かつて、どんな「病気」になったら、困るだろう、という事を考えた。もちろん、「命に関わる病気」ではなく、「他人に言えないけれど、本人にとっては凄い苦痛を伴う病気だ。それは、「踏切恐怖症」。何か、「踏切」についてのトラウマが幼い頃あり、「踏切」が渡れないのだ。何キロ遠回りしても、高架やガードのあるところを通るしかない病気なのだ。例えば、修学旅行に行っていて、バスが「踏切」に差し掛かったら、主人公は「腹痛」が起きた事にして、一人、バスから降りて、「踏切」でないところを探すのだ。先生も他の生徒も不思議に思うだろう。場合によっては「修学旅行」の下見をしておいて、「踏切」の位置を把握しておいて、対策を練るという手もあるだろう。もっと、大きくなって、恋人が出来、間の悪い事に、彼女の家の前に「踏切」があったとしたら、どうだろう。この「恋」は実現するのだろうか。想像はいくらでもふくらむ。こんな事を数年前に考えていて、今、思い出した。
松本清張の「或る『小倉日記伝』」という、デビュー作の載った短編集を中学か、高校時代、学校の図書館で借りてきて読んでいた。そしたら、親が「試験前なのに、本なんか読んで」と言い、注意された。僕の中には、そのことが今でも心のどこかに残っていて、大事な仕事などの前に、「本を読んだり」「酒を飲んだり」するのは、「悪いこと」という罪悪感がある。自分が親になってみて、普段、子供に注意する事が本当に大切で、一度自分の中で反芻してみてから、注意する事にしている。とっさに、口から言葉が先に出てしまう場合もあるけれど。自分の親には感謝している。いろんなことを教えてくれた。今度は、自分が親になって試行錯誤する番だ。
僕は「ひとり暮らし」をした事が無い。結婚する31歳までは、両親と実家に住み、結婚して、妻と中古のマンションを買って生活を始めた。長女が小学校六年生になる。今日の昼ご飯は、妻と次男が「次男の柔道の試合」に一日行っている為、長女が「あんかけラーメン」(冷凍食品?)を僕と長男と本人の三人分を作った。うちの父も、会社に入った当初、東京で「ひとり暮らし」の経験があって、「チャーハン」や「焼きそば」を休みの日に作ってくれた。僕はインスタントラーメン以外、何も作れない。作ろうという努力もしない。そのことを知ってか、妻は今、長女に「料理の作り方」を教えているようだ。長男は「癒し系」で、次男は「機械の操作」に強い。うちではビデオを見る時、DVDレコーダーを立ち上げて、「ビデオ3」にしなければ、ビデオは見れない。そう僕が配線したからだ。次男はすぐ憶えた。自分がアニメを見たいのが理由かもしれない。今日の柔道の試合では「勝てるかな」なんて、あんかけラーメンで体が温かくなったところで、これを書いている。