妻のことだって愛してる。本当に愛しているんです。今でも。
でもアメに最初に会った時、彼女にどうしようもなく引き寄せられたんです。渦のようにです。抵抗のしようもなかったんです。
僕には分かったんです。これは一生に一度のことなんだって。
で僕は思いました。この人と一緒になったらたぶん僕はいつか後悔することになるだろう。
でも一緒にならなかったら、僕の存在そのものが意味を失うことになるって。
ダンスダンスダンス 村上春樹
この小説のように自分の存在が脅かされるほどの激しい感情を経験したことがあるだろうか。
と、自分自身に問うてみれば、ここまで激しいのは、あったような気もするし、ないような気もする。
ただ、このような感じはよくわかる。
石田純一が「不倫は文化だ」といってブーイングを受けていたことがあった。彼の名誉のために、それを意訳してみると、こういうことだろう。
社会的にいろいろな立場の人間がいて、道徳的に恋愛するのが不適切な場合がある。にもかかわらず恋愛に落ちるのが人間であって、その時の葛藤や苦悩が文学、演劇、映画(文化)を生み出すのだ。別に不倫を肯定しているわけではない。
どうしようもなく恋に落ちてしまうのだ。
「愛から為されることは、常に善悪の彼岸で起こる」とニーチェは言った。
美しい言葉だ。
ニーチェは道徳を激しく攻撃する。
ただしい道徳は、生命の躍動感を失わせるからだ。
人間が道義的に反することをするのは、愛から為されるときが一番多い。
もちろん、ここにいう愛は恋愛のみならず家族愛、友情も含む。
父親は自分の娘が襲われそうになっていたら、その暴漢を殴りつけるだろう。
そのときのその行為は善悪を超越している。
愛情は私たちを善悪の彼岸まで連れて行く。