか、それだけ抽出しようとしたのだろうか。岩塩をなめているうち、料理に使おうと思ったのだろうか。太古の四大文明の時代から、どちらも使われていたのか。例えば、海の幸の獲れるところでは、「魚の生臭さ」を消す為の工夫、或いは、保存しておく為の工夫として、塩が試され、成功をおさめたので、以後、使われる様になったのかもしれない。「砂糖」より、塩の方が使われる機会は多かったのかもしれない。じゃあ、「さしすせそ」じゃないけれど、醤油やソースはどのようにして出来たのかも興味深い。
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「お酒」「覚せい剤」「タバコ」の起源は・・・

2005年01月25日 | お酒・焼酎・ウィスキー・ワイン
初めて、「お酒」を飲んだ人は誰なんだろうと、考えました。なにか(葡萄とか)が偶然発酵して、自然にワインになり、それを飲んで「気持ちが良かった」ので、昔の人が作り始めたのではないでしょうか。日本でも「どぶろく」のようなお酒が平安時代には飲まれていたようですから、これも「コメ」が特殊な状況で発酵して、できたものが「どぶろく」になったのでしょう。ここまでは「醸造酒」の話です。「ウィスキー」や「焼酎」は「蒸留酒」です。「ウィスキー」などは何年も「シェリー酒の入っていた樽」に入れて、「熟成」させます。これは一体、誰が始めたのでしょう。日本では、サントリーの創始者・鳥居さんが欧米から、その「作り方」を学んできたという事ですが、アメリカの「西部劇」を見ていると、すでに「ウィスキー」の様なものをガンマン達がバーで飲んでいるシーンが有ります。どなたか、お酒の歴史に詳しい方、教えて下さい。
南米・ペルーには、コカの葉から「コカ茶」というお茶を作ってみんな飲んでいます。高山で働くインディオにはこの「コカ茶」が必要なのです。高いところで働くという事は「空気が薄い」ので疲れやすいです。「コカ茶」を飲む事で、「元気」にさせてくれるのです。「コカ茶」の原料であるコカはもちろん、コカインとか、覚せい剤の原料です。「覚せい剤」は誰が作ったのでしょうか。南米のインディオが「疲れが激しくて」、コカから「もっと元気になる成分」を抽出しているうちに出来たのかもしれません。
タバコはどうでしょう。かのコロンブスがアメリカ大陸にタバコを伝えたという事実がある訳ですから、ヨーロッパでは中世にすでに、タバコは作られていたのかもしれません。フランスの香水の様に、最初は「体臭」を消す為に作られたのかなあとも思います。海外の小説を読んでいると「嗅ぎタバコ」や「噛みタバコ」というものが20世紀の初めの頃には流行っていたそうで、いろんな形でヨーロッパで、タバコの開発がなされていた可能性もあります。
お酒は、僕にとっても必要不可欠なものですが、覚せい剤やタバコは「人類の快楽の追及の果て」にできたものではないでしょうか。お酒も含めて。いろんな視点で、歴史を考えるのも面白い事だと思います。
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「一通のメール」で泥酔してしまいました。

2005年01月25日 | インターネット
昨夜は泥酔してしまいました。「たった一通のメール」が僕に与えた影響は・・・缶ビール2本とチューハイ2本。「コメント」をを頂いたAPさん、ありがとうございます。おっしゃる通り、100人いれば、考え方も100通りあるのですね。極力、気にしない事にしました。「メール一通の、人に与える恐ろしさ」を感じました。「僕の出すメール」も含めて。昨夜は午後11時には寝てしまったので、寝不足が解消され、今日は元気です。何にでも、少し「敏感」に感じてしまうのも善し悪しですね。東京は快晴です。陽光を浴びて元気を蓄えよーっと。
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