フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

右翼と左翼  人を利用する自己中心的な人、自分を犠牲にして人のために働く人

2013年04月18日 08時37分36秒 | 社会・政治・思想哲学

 最近、ネット右翼(ネトウヨ)という言葉を目にする事が多い。また、メディアや共産党など特定の思想をもった人をサヨクといって馬鹿にすることもある。ただ、使う人によってその意味が微妙に違う。
 一応、私にもそれについて考えがある。しかし、他の人の使う概念とは全く違う。一番影響を受けたのは、「弱腰矯正読本」という本である。かなり衝撃的な本で、私がここ十年くらい読んだ中で一番影響を受けた本である。
 簡単に、定義すると、右翼とは非合理主義者、左翼とは合理主義者である。
 もう少し詳しく言うと、右翼とは自己保存本能よりも自分の信じた価値を優先する人またはそのような考え方(利他的)で、左翼とは、自己保存を図るために合理的に行動する人またはそのような考えかた(利己的)をいう。
 これから、その概念についてちょっと説明してみようと思う。
 
 まず、共同体内部に利己的な人間と利他的な人間がいた場合、その中では利己的な人間が有利である。利己的な人間は人の良い利他的な人間を利用し食いつぶすからである。
 例えば、自分の利益ばかり考える利己的な会社の社長がいて、人のために頑張る利他的な従業員がいたとする。そうすると、会社の社長が、従業員を食い物にして自分の利益を伸ばす。
 しかし、共同体同士の戦いになった場合、それとは逆になる。なぜなら、利己的な人間は自分の利益にならないので戦わないが、利他的な人間は共同体のために命を投げ出すからである。だから、国と国の戦争になった場合、利他的な人間の多い国のほうが強いのである。

 人間はどちらか一方ではなく、本能的にこの利己的・利他的な両方の側面を持ち合わせている。なぜなら、状況によってそれを使い分けないと、うまく生き延びられないからである。
 人間がまだ狩猟民だった頃、数十人単位の部族が移動しながら狩りをしていた。その頃の人間の遺骨を調べると、その13%くらいの人間が戦いによって殺され死んでいたことが、最近の考古学の研究で明らかにされている。これは、数十人単位の部族同士が狩りをしながら、獲物をめぐって激しい争いをしていたことを示している。
 
 本来、人間は利己的な状態が基本である
。自分の命を長らえさせるためには、利己的に行動するのが合理的だからである。しかし、共同体の争いが日常的な場合、先に述べたように、利他的な部分がなければ、部族が消滅してしまう。
 そこで、共同体の団結力を強くするために、利己的な人間を利他的な人間に変えなければならない。そのために、何らかの要素が必要となる。
 例えば、わかりやすいところで、愛情があげられるだろう。愛する家族のために命を捧げるというものだ。しかし、それだけでは足りない。共同体のために命を捧げるように意識を変えるためには、何か儀式のようなものが必要である。それがいわゆる原始的宗教である。どんな未開の部族にも宗教的な儀式がある。その儀式によって、団結力が増し共同体に命を捧げるようになる。そのような利他的な精神状態にもっていくために、音楽や麻薬が使われる。それは、ある種の洗脳である。
 
 私の定義によれば、利己的な人間は左翼的人間を示し、利他的な人間は右翼的な人間を示す。どちらが正しくてどちらが間違っているということはない。先に述べたように、人間には両方の側面がある。
 共同体が安定していている時は、自分の利益を優先させる合理的利己的人間が多くなる。つまり社会の左翼化である。しかし、共同体同士に緊張感があり争いが始まるときには、その共同体は右傾化する。
 現在の日本に当てはめてみれば、それがわかるだろう。

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