フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

川沿いの平和な世界

2009年05月21日 23時26分31秒 | 日々の出来事・雑記

 今日、川沿いのジョギングコースに行った。
 
 曇りで風が強かったけれど、図書館で借りたポール・オースターの「ティンブクトゥ」を読みながらウォーキングした。
 
 ティンブクトゥは犬が主人公の物語である。

 
 ここは犬を散歩させている人が多く、犬のくそだらけ。
 
 まぁ、犬が好きだから、くそを踏まなければ、頭にはこない。

 
 犬がしたくそを、飼い主が丁寧に処理していた。
 
 それを見ていた犬ちゃんが大喜びで飛び跳ねていた。何故だ。

 ちがう場所で、大声で泣きながらキチガイのように三輪車をこいでいる子供がいた。
 親が後ろからついていっている。家出でもするつもりなのだろうか。よく分からない。

 猫ちゃんが縄をつけて散歩させられていた。
 
 私がチッチッと舌打ちすると、ビクッと、おびえていた。
というかその場所につれてこられた時点でおびえていたのだろうと思う。

 猫は知らない場所が苦手なのだ。
 
 散歩は、単なる飼い主の自己満足で、うれしくない。完全に腰が引けている。

 近くにいた野良猫は気持ちよさそうに金玉をぺろぺろなめていた。こっちの猫は幸せそうだ。


 世界は意外と平和だ。

 

 

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ナンセンス・文脈破壊

2009年05月21日 20時59分38秒 | 日々の出来事・雑記

 TV番組で、イタリア人に天才バカボンとタッチと何か三つくらいアニメを見せてどれが好きかアンケートとる企画をしていた。天才バカボンが好きだという人が多数だった。イタリア人があのナンセンスな話を好きだというのでびっくりした。
 このことが頭にあり、図書館で赤塚不二夫の対談集を借りてしまった。タモリ、談志、たけし、松本のすごいメンバーと対談している。赤塚不二夫のユーモアは、大物芸人に大きな影響を与えている。
 皆それぞれに面白いのだが、松本人志との対談ですこし考えさせられることがあったので、それについて語ろうと思う。

 まっちゃんのお父さんが落語好きで、小学校一年生くらいの頃から、落語に連れて行かれるようになったということだった。
 その影響でコントの構成をする場合でも、内容がしっかりしていないと嫌だという。
 彼はガキの使いでもへんな葉書についてアドリブで切り返す。また、ドラマもアドリブの部分がなければやらないと言ってた。そういう人にしては、意外な発言だった。
 しかし、よく考えてみるとアドリブとは即興で筋立てを作ることで、頭にたくさんのストーリーがないと、簡単にはできない。
 松本人志の笑い基本は落語のストーリーにあったのだろう。

 落語のストーリーは、文脈をずらすことで構成されている。そのズレから笑いが生まれる。
 ナンセンスは、ズレというより、少し強く、どちらかというと文脈破壊である。
 
 きちんと定義すれば、ナンセンスは、話しの流れや論理性を無視してそれを壊すことをいう。
 ギャグも、一応、ナンセンスの一種で、話しや行為の最中に挿入する滑稽な言葉や仕草をいう。

 文脈を壊すという意味ではギャグとナンセンスは似ている。ただ、ギャグは文脈を無視した破壊である。ナンセンスはその辺はきちんと計算されている。
 
 ただ、ギャグは、くりかえしによる効果のほうがおおきい。人はくだらないことをくりかえされるとつい笑ってしまう。
 ギャグだけに頼っていると、物語がつくれなくなる。だから、一発ギャグで消えいく。
 やはり、笑いの基本も、物語の文脈を意識することなのである。
 それを、いいタイミングで、ずらしたり壊したりするわけだから、普通のストーリーテラーよりも高度なことをしているといえる。 

 前に話したことがあるが、人は文脈に心を委ね依存してしまう特徴がある。
 
 笑いは、文脈をずらしたり破壊したりして発生するのだから、人を笑わせたり出来る人は他人の文脈に依存しないだけの精神力がある。
 
 笑いは、いろんな効用がある。 

 

 

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