お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「司会者」はいつ発生したか?

2005年01月11日 | テレビ
「司会者」というのは、いつ頃から、在ったのだろう。僕が思い出す限りでは、「底抜け脱線ゲーム」の金原二郎さんとか、NHKの「連想ゲーム」のアナウンサーとかである。もちろん、NHKの「ジェスチャー」の高橋圭三は、資料映像で見ています、例えば、四大文明が栄えた地域ではいろんな儀式や格闘技などがあったと思います。そこで、自然発生的に「司会者」という「役目」をする人ができてきたのでしょうか。自分はあまり表に出ず、番組(儀式)全体を楽しくするという役目の人は、その頃もいたのか?
日本テレビに「TVスクランブル」という司会が久米宏で、コメンテイターが横山やすしという画期的な番組で、久米さんの経歴で言えば、「ザ・ベストテン」と「ニュース・ステーション」の間の番組です。やすしさんが、来なかったり、番組中にトイレに行ったり、暴言を吐いたり、「日テレ」は生放送で凄い事をしていました。日曜日の午後8時からの55分番組でした。この時の経験がかなり、「ニュース・ステーション」の司会者としての久米さんの番組さばきの力になったのではないでしょうか。「報道ステーション」が今ひとつなのは、古館伊知郎が「司会者」になれずに、「実況者」の雰囲気を残しているからでは?
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「バニシングin60セカンド」という映画

2005年01月11日 | 映画・DVD・ビデオ
映画が投資の対象になった時から、映画の質は変わり始めた。H・B・ハリッキーという車大好き人間が製作・監督をして、「バニシングin60セカンド」という、ほとんど全編、車のカーチェイスの映画を作った事があった。100台くらいの車が一時間半で、壊されただろうか。「儲かる監督」「儲かる脚本家」「儲かる原作」・・・そして、ついには「ヒット作」の「リメイク」まで。「小品」を見た後、じんわりと来る映画が少なくなった。「製作委員会」なるものが出来、「リスク」を回避するという形で、映画作りが進んでいる。「韓流」に感じるのは、その「小品」感だろうか。だから、魅力を感じるのかもしれない。テレビ番組もそうだが、「リスクの無い番組」が氾濫している様に思う。「映画」も「テレビ」もかつては「興行」だった様に思う。「興行性」が薄れた時点で「興ざめ」したのかもしれない、視聴者が。だから、HDD・DVDレコーダーに録画して、そのまま見ずに消す番組の何と多い事か。でも、HDD・DVDレコーダーは便利だ。使い始めたら、ビデオ録画には戻れない。しかし、僕は忘れている。「録ったら、録った時間分、見る時間が必要だという事」。ビデオの時と、この原理は一緒だが、録る量は増えているから、DVDが溜まって仕方が無い。その上、インターネット書店もあるから、普通ではすぐ手に入らない本も、二、三日で届く。結果、自宅の机の上はDVDと本の大きな山ができていて、これだけを観たり、読んだりしても、一年くらいは軽くかかりそうだ。情報の無い島に行きたい。
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インドのヒッピーの子供達

2005年01月11日 | 旅・外国
インドのヒッピーの子供には、腕とか足が曲がった子供達がたくさんいます。その理由は、親が子供が生まれた時に子供の手や足を曲げてしまうからです。そうする事によって、子供達は普通の子供より、たくさんのお金を貰う事が出来、少しでも長く生き延びれるという事を親が知っているのです。本当に悲しい現実です。でも、彼らの顔は、少なくとも、「日本のサラリーマン」より笑っています。「何が幸せか?」を考えさせる国、それがインドなんだろうと思います。同じ様に「生」を受け、「大人が子供を殺したり」「子供が子供を殺したり」している日本。どうなの!と言いたいです。「旅」して分かること、体感する事はたくさんあります。ボンベイの街で、ヒッピーの女の子と、バスケットのマン・トゥー・マンをやりました。その子は、数ルピーが欲しかったのです。当時、1ルピーが3円でしたから、10円を賭けての、追っ駆け合いでした。晴れた日の「インド門」の前の広場。いろんな事がありながら、僕の気持ちはホッコリしていました。
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「便座の無いトイレ」

2005年01月11日 | 旅・外国
「便座がないトイレ」が欧米や南米にはあります。イタリアでもそうでしたし、インドネシアでもそうでした。理由は簡単です。盗まれるからです。だから、イタリアのトイレの中には、足を置く足型が二つあって、周りを水が流れるトイレがありました。これなら、便座は要らないですものね。昔、新大阪駅にもあった形です。南米で、便意が我慢できず、トイレに駆け込んだら、まず、「紙」が無く、「紙」を買おうと、向かいのスーパーマーケットに入ったら、「その国のお金」が無く、隣の銀行に駆け込んで、両替をし、紙を買い、便座の無い便器で用を足した・・・哀しい想い出があります。ペルーの日本文化資料館のトイレでした。南米では、車を家の駐車場(もちろん塀の中)に止めて、まず、ステッキ状の鍵で、ハンドルをロックします。次に、カーステレオを外して、家に持って上がるのです。それでも、タイヤ四輪盗まれた事があると、その家の主人は言っていました。これは、リオデジャネイロで見た話です。やはり、乾燥している所は、糞尿も臭わないので、こんな事になってしまうのかもしれません。かつて、革命時代のパリでは、糞尿を二階から、外の道に投げ捨てていたそうです。だから、みんな道の中央を歩いていたとか。確かに、今はそんな事はないのですが、20年余り前に行ったパリは、犬の糞がたくさん落ちていて、潔癖症の僕としては、幻滅しました。治安も、アムステルダムと共に、悪いし。「インド」くらいになれば、潔癖症の僕も覚悟していきますから、それはそれで、受け止めれたのですが。
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「一行ワープロ」

2005年01月11日 | エッセイ・日記・意見
「一行ワープロ」の時代から、ワープロ、そして、WORDを使っています。CASIOから「一行ワープロ」が出たのは、20年位前。新し物好きの僕はすぐ跳び付きました。文章を打っても「文字」は一行しか見えないのですから、不便です。でも、俳優さんの事務所への台本送りの「あて先」などを打って、それはそれで重宝していました。メールを始めたのは、「初代ザウルス」で、会社の伝票もコンピューター起票になった事により、WORDやEXCELの勉強をしました。中でも、メール機能は僕の性格にあっているのか、ドラマのロケ地に持っていける、「テリオス」というSHARPの小型パソコンを買い、会社からロケ地にメールを転送して貰い、ロケ車の中で、仕事をしていました。メール機能で大きいのは、即時性と国際性。年に何回かのメールだけで、いつも会っている様に感じる人達が僕の周りにはたくさんいます。その分、家族との会話の時間が減っているのは反省していますが。携帯電話は一年に一度、買い替えます。仕事用で使っているので、バッテリーがすぐダメになり、バッテリーを買うなら、ドコモのポイントを使って、新しい携帯電話を買った方が安いからです。でも、今持っているムーバの新機種がでないとしたら、どうしようかと思います。まだ、FOMAは、繋がる範囲がムーバに比べて狭いからです。料金もきっと違ってくるし。次の「買い物依存症」の発作が来たら、考えようと思っています。一度。携帯を自分が用を足した後の便器の中に落としてエライ目にあいました。中のデータがすべて消えてしまい、やっぱり、バックアップを取っておくんだったと後悔先に立たずでした。
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「コカコーラの看板の写真集」

2005年01月11日 | エッセイ・日記・意見
「ユニークな旅」がしたい、と常々思っています。最初に海外旅行に行った20数年前、考えたのが、「世界のコカコーラの看板」の写真を撮って、写真集を作る事。基本的な色合い、デザインは似ていますが、当然そこに書かれた文字は違っています。かつて、紹介した林丈二さんが「マンホールの写真集」を出したようなものでしょうか。肥満大国、アメリカには、2.5リットルの「コカコーラ」のペットボトルがありました。アメリカのケーキは、大きくて、ほんと甘いし。アメリカ人が太る訳です。僕も最近、過食気味で、太ってきました。満腹感が精神を安定させるのですね。過飲にもなっています。ほとんど、水かお茶ですが。この三連休、精神的には、完全に「鬱」でした。「鬱」になると、何もしたくなくなるんですね。一回、散髪とスーパーに買い物に行った以外、うちで寝ていました。一週間に一度、休日に「プールで歩いていた」時期もあったのですが、「寒さ」ゆえか、「鬱」ゆえか、プールに行って、駐車し、水着に着替えて・・・という段取りがもうメンドクサイのです。体脂肪32。体重計に乗ってみると、「鬱」の悪循環に陥ります。休日、オートキャンプとかに行ける気力が出てきたら、良いのですが、「鬱」ばかりは通り過ぎるのを待つしかありません。かつての「アトピー」の様に、「鬱」ももっと、社会に認識され、理解されればいいのにと思います。「鬱」予備軍は15人に1人だと言います。ちょっとしたきっかけで、「鬱」は急激に悪化し、「自死」を選ぶ事になりかねません。「アロマテラピー」じゃないですが、「心を癒す香りを吸う喫茶店」の様なものがあっても良いんじゃないかと思う今日、この頃です。
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