東浩紀さんは、僕が敬愛している同世代の哲学者です。
また、羽生さんは誰もが知っている国民的棋士ですね。
この二人が対談するなんて、夢のようなことです。
実際は、茂木健一郎さんが対談しているみたいですが、
茂木さんはあんまり空気を読めない人なので、
東さんが助け舟を出した感じです。
AIは過去の事は一切考えない。
今の状況だけを考慮して、指し手を読みます。
それに対し、人間は過去の流れを意識して、指し手を考えます。
人間は戦略を立てて将棋を指すからですね。
その戦略に沿ったように指し手を考えるから、流れを重視するわけです。
対談の中で、そんな話をしていました。
AIと人間の違いについて、僕が思っていることですが、
その違いは、将来に対しての恐怖心です。
当たり前ですが、AIには恐怖心がない。感情がありませんからね。
それに対し、人間には自分の予測が間違っているのではないかという恐怖心があります。
日曜日に放映されているNHK将棋トーナメントを見たことがありますか?
最近は、ソフトの評価値が出ています。
終盤戦で、ソフトが95対5のように、表示しているときがあります。
95だったら、ほとんど勝ちです。
僕には、その評価値が理解できませんが、AIは何億手を読んでいるので、すでに勝ち筋を見つけているのでしょう。
しかし、トップ棋士でもそこまで読めません。
だから、かなり有利な状況でも、指し手に恐怖心がある。
そして、かなりの確率で間違えます。
将棋が逆転のゲームだと言われる所以です。
だから、人間同士の対局の場合、ソフトの評価はあてにならないんですね。
ソフト的には勝ちでも、人間は必ず間違えるからです。
その間違えるかもしれないという恐怖心と常に戦っていかなければならない。
内緒ですが、ネット将棋でソフトを使って指したことが数回あります(反則です)。
わからないときは、指し手をソフトに聞けばいいので、頭を使うことはないです。
だから、簡単に勝てます。でもまったく面白くありません。
間違ったらいけないという恐怖心もありません。
勝負は、弱い自分(恐怖心)と向き合いながら戦うところに面白さがあるので、
卑怯なやり方はつまらないですね。ゲームとして成り立ちません。
ところで、ニーチェは「神は死んだ」と言いました。
正確に言うと宗教的な神は死んだということで、
代わりに「科学が神になった」ということだと思います。
これからの将来は、量子コンピューターが進化して、
ありとあらゆる日常の出来事が予測できるようになります。
そして、好きと嫌いに関わらず、僕たちはAIを頼るようになる。
見えない先の恐怖に対して、AIが答えを出してくれる時代が、そこまでやってきています。
交通事故の危険をAIの自動運転が予測し回避します。
健康状態を、医者ではなくAIが正確に判断します。
そう遠くない未来です。
大昔、干ばつになると神様に祈って雨乞いをしました。
雨は神様の贈り物で、雨が降らないのは神様の罰だと考えたからです。
雨乞いをした神様が、今ではAIに変わってしまっています。
いつ雨が降るのか、AIが正確に言い当てるようになっています。
僕たちが考えなくても、代わりにAIが考えてくれる世界。
そのような世界で、人間の存在意義は何なのでしょうかね。
茂木さんが、羽生さんに棋士の存在意義を問いただしました。
しかし、それと同じ問いを、僕たち自身に投げかけられる日がやってきます。
茂木さんは、それがわかっているのかな?