私にも、もちろん中学・高校時代があった。辛いこともあったが、おおむね幸せな学生時代だったと思う。バカども達と騒ぎ、笑い、ちょっと切ない恋もした。そんな純粋な友情を育むことができるのも、若いうちだけである。若さゆえの純粋さがそうさせるのだろうし、また親たちの経済的援助おかげでとりあえず生きるための戦いをしなくてもよかったからだろう。
私にも、親しい友人が何人かいる。しかし、ほとんど会うことはない。それは、いま自分自身が生き延びていくのに必死だからである。そして、友人たちも必死に戦っている。会わなくてもわかる。それが親友というものだ。そして、今、彼らのことを考えている。それだけでもこの本を読む価値はあったと思う。
ここに折り目のないまっさらな折り紙がある。それを間違って折ってしまった。その折り目はもう消えない。例えば、あらかじめ鶴の折り方がわかっているのなら、その通り慎重に折ればいい。しかし、誰も折り方を教えてくれない。出来上がった鶴を見ながら、なんとか真似て折るしかない。それは、間違えるに決まっている。傷は残る。
人生も同じようなものである。手探りで進むしかない。だから、必ず間違える。自分で間違え傷つくこともあるし、他人の間違いで傷つけられることもある。
しかし、何回間違えても、いくら傷がついても、鶴は完成できる。諦めなければ。
村上春樹の今回の新作は、復活の物語である。高校時代の親友たちに、突然理由もわからず仲間はずれにされた主人公が、36歳になってその理由を探っていく話である。
友人たちも皆、それなりの成功・挫折があり、それなりの傷を負っている。そして、生きるために必死だ。15年以上会っていないにもかかわらず、ちょっと話しただけで、お互いを理解し合う。その言葉にならない無言の連帯が主人公の心を温める。
物語の登場人物だけでなく、私たちだって、人生の中で忘れることにのできない傷を負わされることもある。戦いは勝つこともあるし負けることもある。死にたくなるほどの絶望もある。
しかし、そこに一本のすがるべき藁があったら、人間は戦えるものだ。その藁を見つけられれば。
なんとなく中島みゆきの歌を思い出した。
ファイト、戦う君の唄を戦わない奴が笑うだろう
ファイト、冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ
人によっては恋愛小説のように読むかもしれないし、ミステリーとして読むかもしれない。どちらにしても面白かった。アマゾンのレビューで酷評している人の意味がわからない。とにかくおすすめする。
PS 小説の中に地元の新潟の三条市が出てきてびっくりした。ちょっとだけどね。