本日の体重増加は昨日フォルクスに行ったせいで5.6キロ。本日は、6キロを目標に除水。途中右足がつり一時中断。結局5.9キロの除水。
右足のふくらはぎがつりました。
足がつるのは、何か月ぶりでしょうという感じです。
金先生から食べる量を3-4割減らしてくださいと。
という指導を受けました。
今夜夕方に出ていた雲です。
私は気象雲と思いますが地震雲と判断する人もいると思いますので、報告しておきます。
本日のランチは久々にフォルクス針中野店へ。
いつものサービスランチとLINE無料クーポンでランチドリンク)( ホットコーヒーで) を。
これで、サラダバー、ブレッドバー、スープバーが利用でき、ライスお替り自由、コーヒーお替り自由となります。
180円のランチドリンク。LINEクーポンで無料に。
1回目。
メインディシュとライスが届きました。
ハンバーグにメスを入れるとじゅわっと肉汁が。本日は、オーケーです。
コーヒーお替り2杯目。
焼き立てパンにつられて、ブレッドバーから。スープバーお替り。お替り3杯目。
席のすぐ横がブレッドバー。観察しているとあほかかしこかわかります。
奥の網かごからとる人は、暖かいパンなので、賢い人。
手前の網かご。蓋を開けてパンを取る人は、冷めたパンをとる人なので、あほな人。
私は、常に焼き立てパン手の暖かいパンだけを狙って取っています。
サラダバー3回目。
デザートとプチトマト攻撃。
阪神大震災の語り部が少なくなっているとテレビでやっていたので、
えむびーまんも語りべにと思い、
当時を思い出しました。
当初震度1-2の揺れで、目が覚めました。
そして、地震の揺れは収まり、小さい地震だなぁと思っていると、猛烈な揺れに。
その揺れは、いきなりというより、揺れながらだんだんと大きく。
家がつぶれるのではないかと、ベッドの上で、手に汗かいて緊張しました。
そして、揺れがこれ以上大きくなると、家がつぶれる。地震よ収まれと念じていました。
すると、地震の揺れは収まりほっとしました。
一気に体から力が抜けました。
地震で家がつぶれるのでは思ったのは、生まれて初めてでした。
地震後、すぐに、テレビをつけました。
朝日放送のおはよう朝日だけ、生で放送していました。
スタジオは映らず、真っ黒い画面で、音声だけが流れていました。
電気・ガス・水道は、どうもありませんでした。
ただ、電話が通じませんでした。
事務所が気になったので、難波中にある事務所まで、ただ、地下鉄がとまっていたので、自転車で。
途中阿部野橋駅の前を通りましたが、ものすごい人であふれていました。
近鉄南大阪線は、通常運行だったので、阿部野橋駅まで、多くの通勤客は来て、
そこから先が、地下鉄・JRなどすべて止まっているので、歩いて勤務先に向かう人の群れができていました。
事務所について入ると、2部屋あるうち片方の部屋は、入り口付近に置いていた本を入れるラックがひしゃげて倒壊、入り口をふさいでドアを開けられませんでした。
事務所からどこへも電話は通じませんでした。
後で、わかったのですが、安い電話代として第2電電0070を使っていてそこが高速道路沿いに線を張っていて、その線が切れて、第2電電の利用者からは、電話がつながらなくなっていました。
ちなみに、神戸大学情報統計部、六甲道合宿所。地震で全壊しましたが、当時の部員たちは、電話の解約手続きを取らなかったので、面積期間終了後、電話がつながっていないのに、基本料金請求が
私のところに届き、支払わされました。
東日本大震災で、家を流された人も、電話の解約手続きを取らなかったところには、無料期間が終われば、基本料金の請求が来ていると思われました。
外部と連絡が取れたのは、3日目くらいで、東京の講談社からの電話でした。
うち担当の編集の人が、安否確認の電話を入れてきたのが初めてでした。
うちの事務所からは、電話が通じませんでしたが、公衆電話からは、通じると噂され、かけたい先には、公衆電話からかけていました。
3日目くらいに情報統計部の副部長が、バイクで事務所に来ました。
阪急とJRの間の民家の7割が全壊していると恐ろしいことを教えてくれました。
現地では、カセットコンロのガスボンベがなくて困っていると、
私は、部員のたまり場となっている下宿先へ。ガスボンベを自転車で大阪から運んだのを覚えています。
神戸大生の場合、トイレについての問題は全くありませんでした。
神戸大学の場合、近くの小川にある神戸大学浄水場から組み入れた水は、水道の蛇口に雑マークがあり、
トイレでは、ぞうきモップを洗う洗面台に雑マーク、それ以外の顔を洗ったりする洗面台には、上水道を示す飲マークが。
阪神大震災では、上水道である飲マークの蛇口からは、水が出ませんでしたが、雑マークの蛇口からは、水が出たとのことでした。
雑水を利用しているトイレの水洗は、生きていたといいます。
そのことは、産経新聞に教えました。
記事するのに、裏を取るために神戸大学に電話しましたが、通じなかったということで、
裏取りなく、私の話だけで記事になりました。
阪神大震災(地元では淡路をつけずに)から今年で29年目とかでテレビで特集しています。
阪神大震災で六甲道駅前にあった私名義で借りていた神戸大学情報統計部の合宿所が全壊。
そこで寝ていた部員3名が重軽症。
神戸大学生協が行ったアンケートで建物の下敷きになった神戸大生は850名。
死亡した41名はアンケートにかけなかったので、建物の下敷きになった神戸大生は891名。
うち死亡41名。建物の下敷きになった人の約5パーセントは死亡したことになります。
震災時、各サークルごとで、下宿部員同士で、安否の確認をしていました。
情報統計部でも、ある部員の下宿へ行き、周りにいた人からここの人は逃げたと言われていましたが、
実は、建物の下敷きに。隣の人がつぶれた家から家財を引き出しに来て、見つけてもらったという例がありました。
また、ある神戸大学理学部生は、8時間倒壊した家屋の下敷きに。
最初は、空間があり、多少動けていましたが、だんだんと2階の天井が胸の上に。
そのうち、息ができなくなり、死を覚悟、
やりかけのファミコンを最後までしておけばと後悔。
意識もうろうとなった時、私設の救援隊がかけつけ、助けられ。その救援隊に加わり、救助に当たったとか。
卒業後は、大企業に就職せず、ファミコンショップに就職。その後、カードカルトでもすこしだけ働いていました。
その子は、阪神大震災で死にかけて、今をやりたいことをして生きるに変わったそうな。
神戸大生で、建物倒壊して、下敷きになり、近くで火災が発生。延焼する中、助けに来た友人に、自分は良いから逃げてと言って、生きながら焼死した人もいます。
神戸大生が焼死した火災は、400戸ほどで、消し止められ、長田のように7000戸にも達しませんでしたが、
その理由は灘区の消化は、全国から集まった山口組の人たち。長田区の消化は、神戸市消防局が行ったからだと神戸市消防局の人から聞いたことがあります。
灘区の火災は、山口組の総本部に延焼する可能性があり、全国から集まった組員が必死に消化したからとか。
六甲道の火災にまつわる話としては、当時の情報統計部の部長がバイトしていたファミリーマート。そこの店長の納車されたばかりの新車。
建物倒壊で、道路がふさがれ、移動できずに、火災が迫り、店長は酒を飲みながら、部長と自分の車が焼け落ちるのを見ていたとか。
私は、現在、耐震基準を満たしたマンションに住んでいます。また、木造の実家も、大阪市の補助金を受けて、耐震化(震度6強)してあります。
能登半島の地震をみても、耐震化した家に住む必然性を感じます。
阪神大震災でも、下宿は、家賃が安いからといって、ぼろい家に住んでいたものが亡くなったわけです。
本日の体重増加は、なか2日で5.2キロ。5時間透析で5.7キロ引きました。
人工透析抗体ができたようで、
人工透析をしていても、血圧が130より下がらなくなった。
透析後、しんどくなくなり、平気で外出ができるようになった。
サントリーのお誕生日プレゼントで、オメガエイドを希望。
昨日届いたので、オメガエイドをこれから毎日1か月間飲み続けます。
頭がさらによくなるのでしょうか。
わかさ生活の60代からのあたまサプリを飲み続けれていてますが、そちらを飲んで記憶力は回復できました。
病院の次や次の次の受診日時を聞かれても、すべて答えることができるようになりました。
オメガエイドでは、頭のさえを売りにしているので、
猛烈にさえたえむびーまんブログが誕生することになります。
もし、今と一緒のレベルのままなら、オメガエイトを飲んでも効果がないことになります。