ウーバーイートの配達員をしている泉井先生が、本日電話してきました。
ウーバーイートの仕事が少なくなり、暇をしているので、家系図づくりをボランティアで引き受けますとのことでした。
以前から、家系図を作ることに興味をもっていて、そういう仕事をしてみたいと言っていました。
私は、行政書士などの仕事をしていれば、職権で、戸籍謄本が取れますが、それ以外の人が、家系図つくりでと言って、お役所が戸籍を出してくれるかどうか疑問を持っています。
4月に、中野の実家の名義が亡くなった両親の名義になっていて、コロナでの固定資産税の延納手続きができないという事で、名義を変えずに、納税者を私の名義に変える手続きを取りました。
その際、両親が出生してから亡くなるまでの戸籍が必要となり、戸籍謄本を取りました。提出先を明記しなければなりませんが、大阪市と書きました。
母の場合は、島根県江津市への申請だけで足りましたが、父親の場合、堺市の戸籍謄本を入手。そこから、和歌山県紀の川市へ申請して戸籍謄本を入手しました。
泉井先生いわく、戸籍謄本の発行は、ゆるやかな場所ときつい場所とがあるという事でした。委任状だけで赤の他人に戸籍謄本が発行されるかどうか疑問です。
私の家系図を作らせてもらいたいと泉井先生は言いましたが、私は、他の人の家系図がうまくできてからお願いしますと答えました。
泉井先生は、自身の家系図以外に、2件、家系図を作ったという事です。
戸籍でさかのぼれるのは、80年前くらい前までで、それ以前は、菩提寺にいき、過去帳を見せてもらうとかいう事です。
ご希望の方は、メールください。nichikon3@infoseek.jp
報酬はいりませんが、戸籍謄本をとる費用や交通費・郵送費など実費はいただくという事でした。
泉井先生の家系図つくりに、戸籍謄本を取ったのが、奈良県・鳥取県・島根県と言う事でした。
島根県は、どこと聞くと、三隅と言う事でした。
江津市と隣接する浜田市なので、なんか、泉井先生の先祖と私の先祖とは、縁があったのかもしれません。
ちなみに、私の場合、母方(佐々木家)の叔父さんが、戸籍を取って、古文書と合わせて、ルーツを解明したことがあります。
佐々木家は、宇多天皇の弟の直系の子孫と言う事でした。
そういえば、田舎に帰ったとき、川平町では、格式の高い家とされていると母から教わりました。
私が小学生の時の夏休みに、母の里に行っていた時、当時の江津市長が、川平駅の近くにいました。町の人は、市長さんだと近寄っていましたが、
母だけは近寄らず、あの市長は、おじいちゃんと比べ何をやっても、劣っていて、おじいちゃんに劣等感を感じていたと教えてくれました。
川平から、上級の学校へ進学したのは、うちのおじいちゃんと江津市長になった2名だけで、その二人は、何につけても比較されていたという事で、
うちのおじいちゃんの方が、何をやっても優秀だったということでした。
そして、その子である母は、島根県立川本高等女学校を首席で卒業。その子である私は、神戸大学卒。
いとこにも島根大学卒がいるので、佐々木家は賢い血が流れているというわけです。
私が、浩宮と似ていると言われるのも、天皇家の血が流れているからだと思われます。
和歌山の山本家も先祖を調べたいと思われます。
霊能者の話では、禰宜や神官など、神様系の仕事をしていたと言います。
紀州ネルを経営していたころは、高野口町の造酒屋の吉村家と、岩出町の山本家が、紀ノ川筋で、1位・2位を争っていたと言われています。
岩出の家は、大豪邸であったと言われています。
アメリカのデトロイトにも進出。父のおばさんの中では、アメリカでも大富豪になっていて、戦争がはじまり、強制収容され、日本に送り返されてきたものもいると言います。
そのおばさんは、椅子にしか座れなかったと父は言っていました。
高師浜の大豪邸に住んでいたおじいちゃんの弟(新大阪ホテル(現リーガロイヤルホテル)の役員で、天皇が大阪に来た時天皇家と食事していた)の奥さんは、父に、
世が世でなかったら、山本家のようなところに、おそれ多くて、嫁入りできなかったと言っていたそうな。
山本家の先祖も佐々木家と同じくらいよい家筋と言うわけです。
ルーツ解明した叔父さんって元旦に高速道路でペッチャンコなった人やろ
戸籍で宇多天皇まで解るって皇統譜かよw
オッサンも不敬なこと書きすぎてペッチャンコならんようにきいつけえや