過酷な環境に身をおけば、無駄な思考は削げ落ちていく。無駄なことを考えている余裕が無いから、自分に必要なことのみを考えるようになる。
例えば、坐禅では妄想がすぐに生まれてきてなかなか思考を停止することはできないが、きつい山登りだと簡単に思考を停止できる。
きつい登山の場合、心拍数、呼吸、腿やふくらはぎの筋肉の状態、汗のかき具合など、体の内部の観察に神経を集中して登るからだ。
自分の体を観察するから、山登り=瞑想といった感じになる。
地面を蹴り上げ、体全体を支え、収縮し膨れ上がる腿の筋肉に意識を集中していると、たしかにそこに生命が宿っていることを感じることができる。
生きているということは素晴らしいなぁと思える。
無駄な思考は無駄な感情を生み、心を汚してしまう。自分の身体を観察することによって無駄な思考を停止し、落ち着いた心の時間をつくるということが、現代人には必要なのではないかと思う。