尹錫悦大統領を擁護している者たちに問いたい。あなたがたは戒厳を、内乱を、尹錫悦を擁護して、数十年前の韓国に戻りたいのか。あなたがたはどのような国に住みたいのか。民主共和国か、それとも独裁共和国か。

2025-01-12 10:11:30 | 韓国を知ろう
 

尹錫悦の擁護者たちに問う【寄稿】

登録:2025-01-10 23:56 修正:2025-01-11 14:57
 
尹錫悦大統領は就任後、事あるごとに「自由民主主義」を語り、それを脅かしている「反国家勢力」から大韓民国を守らなければならないと主張してきた。しかし、彼は自由民主主義がどのようなものなのかがよく分かっていなかった。彼は「反共反北朝鮮」を自由民主主義だと考えていたようだ。…尹錫悦大統領を擁護している者たちに問いたい。あなたがたは戒厳を、内乱を、尹錫悦を擁護して、数十年前の韓国に戻りたいのか。 
 
パク・チャンスン|漢陽大学史学科名誉教授
 
 
尹錫悦大統領の逮捕令状の有効期間満了日の今月6日午前、ソウル龍山区漢南洞の大統領官邸前の漢南大路で、尹錫悦大統領の支持者たちがスローガンを叫んでいる/聯合ニュース

 大韓民国の国民であれば誰もが知っている。憲法第1条第1項「大韓民国は民主共和国だ」という文言を。しかし大韓民国が名実共に「民主共和国」となったのは、1987年の6月抗争で第6共和国が成立してからだ。それより前の第1共和国から第5共和国までは、実は民主共和国ではなく「独裁共和国」だった。李承晩(イ・スンマン)の民間独裁、朴正熙(パク・チョンヒ)と全斗煥(チョン・ドゥファン)の軍部独裁が続いたことで、韓国は「民主共和国」とはかけ離れた国だった。幸いなことに、1987年の6月抗争以降、大韓民国は漸進的な民主化の過程を経て、民主共和国へと一歩一歩前進してきた。

 ところが、2024年12月3日夜、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領による突然の非常戒厳宣布で、民主共和国はあっという間に危機に直面した。思いもよらないことだった。幸い国会の迅速な戒厳解除決議によって民主共和国の歴史の断絶は免れ、国民の烈火のような要求で大統領尹錫悦の弾劾訴追案も国会で可決され、憲法裁判所に付された。また、戒厳の準備と実行の過程にかかわった軍の将官たちも検察に逮捕され、取り調べを受けている。ひとまず、尹大統領の時代錯誤的な親衛クーデターは失敗に終わったとみられる。

 戒厳宣布の主役である尹大統領は、内乱容疑で裁判所が発行した逮捕状を拒否し、警護処の人員を盾に大統領官邸に籠城している。彼の逮捕状の拒否は大韓民国の法治主義を全面否定したもので、戒厳宣布に続きまたしても国民に衝撃を与えた。彼はまた、極右のユーチューバーとデモ隊に自分は最後まで闘うというメッセージを送り、自身を応援してくれるよう要請した。これに対し極右デモ隊は、尹大統領の戒厳宣布は内乱ではなく、国の危機を克服するためのものだったとして彼を擁護しており、与党「国民の力」の議員の一部もこれに同調している。

 尹大統領は就任後、事あるごとに「自由民主主義」を語り、それを脅かしている「反国家勢力」から大韓民国を守らなければならないと主張してきた。しかし、彼は自由民主主義がどのようなものなのかがよく分かっていなかった。彼は「反共反北朝鮮」を自由民主主義だと考えていたようだ。自由民主主義とは何か。自由民主主義は英語で「リベラルデモクラシー(liberal democracy)」と言い、西欧式の民主主義制度を指す。西欧式民主主義は主権在民、三権分立、権力のけん制と均衡、代議(議会)制民主主義、複数政党制、多数決、言論・出版・集会・結社の自由の重視、人権の重視、法治主義などを原理とする。大韓民国は1987年以降、そのような民主主義を実現するためにたゆまず努力してきた。その結果、アジアで最も模範的な民主主義国として称賛されてきた。

 ところが、12月3日の戒厳宣布の際に出された布告令では、国会と政党の政治活動の禁止、言論・出版に対する検閲、集会・デモの禁止などが語られていた。そして尹大統領は軍人たちに、国会に突入して国会議員たちを引きずり出して戒厳解除決議を防ぎ、主要な政治家を逮捕しろと指示していたという。また国会の解散、全斗煥の国家保衛立法会議のようなものを構想していたような痕跡もある。彼の戒厳宣布は、「自由民主主義」と決別して独裁の時代に戻ると宣言したも同然だった。彼は「民主共和国」を倒し、「独裁共和国」を打ち建てようとしたのだ。彼の戒厳宣布と布告令発布は、一言で言って「民主共和国」に対する真っ向からの挑戦だった。そして、具体的には憲法機関である国会の機能を停止させようとしたものであるため、刑法上の「内乱罪」に当たるものだった。戒厳時、戒厳軍が国会を侵奪する場面を全国民がテレビで目撃した。

 戒厳時、一部の市民は、民主共和国が危機に直面していることを直感し、直ちに国会に駆けつけ、戒厳軍の国会への侵入を身を挺して阻止した。また国会の建物内に侵入した一部の戒厳軍も、決死の覚悟の国会職員に廊下で阻まれると、それ以上無理することなく自制し、本会議場まで入ることはなかった。その結果、速やかに国会に集結した国会議員たちは、本会議場で戒厳解除要求決議案を可決することができた。真夜中に国会に駆けつけた市民、国会職員、国会議員が、危機に直面した民主共和国を辛うじて救ったのだ。1987年以来蓄積されてきた韓国市民の民主主義の力量は、決して小さいものではなかった。そして、民主主義を守るという国民の熱意は一挙に爆発し、汝矣島(ヨイド)の国会議事堂前への百万人を超える群衆の集結として表れた。そして国会も国民の意を受け、12月14日に大統領尹錫悦の弾劾訴追案を可決した。それによって大韓民国は、民主主義の危機から半分は脱した。

 しかし、与党「国民の力」の議員の多くは弾劾訴追案の採決で反対票を投じた。その後も、戒厳は内乱ではないとして尹大統領を擁護するような態度を取っており、憲法裁判所の判決を遅らせようとしている。数日前には、40人あまりの与党議員が大統領官邸前で高位公職者犯罪捜査処(公捜処)による尹大統領の逮捕状執行に反対する意思を表明した。彼らは今、大韓民国の民主主義を守ることではなく、何とか政権を守ることの方に関心があるようだ。

 1987年の民主化以降、韓国は目を見張るほどの経済成長を遂げて1人当たりの国民所得は3万ドルを超え、世界10大経済大国の水準に到達することができた。歌謡、ドラマ、映画などで韓流ブームを巻き起こし、韓国は世界の中の文化先進国としての地位を獲得しつつある。最近はハン・ガンさんがノーベル文学賞を受賞したことで、韓国の文化水準の高さが改めて確認された。社会的にも、韓国は比較的中産層が厚く、教育水準も高く、治安も安定した社会を維持してきた。問題がないわけではないが、韓国がこのように経済、社会、文化のあらゆる面で比較的安定し、また飛躍的な発展を遂げることができたのは、政治の民主化がそれを後押ししてくれたおかげだ。民主主義の原理はいつしか経済、社会、文化などのあらゆる部門に浸透し、韓国は自由で民主化された先進国の仲間入りを果たしていたのだ。

 
 
                                                                   //ハンギョレ新聞社

 なのに、だしぬけに戒厳令とは! 時代錯誤にしてもこのような時代錯誤はありえない。民主共和国を破壊して独裁共和国に戻るということは、韓国国民が数十年かけて築いてきたあらゆるものを一気に崩壊させるということと同じだ。いま尹錫悦大統領を擁護している者たちに問いたい。あなたがたは戒厳を、内乱を、尹錫悦を擁護して、数十年前の韓国に戻りたいのか。あなたがたはどのような国に住みたいのか。民主共和国か、それとも独裁共和国か。

 
//ハンギョレ新聞社

パク・チャンスン|漢陽大学史学科名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1177245.html韓国語原文入力:2025-01-10 07:00
訳D.K

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