お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

電気に頼る現代社会

2005年01月29日 | エッセイ・日記・意見
世の中、急速に「コンピューター化」されています。うちの美術のデザイナーが停電しただけで、テレビ番組のセットデザインを書けないというぐらいですから。ちなみに、多くのテレビ番組のデザイナーは「Mac」を使っています。僕が入社して、ディレクターを始めた頃は、もちろん手書きで「青焼き」という技術を使って、セット図をコピーして貰っていました。台本も恒星作家が、鉛筆や万年筆を使って書いていました。万年筆の場合は、消せないので、直すのに困った想い出があります。新聞記者も、今ではほとんど原稿は「ワード」です。その方がデスクも直しやすいし、間違いも無いからでしょう。うちの父は新聞記者で、当時は「わら半紙」(新聞紙と同じ材質のもの)に5字×3の15文字を書いて、電話送稿していました。「ひ」は「彦根」の「ひ」という様に。東京に大地震が起こって、広範囲で、電気が供給されなくなったら、新聞社もテレビ局も困ることでしょう。今、東京で地震が起こる確率が高いと言われているので、不安です。僕んちはマンションの二階なのですが、三階が崩れ落ちてこないか心配です。「大家」がドケチなので、安い建材を使っているのではないかと心配しています。多分、つかっているんだろうなぁ。
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日本の自販機での売り上げは世界一

2005年01月29日 | エッセイ・日記・意見
今日の日本テレビ「世界でいちばん受けたい授業」で「自動販売機」の事をやっていた。「日本」は「世界一の自動販売機売り上げ国」なのだそうだ。確かに、外国に行ってもいちばん不自由するのが、「自販機」が無くて、例えば暑い時に、冷たい飲み物をすぐ飲めない事。僕が行く地域は「コンビニ」もほとんど皆無なので、夜はホテルの自室の冷蔵庫で、高いミネラルウォーターを飲まなくてはならない。日本がなんで世界一かというと、「治安がいい」という事が大きな要素だそうだ。確かに、ブラジルとかで、夜間(昼間でも)自販機を外に置いておこうものなら、きっとトラックか何かで持ち去られ、商品も現金も奪われてしまう事になるんだろうなあという事は、想像できます。ただ、「お店」でジュース一本買う事から、「人と人のコミュニケーション」は始まるのですから、「自販機世界一」も一概に褒められたものではないと思います。
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小説

2005年01月29日 | 本・雑誌・漫画
誰にでも「夢」はある。しかしながら、その「夢」を実現できるポジションを獲得できる人はほんの一握りに過ぎない。僕の夢は「小説家」になる事。小学校低学年から思っていた。まだ、企画段階だが、ある編集者に勧められて、「小説」を書いている。ドラマのプロデューサーの時は、書きあがってきた脚本を読んで、それに「意見」を言う方だったが、今度は逆である。第一稿を編集者に見てもらったが、脚本やドラマの企画書とは書き方が違う。いろいろ、為になる本を紹介して貰い、今はそれを読破中である。今月末が第二稿の締め切り。明日一日と明後日の夜で、書き上げなければいけない状態になっている。これは、僕が今回わざとそうしたのだ。夏休みの宿題でも、ドラマの企画書でも、「早く仕上げて、気持ちを楽にしたい」という、とても気の小さい性格である。それをわざと破ってみようと思った。だから、今回は、資料を読むのに時間をかけて、書くのは、プロットを思いついてからと思っている。このプロットを思いつくかどうかが、才能であり、一種の賭けであると思っている。仕事以外に何か、自分のしたい事を持っていれば、これほど精神的に強い事は無い。ベストを尽くして、当たって砕けろ、の精神で「自分が今、いちばん書きたいストーリー」を書いてみようと思っている。
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「死を待つ家」

2005年01月29日 | エッセイ・日記・意見
もう、ずいぶん前の事になるが、冬・雪のたくさん積もっている時期に、「只見線」に乗った事がある。只見線は、会津若松と小出を結ぶ「豪雪地帯」を走っている鉄道で、窓から外を見ていたら、「死を待つ家」という看板が一瞬だが見えた。心の中では「ウソ~」と思ったが、ちゃんと残像として残っていた。「死を待つ家」とはどのようなものだろう。インドのカルカッタに、「死の病」におかされて、もうすぐ死ぬだろう人が集まる「死の家」という施設があるということはテレビを見て知っていた。でも、日本にそんな施設があるとはおもってもみなかった。何か、宗教でも関係あるのだろうか。両サイドを2メートルくらいの雪の壁に囲まれて走る只見線だが、一気にその風景は僕の心の中から飛んでしまい、一つの看板の衝撃強さが残った旅だった。7~8年くらい前だろうか。いつかは、その施設の全貌を究明してみたいと思う。
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即身仏

2005年01月29日 | エッセイ・日記・意見
『作家の犯行現場』有楢川有楢著(新潮文庫)新刊を書店で見つけ、立ち読みをしていると、かつて僕が小学校高学年の時、母の実家で見た「少年マガジン」のグラビアに載っていた「即身仏」の話と写真が載っているではないか。出羽三山という山々が東北地方の信仰のメッカとして、存在している。但し、即身仏が行なわれていたのは「湯殿山」のみである。本から引用させて頂くと、中世から明治末期の即身仏禁止令が出されるまで、全国の即身仏志願者が仙人沢という行場で修行を積んだそうである。真言宗系である。うちも真言宗。僕の聞いた話では、修行の終わった人が人間が一人座れれるような、井戸の底に座り、その頭上を埋め、空気穴を通して、「即身仏」になったという話である。現在、日本で年間3万人という自殺者が出る中、少し不謹慎な発言かもしれないが、「即身仏」修行を経て、自分の「生死」をもう一度考え直してみる、という荒行もあるのではないかと思っている。おかげというか、なんというか、今日の昼寝では「悪夢」を見た。「即身仏」の影響なのだろうか。

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