僕が父にパソコンをするよう勧めたのは、五年位前であろうか。或る日、出張で大阪に行った時には、「パソコン」が実家においてあった。「新し物好き」は遺伝である。父も文章を書くのが好きだから、結構満足していた。まだ、電話とパソコン、電話線を引っこ抜いて使っていた頃の事である。実家に行くたびに、いろいろパソコンについて聞かれ、僕も面倒くさがりなので、結構生返事ばかりしていた。ある年の三月初め、父からメールが来た。初メールである。イラストが入っていて、数日前の僕の誕生日の「お祝いメール」だった。すぐ電話もかかってきて、「メール送ったんだけど、届いたかな」との確認。いつの間に勉強したのだろう。ワープロの時もそうだったが、僕は説明書を読んで、できないと放り出してしまう悪い癖がある。父はそのワープロの説明書を丹念に読んで、使い方を習得し、文章も打てる様になり、逆に僕が使い方を教えて貰った。僕はイラスト付のメールを作る事は今もってできない。父からメールが来て、半月後、父は入院し、翌年、逝去した。あの初メールが最初で最後のメールだったのだ。男と言う生物は、新しい家庭を作っていくという事が必要だ。だから、母親と娘の様に、一緒に買い物に行ったり、出歩いたり、食事を共に外でしたりしない。恥ずかしいのである。今、うちの次男がやたら、まとわりついてくる。でも、思春期を過ぎたら、どうだろうか。父とは、父の夢であった「息子が大人になったら、一緒に屋台で酒が飲める」という夢をかなえてあげる事はできなかったが、一度だけ、メールの交換ができた。それが「父と息子の飲み会」だったのかもしれない。そのメールは自宅と会社のパソコンに保存してある。「たった一回の飲み会の証」だからだ。
「リリアン」を知っていますか。毛糸を丸くて、金属の8本位の棒に巻きつけていくと、毛糸の丸い筒みたいなものが下から出てくる機械?の事です。うちの次男(小学校一年生)が「図工と生活」の時間で、学校で習ってきて、家でやっていたので、ビックリしました。リリアンは僕らの頃は女の子が駄菓子屋で買ってきて、遊びでやるものだったのに。小学校の授業で教えているとは・・・今、横に次男がいて、聞いてみると、マフラーが出来るそうです。ほんとかな。話は跳びますが、「ノーパンクボール」というウレタンの様な素材で出来たボールがあって、軟らかくてケガしないので、団地の壁に当てて、「缶蹴り」の様な遊びとか、「三角ベースボール」をやっていました。ビー玉を離れたところにある、相手のビー玉に当てて、跳ばせたら、勝ちというようなゲームも流行っていました。すべて、遊び道具の調達は駄菓子屋です。今は、100
円ショップとかで売っていないのかなぁ。外は雨が降り続いています。昼寝しようっと。
円ショップとかで売っていないのかなぁ。外は雨が降り続いています。昼寝しようっと。
「愛人ソング」と呼ばれる歌がある。妻子もあって、40代後半から50歳にかけての「おじさん」が「ミスチル」や「SMAP」(例えば、ヒットしていた当時の「ライオンハート」)「ケミストリー」とかを歌い上げるのだ。これは「練習」をしている。だって、僕なんか、初めて聴く歌も多いという始末。そして、その歌の歌詞が「愛を歌い上げている」というのも、「愛人ソング」かどうか、見分ける一つの要素だ。つまり、「愛人ソング」を歌う人とは、普段から「愛人」(若い)に、「愛人ソング」を歌って、惚れ直させているのだから。僕の意見と違う人がおられましたら、「実名」でコメント下さい。お待ちしています。それと、女の子で、みんなとカラオケボックスに歌いに行っていて、「私はカラオケは歌えませんから」と、ずっと言い続けて、最後に歌う羽目になり、歌ったら、その場の誰よりも上手かった・・・という事がある。そういう人は初めの方で歌う様に。それまで歌った人、みんなが白けてしまいますから。それと、カラオケの機械をやたらといじる奴。「キーが合わないんだよなぁ~」と言いながら、機械をいじくり倒し、曲がどんどん流れて、終わりしか歌えない奴。「それはキーが合わないんじゃなくて、その曲を上手く歌えないだけなんじゃないの」と思ってしまう。人生幸朗になってしまった・・・。
ここのところ、家族と夏は「沖縄」、冬は「スキー」に言っている。スキーを僕が始めた頃は、「ロープ塔」という初級ゲレンデの横にあった、ロープを握って、上まで引っ張りあげてくれる装置があった。実は、リフトに乗るより、ロープ塔のロープに捕まりながら、立って上っていく方が難しい。途中でこけて、そのまま引き摺られた事もあった。
リフトも休日ともなると30分、一時間待ちが当たり前だった。今は、ペアリフトもたくさんあり、多分、リフトのスピードも上がったのだろう。休日でも5分も待てば、リフトに乗れる。残念なのは昔リフトに乗ると、その当時の流行の歌謡曲がリフトの鉄塔のスピーカーから聞こえてきて、「ああ、たのしいなぁ~」と思いながら、何もする事の無い「リフトに乗っている時間」をエンジョイできた事だ。今は、曲の好き嫌いが多様化しているから、流さないのだろうか。ただ、唯一変わっていないのは、昼ごはんのレストランが混む事。もう少し店の数を増やすか、席を増やして貰いたい。一日滑って疲れ果てて、バタンキューで寝てしまえるのは幸せな一刻である。
リフトも休日ともなると30分、一時間待ちが当たり前だった。今は、ペアリフトもたくさんあり、多分、リフトのスピードも上がったのだろう。休日でも5分も待てば、リフトに乗れる。残念なのは昔リフトに乗ると、その当時の流行の歌謡曲がリフトの鉄塔のスピーカーから聞こえてきて、「ああ、たのしいなぁ~」と思いながら、何もする事の無い「リフトに乗っている時間」をエンジョイできた事だ。今は、曲の好き嫌いが多様化しているから、流さないのだろうか。ただ、唯一変わっていないのは、昼ごはんのレストランが混む事。もう少し店の数を増やすか、席を増やして貰いたい。一日滑って疲れ果てて、バタンキューで寝てしまえるのは幸せな一刻である。
通っていた高校の正門の向かいに、豪邸ができた。僕が通っていた時代だから、30年位前だ。その豪邸は不思議な構造で、門が、多分、鋼鉄で厚さは50センチ以上あったと思う。学校は六甲山を上った坂の上にあったのだが、その坂を大型のアメ車が通るようになった。坂を歩いていると「お前ら、ボーッとして歩いてると、轢いてまうどー」と怒鳴られた。怖かった。学校の向かいに出来たのは、山口組の保養所だったのだ。学校の坂を下りていくと、山口組本家がある。三代目田岡組長の長男は、うちの高校の卒業生だ。暴力団の保養所。それりゃ、扉も銃弾を跳ね返す様に厚くできている訳だ。二度と放送できない「NHK特集」がある。「山口組の実態」をかなり正確に撮影した番組だった。当時の山口組幹部にインタビューをしていて、音声さんがビビッていたのか、画面の下から画面に見えていたブームマイクが小刻みに震えていた。大阪ジャンジャン横丁の飲み屋の二階では、キープ期間の切れたウィスキーを漏斗で集めて、新しいウィスキーを造っている生々しい映像を取材していた。こんなことを書くと不謹慎と言われるかもしれないが、日本のヤクザが繁華街を仕切っていた時代は治安が良かった。それは、大阪・ミナミでも、東京・歌舞伎町でも言える事だ。台湾や中国、韓国など様々な国のヤクザが繁華街で利権闘争を始めた時点で、各地の繁華街の治安は悪くなった。歌舞伎町によく通っている僕が年々、雰囲気が悪くなってきているのを肌で感じている位だから。でも、僕はそういう治安の悪いところが好きだ。「人間の欲望」が渦巻いていて、その中の、もちろん、安全な店で飲むのがたまらないからだ。だから、「赤坂」とか「六本木」「銀座」と言った、表面上、「お高くとまっている繁華街」は嫌いなのである。だったら、有楽町のガード下の、ビールの箱に座って飲む安い居酒屋で飲みたい。ひねくれものかなぁ~・・・。
老後は沖縄で暮らしたいと、漠然とですが、思っています。44歳で老後の事を考えるのも少し早いかもしれませんが、自然の中で生きたいという気持ちが強くなってきているのでしょう。もう「情報はいいや」という感じでしょうか。子供が大きくなるまでは都会で生活するのは仕方ないですが、子供達みんなが独立したら、夫婦で、沖縄の自然に溶け込みたいと、僕は感じています。実際、やってみたら、「情報」が欲しくって、都会にすぐ戻って
くるかもしれませんが。うちの会社を退職した人で、退職する数年前から、九州の田舎で土地を探して、今は「晴耕雨読」の生活をしていらっしゃる方がいます。なんか、潔くて、まっすぐな人生だなあと、その話を聞いた時に、感動すら覚えました。僕も妻も「虫」が嫌いです。もしかしたら、この構想は幻想で終わるかもしれません。旅で、地方に行くのは良いのかも知れませんが、そこに住むとなると、人間関係もあるし、「虫」も出てきたりして・・・まあ、もう少しゆっくりと考えようかと思います。
くるかもしれませんが。うちの会社を退職した人で、退職する数年前から、九州の田舎で土地を探して、今は「晴耕雨読」の生活をしていらっしゃる方がいます。なんか、潔くて、まっすぐな人生だなあと、その話を聞いた時に、感動すら覚えました。僕も妻も「虫」が嫌いです。もしかしたら、この構想は幻想で終わるかもしれません。旅で、地方に行くのは良いのかも知れませんが、そこに住むとなると、人間関係もあるし、「虫」も出てきたりして・・・まあ、もう少しゆっくりと考えようかと思います。
「天津飯」は、東京と大阪では違うのですね。東京は「かに玉」や「海老玉」の上に、「あんかけ」を乗せます。大阪では、そんなことはしないはずです。ちなみに、僕は天津飯に、ソースをかけて食べるのが大好きです。通っていた大学の近くに「天鳳」という安い中華料理店があって、僕はそこの天津飯が気に入ってました。大盛りを注文すると、「洗面器」の様な、食器に天津飯が山になって出てきました。食べても食べても天津飯。その「天鳳」も今は、無くなってしまいました。大学にはほとんど、麻雀の面子集めと、バスケット同好会でバスケをする為に通っていました。五年通って「優」が「教養」も合わせて、4か5あったかどうか。天津飯の話からずれました。大阪の天津飯がどうだったかは、皆さん、大阪に行った時、味わってください。無責任な事を言うようですが・・・。
白骨温泉が、実は水上温泉の温泉の素を入れて、白濁させていた様に、「温泉」に限らず、有名になってしまい、後には引けないものはたくさんあるはずです。断定しない様に書きますが○○の「素麺」は、その多くが××の素麺を運んできて売っていたりするそうです。聞いた話ですよ。多分、「食べ物関係」ではそういった事は多いと思います。私見です。「材料が取れなくなった」「売れすぎて、その地域の材料ではまかなえなくなった」などなと゛です。それが地場産業だったら、僕が当事者でも、そうするかもしれません。いつも不思議に思う事があるのですが、ウィスキーやワインは、何年間か、「熟成」されて、出来上がるものです。でも、仕込んだ時に、数年か数十年先の「需要の量」が分かるのでしょうか。それは一体どのようにして、「量を決めて仕込んでいるのか」、凄い興味深い事です。スコッチウィスキーなんか、全世界で飲まれているのですから、「もう熟成できているものが無いので終了」という宣言を聞いた事が無いのが不思議です。誰か、そのカラクリを知っている人がいたら、こっそり教えて下さい。
20年余り前、7月に北海道を友達と旅した事があります。この年は冷夏で、列車にも暖房が入っていたのですが、それでも寒くて、新聞紙に包まって、列車に乗っていた記憶があります。石北本線の遠軽という駅から網走の方に向かってです。ここに「常紋トンネル」というトンネルがあり、信号所がトンネルのそばにあるのですが、JRの人達、いや、国鉄時代から、この信号所に勤務するのを嫌がる人が多かったと聞きました。何故なら、「常紋トンネル」のレンガの壁から、たくさんの頭蓋骨が発見されたのです。だから、「幽霊が出る」「幽霊を見た」という噂が飛び、そんな風になったのでしょう。北海道の鉄道の多くは、網走初め、刑務所の囚人の強制労働によって敷設されました。囚人は使い捨てのように、働かされました。だから、今でも、北海道の鉄道のレールの下の地面やトンネルの壁には、そこで亡くなった囚人達の遺骨が埋められているのです。明治時代の北海道ですから、それは、今と違って、温まる道具も少なく、極寒の地で囚人達は黙々と線路を敷設していったのだと思います。そのことを考えると、列車に乗っていて、「この線路の下にも誰か囚人の人が眠っているんだな」と思ってしまいます。北海道と言えば、小説では吉村昭の「破獄」(実話です)、漫画では手塚治虫の「シュマリ」が僕にとってとても印象深い本でした。山田風太郎にも、明治時代の北海道を描いた小説がありますが、まるで、アメリカの「西部劇」の様です。その荒々しさ、ドライなところが読者としては魅了されます。
東京は、現在4℃です。昨日は午前中、マイナス2℃でした。寒い冬ですね、今年は。東京で雪が降ると、子供が喜びます。大人の僕でさえ、精神的には子供ですから、嬉しい気持ちになって、「犬は喜び、庭駆け回る」というようなテンションになります。しかし、ここのところ、「阪神淡路大震災」の番組を見ていて、新潟県中越地震の被災者の方々のところに、東京とは比べものにならない量の雪が降っているだろうと思うと心が痛みます。「雪」って、いつもは降らない地域の人が見ると、「ロマンチック」だったり、「雪合戦」をしたくなったりしますが・・・「恋愛ドラマ」もクライマックスシーンでは「雪」が降りますよね、あの「冬のソナタ」でもスキー場のシーンがありました・・・雪国の人にとっては、大変厄介なものだと感じます。今朝の朝刊を読んでいて、「屋根に雪が一メートルも積もって、「雪降ろし」をしていた老夫婦が屋根から落ち、雪の中で亡くなっているのが発見されたという記事がありました。「雪」一つをとっても、人によって、「考え方」「見方」が違うという事を実感しました。話題は跳びますが、黒澤明全集の初期の作品の中に「雪」というタイトルのシナリオがあります。これは映画化されていませんが、僕はこれを十数年前に読んで、感動した記憶があります。興味のある方は是非。
この文章の中には、映画の内容を書きます。「ネタバレ」という事もありえますので、まだ見ていない方は読まない方が良いかもしれません。「ラスト・プレゼント」ですが、設定はとてもドラマとして、良いと思います。「売れなくて、自暴自棄の若手芸人」と「彼を支える死の病に冒された妻」。しかし、まず、「芸人」の方に「哀れさ」が足りないと思います。それと、「妻の『夫を売り出そうとする努力』がテレビプロデューサーの妻に物を渡す」というのがいけません。脚本が浅いのだと思います。「詐欺師」の二人に関しても、出方が唐突なのと、キャラクターが「香港のMr.BOO的」な、映画の流れを壊す薄っぺらいキャラクターになっていて、映画の本筋を見ている僕にとっては、興ざめでした。あと、過去のシーンを入れるタイミングがほとんど違っているように思いました。「猟奇的な彼女」の監督が同じ設定で脚本を書いて監督したら、面白い映画になっていたと思います。僕の感想です。