「すいか」の食べ方はどうしていますか?僕は「ガブリ」と噛んで、種と身を口の中で餞別し、種を皿に吐き出すという食べ方です。しかし、種をすべてとってからでないと、食べられない人って、周りにいませんでしたか?今は「種無しすいか」もあるから、そんな「種」に関する心配も無用なのでしょうが「、鍋奉行」と似ていて、「種を一生懸命、掘り出す、その人の姿」が結構面白かった記憶があります。「すいか」以外の果物で、かわった食べ方をするもの・・・ありますか。僕は「いちじく」は嫌いです。どうでもいい事ですが。バナナは好きで、バナナミルクと言われると、もっと心惹かれます。イチゴは「練乳」か「牛乳」をかけて、つぶして食べるのが好きでした。つぶす用に、スプーンの円形の部分が、イチゴ用にくぼんでいるスプーンがあり、これだとすべらないで、イチゴを食べれるので、愛用していました。今でもあるのかなぁ。結婚してから、「練乳」「牛乳」をかけて食べた事はありません。子供が「乳製品」に関してもアレルギーがあるからです。
母方の祖父は、ダンディーな明治の人で、とても厳格でした。「靴やスリッパはちゃんと揃えて脱ぐ様に」とか「おしりをちゃんと洗って風呂桶に入る事」とか・・・おしりを思いっきり洗われて、おしりが真っ赤になった事もあります。掃除もきちんとしてなければ、ダメでした。だから、廊下は「鏡」の様に磨かれて、顔が映るほどでした。髪型もきちんと、決まったところで分け、洋服もパリッとしていました。祖母は、「どんぶりでコーヒー」を飲むという様な、おおらかな人でした。僕達、孫にとっては。納屋とかで、「干瓢(かんぴょう)」を向いていた姿が印象的でした。夫婦って、「似たもの夫婦」などと言いますが、全く反対の場合もあるのですね。二人とも、今は天国で僕らを見守ってくれていると思います。時間の経つのは速いものですね。
僕の父方の祖母は、10年以上前に、90歳くらいで亡くなった。昭和45年くらいから、白内障の為、目が見えなくなり、唯一の楽しみが「俳句」を書く事だったと記憶している。あとは、ラジオを聴く事。おとなしい人だったが、一度、入院した時、お見舞いに行って、祖母が寝巻きを着るところを見た。帯の締め方が「明治の女性」らしい「きりり」とした誰も寄せ付けないものを感じた。祖母の旦那である、僕の祖父は僕の生まれる前の年(昭和34年)に亡くなっており、祖母は祖父より、30年以上、長生きをした事になる。同じ家に住みながら、あらたまって会話をした事も無い祖母のイメージは、あの「帯を締めている時の立ち姿」だ。
訂正が一つ。NHKで「ジェスチャー」の司会をしていたのは、「高橋圭三」ではなく、当時NHKアナウンサーだった「小川宏」だという事を会社の先輩から教えてもらいました。訂正致します。
訂正が一つ。NHKで「ジェスチャー」の司会をしていたのは、「高橋圭三」ではなく、当時NHKアナウンサーだった「小川宏」だという事を会社の先輩から教えてもらいました。訂正致します。