フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

やし酒飲み

2010年07月11日 20時21分19秒 | 読書・書籍

 最近、読んでみたいなぁと思っている小説に「やし酒飲み」というアフリカの小説がある。保坂和志氏の本に紹介されていたものだ。ちょっとだけ引用されていたのだが、その部分を読んだだけで完全につかまれてしまった。なんともいえないアフリカ的グダグダ感。本当に小説というものは奥が深い。


 わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として流通していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。
 父は、八人の子をもち、わたしは総領息子だった。他の兄弟は皆働き者だったが、わたしだけは大のやし酒飲みで、夜と昼となくやし酒を飲んでいたので、なま水はのどを通らぬようになってしまっていた。
 父は、わたしにやし酒を飲むことだけしか能のないのが気がついて、わたしのために専属のやし酒造りの名人を雇ってくれた。彼の仕事は、わたしのために毎日やし酒を造ってくれることであった。


 父は、わたしに、9平方マイルのやし園をくれた。そしてそのやし園には56万本のやしの木がはえていた。このやし酒造りは、毎朝、150タルのやし酒を採集してきてくれたが、わたしは、午後2時前にそれをすっかり飲み干してしまい、そこで、彼はまた出かけて夕方にさらに75タルを造っておいてくれ、それをわたしは朝まで飲んでいたものだった。そのためわたしの友人は数え切れないほどにふくれあがり、朝から深夜おそくまでわたしと一緒に、やし酒を飲んでいたものでした。ところで、15年間かかさずこのようにやし酒造りは、わたしのためにやし酒を造ってくれたのだが、15年目に突然父が死んでしまった。父が死んで6カ月たったある日曜日の夕方、やし酒造りは、やし酒を造りにやし園へ行った。やし園に着くと、彼は一番高いやしの木に登り、やし酒を採集していたが、その時ふとしたはずみに木から落ち、その怪我がもとでやしの木の根っこで死んでしまった。やし酒を運んでくれるのを待っていたわたしは、いつまで待っても彼が戻ってこないし、今までこんなに長くわたしを待たせたこともなかったので、友だち二人を呼んでやし園までにいっしょについていってもらうことにした。やし園に着いてからやしの木を一本一本見てまわり、そのうちに彼が倒れて死んでいるやしの木の根っこをみつけた。(「やし酒飲み」エイモス・チェツオーラ 土屋晢訳)

 

 このやし酒ばっかり飲んでいる男はどうなってしまうのか非常に気になる。アマゾンのカスタマーレビューを読むといろんな面白いことが起こるらしい。

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