フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

身体の状態が心に与える影響

2011年09月16日 09時00分46秒 | 日々の出来事・雑記

 後輩にちょっとうつっぽい子がいて(ブログ読んでるかな)、いろんな薬を持っている。何ヶ月か前にあったときに、睡眠薬のハルシオンとセルシンをもらった。
 寝れない時、ハルシオンを飲んでみたが、個人的に合わないのか量が足りないのかあんまり効かなかった。しかし、この間、両神山にいく前の日、ちょっと興奮状態になって寝れなかったので、セルシンを飲んだらすごく効いた。すぐ寝てしまった。セルシンは精神鎮静剤らしくて興奮していたから効いたのだと思う。
 このように、当たり前であるが、ある物質が身体と結合することによって身体が反応し、その結果精神に変化が生じることがある。最近のうつの治療は、もっぱら薬によってなされている。明らかに体の変化が精神に影響するという考え方で行われている。
 この間、ネットの記事で、糖分を取り過ぎている夫婦は離婚するというものがあった。糖分を取り過ぎるとアドレナリンが発生して、イライラするらしい。そう言えば、確かに、甘いものをたくさん食べた後に怒っていることが多い。また、疲れている時も怒りっぽい。
 精神的に落ち込んでいるときは、ほとんどの場合、疲れているか、体に何らかの異変があることが多い。身体の状態を観察することで、精神的な問題を事前に解決できることがかなりある。

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境界線 2

2011年09月15日 00時00分23秒 | 社会・政治・思想哲学

 前回のブログの続き。
 秩序(コスモス)と混純(カオス)の境界線付近に存在する人々がいる。
 内側の共同体から追放される形で境界線付近に追いやられる者として、犯罪者、精神病者、身体障害者など。
 また、ある目的をもって境界線を行き来する者も。例えば、行商人、旅人などである。
 エントロピー増大の法則が示すように、ほうっておけば世界はでたらめのカオスに向かう。
 世界は原則としてカオスである。ただ、人はでたらめの中では生きられない。だから、そのカオスの海に秩序の支配する共同体を作り出す。しかし、その秩序になじまない人たちは、外にはじかれたり自分から放浪したりする。
 網野善彦の提唱した「無縁」という概念は、否定的な言葉ではなく、むしろ共同体内部の息苦しい縁の世界から逃れ、自由を求めるところに力点がある。このような「無縁」の社会も境界線の周辺に位置するものだろう。
 社会が近代化し、村社会としての共同体が強力な国家となるにつれて、秩序が法律によって規律されるようになる。そうすると、カオスは姿を消し、世界が秩序によって規律されているような錯覚をしてしまう。
 が、世界は原則としてカオスである。ほっておけば必ずカオスに支配される。境界線は見えないが必ず存在している。そして、その外側には私たちの知らない世界が広がっている。

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境界線

2011年09月14日 08時53分26秒 | 社会・政治・思想哲学

 無秩序な荒野に一本のくわが打ち込まれ、小屋が建てられ、耕作が始まる。その周りに共同体が発生し秩序が生まれる。
 その耕作地は、いく世代にわたって労働の結晶として受け継がれていく。そこは、一応、安定し安全な場所である。
 しかし、共同体が広がり安定した村や町ができたとしても、その外側は無秩序なカオスであることにはかわりはない。
 内側の共同体の安全な場所から境界線を越えて外側の未知の世界に足を踏み込んでいくことを、冒険と呼ぶのかもしれない。
 この境界線は、定住して共同生活する人間の意識に深く埋め込まれる。そして、さまざまな文化的現象を生み出す。

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両神山 日向大谷コース

2011年09月12日 18時55分18秒 | 登山

 土曜日に両神山(1723m)に行ってきた。両神山は奥秩父の北側にあり、群馬との県境付近にある山だ。秩父の山はそれほど高くはないが、岩場の荒々しい山が多い。
 両神山は、名前から分かるように、古事記に出てくるイザナギ・イザナミの二神を祭った山である。登った感じとしては、水も豊富にあり幻想的な雰囲気を備えていて
山岳信仰の対象としてふさわしい山だったと思う。
 コースはいろいろあるが、代表的な日向大谷口からのコースにした。ただ、想像以上に少しきつかった。


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 車一台しか通れないような狭い林道を恐る恐る走ると、その突き当たりに、有料と無料の駐車場がある。当然、無料の駐車場に止める。無料の駐車場はけっこう下のほうにあるので、登山口まで少し歩かなければならない。

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 登山口を登っていくと両神山荘がある。前日にここに泊まって朝早く登るのだろう。



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 鳥居があるから山の神だと思う。詳しくはよく分からない。


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 山道はずーっと沢沿いにあって、涼しくて水の音が心地よい。水を2リットルくらい準備していたが、必要なかった。ただ、岩場のところは濡れていて滑るので注意が必要である。


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 さすがに山岳信仰の対象となっているだけあって、いろんな仏像があった。かなり古いもので、表情もさまざまである。
 この山の信仰は神道系で、神さまを祀るはずなのだが仏教的な仏像がある。どうでもいいことだけど、明治時代より昔は特に神道と仏教を分けて考えない神仏習合だったことの現れである。私も神仏習合の考え方が好きだ。



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 八海山ってどういう意味があるのか分からないが、標識があった。多分、行程は3分の1くらいだろうと思う。



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 弘法の井戸。弘法大師というと空海のことである。空海の像はそこら中にあってすごいなぁと思う。ただ、本当にそれだけの所に現れたのか怪しい。空海もどきの人がたくさんいたとの話もある。

 

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 無人の清滝小屋。昔は営業していたらしいが、多分、経営が成り立たなかったのだろう。1700mだと泊りには足りない高さだし、何より交通の便が悪い。ただ、タダで泊まれるとすれば最高の小屋である。綺麗だし広い。二階は立ち入り禁止になっていたが、二階も広い。
 既に奥のほうで昼寝している人もいた。




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 鈴が坂くらいから急坂になる。今回は体力的に余裕があるので、特に問題はないが、周りの人はきつそうだ。




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 鎖がなければ登れないような危険な所が続く。




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 横岩。写真を撮ったものの何だったか忘れた。



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 両神神社。この高さにしては立派な神社だ。
 私たちの先を歩いていた山ガール三人組が休んでいた。明らかに、一人だけヘロヘロになっているので初心者なのが分かる。初心者にしてはきつい山だ。


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 頂上に登る最後の鎖場。けっこう危ない。



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 頂上。岩場の山頂で狭かったが、人がうようよいた。私たちは少し降りたところのベンチで、スパゲティーを作って食べた。



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 帰りは、ガスが出て景色はよく分からなかった。私は縦走に向けて鍛えていたのでけっこう余裕だったが、皆かなりきつそうだった。
 途中の鎖場で先に下っていった山ガール三人組に追いつく。明らかに初心者の一人が鎖場で手こずっていた。「気をつけて」とか「ゆっくりでいいよ」とか「頑張って」と声をかけてやった。特に初心者は下りは怖いと思う。下り終わって、彼女は「脚立にも登ったこともないのに」と言いながら泣いていた。初心者にしてはよく頑張りましたよと声をかけて、私たちは先に降りていく。気持ちはよくわかる。私も最初ちょっと崖があると怖かった。だんだんなれる。なれることがいいことかどうか分からないが、とにかく、そんなに怖くなくなる。山が嫌いにならなければいいなぁと願う。普段、あんまり動いていない感じの体つきでぽちゃぽちゃしていた。彼女が下るとき、別に見る気はなくても胸の谷間がよく見えた。結果的に楽しませてもらう形になった。だからというわけではないが、頑張ってもらいたいと思う。不謹慎ですいません。


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 帰りは温泉に行った。600円。なかなか綺麗な温泉だった。

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王殺し

2011年09月09日 08時39分28秒 | 社会・政治・思想哲学

 王は豊穣の増幅装置であるが、しかしその身体は世俗の規範の外部にあるから、つまり絶対的な他者であるから恐ろしい力をもち、社会から隔離され、タブーで拘束されなくてはならない。そして同時に、王の身体が宇宙のリズムの貯蔵庫であるから、その生命が衰弱したときには、定期的に殺害されなくてはならない。「群衆と権力」

 1Q84に「フレイザーの金枝篇の王殺し」の記述がある。いまいち意味がわからなかったが、なにかあるぞと感じていた。上の記述はアフリカの王殺しについての分析であり、7年ごとに定期的に殺される。

 アフリカの王は、絶対的他者であり、怪物的生命力をもつとされるが故に、絶対支配を行使できる。これは神話的想像力によって正当化された政治権力である。しかし王権は、その即位儀礼を見るかぎりでは、絶対的隷属性を示す。王位候補者が選ばれると、はじめに彼は共同体の全員から、罵倒され、足蹴にされ、汚物を投げつけられ、などの暴力的行為を受ける。これは王権がそもそも汚れていることを示すものであり、本来的には共同体の周辺的存在であり、またその故にいずれは聖なる力をもつことを示すののである。(抗争する人間)

 興味深いのは権力者の絶対的隷属性である。王なのに暴力的行為を民衆から受けることである。そう言われてよく考えると、女王バチはほとんど奴隷状態で子供を産まされている。権力者なのか奴隷なのかよく分からない。
 
 日本の総理が罵倒されて支持率が下がりコロコロ変わるのは、何か王殺しと関係しているのではないかと仮説を立てているのだが、本当のところは分からない。
 内部的に結束力を高めるためには、外に敵がいればいい。小泉純一郎は、中国・北朝鮮や旧体制としての経世会を仮想の敵にして内部の結束力を高めた。うまい手法である。菅直人は小沢を仮想の敵したが失敗した。中途半端だった。
 
 力があるうちは王殺しは行われない。力が弱まると、殺される。それから神聖さと穢れを併せ持つと考えられているのが権力者の特徴である。
 もう少し、深く考えてみたい。

 

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毎日トレーニング

2011年09月08日 09時02分02秒 | 日々の出来事・雑記

 連休にハードな登山をしたくて、日々トレーニングを積んでいる。おかげで毎日筋肉痛である。ランニングしすぎて、左膝が少し痛くなったが、筋トレに切り替えてから少しづつ良くなってきている。
 私は相当精神的に強いほうだが、それでも登山をしてヘロヘロになってくると、弱気になる。だから状態の良い時より、疲れた時の方が本当の自分が見えてくるのだと思う。そんなときにどう振る舞うかが大切である。過酷な状態に身をおくと必ず調子の悪い時に出くわす。私はそんな時、状態が悪いなりにかわしながら転機を待つことが大事だと思っている。
 体を鍛えるよりも、わざとヘロヘロにして調子の悪い時にどうやって体を動かすかを訓練するためにトレーニングしているともいえる。普通の生活の中でも、同じようなことが言えるだろう。悪い時をどう過ごすかが問題なのだ。

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マキャベリから学ぶこと

2011年09月06日 08時59分24秒 | 社会・政治・思想哲学

 マキャベリの君主論をパラパラとめくってみる。確かにそうだと思う反面、多少の違和感がある。その理由は、多分、日本人は、人間を性善説的に捉えているからではないか。マキャベリは、明らかに「人間は生まれつき邪悪である」と考えている。人間は嫉妬、妬み、怒り、憎悪を抱く。人間が社会で生きる限り、こうした情念を抱かざるを得ない。
 ただ、マキャベリはこの邪悪さを非難しているわけではない。そのような邪悪さは、道徳的なことではなく、人間に内在する自然法則の必然だと考えている。雨が降るのを道徳的に誰も非難しないように、人間の邪悪さも、本来、道徳的に避難できない自然法則であるという。
 問題は、人間の邪悪さを道徳的に非難するより、それをそれとしてうまく使いこなすことである。政治的行為は、人間の本質を知り、それをうまく利用する技術だと。
 なるほど。政治だけではなく、いろんなことに言えそうである。人間はそういうものだと考えておけば腹も立たない。

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上野動物園

2011年09月03日 23時24分37秒 | 日々の出来事・雑記

 台風で山に行けないので上野公園に散歩に行った。
 東京国立博物館の空海と密教の美術を観るか動物園に行くか迷ったが、熊が見たかったので動物園に行くことにした。

画像 1261  大仏の顔。すぐ近くに仏像があって写真を撮ったら、そこの宮司か坊主かよく分からないが、そいつに怒られた。上野の寛永寺系と東照宮系は徳川の神社と寺なので、態度がでかく偉そうである。写真ぐらいで怒鳴るなよと思う。宗教はなんのためにあるのかよく考えてもらいたい。

画像 1262  象さん。でかい。

画像 1264  虎。虎はライオンよりかっこ良かったが、思ったより痩せていて可哀想な感じがした。雨で濡れた地面に滑って転びそうになっていた。ちゃんと肉を食べているのだろうか。
 近くにちいさい子供たちがうじゃうじゃいてワイワイ騒いでいた。虎もそれを知っているのか、近くに来てサービスしていた。なかなかの虎だ。

画像 1266  画像 1267  ゴリラ。後ろ姿が逆三角形でかっこ良かった。その写真は取れなかったが。ゴリラは強そうだ。

画像 1270 画像 1272 今日のお目当ての熊さん。正確には日本ツキノワグマ。奥多摩にもいる。ヒグマと違って小ぶりでそんなに怖くない。写真に写っているのは小熊ちゃんで、さつまいもを美味しそうに食べている。アホみたいに可愛い。

画像 1273 画像 1274 画像 1275  くまの親子。

画像 1280  名前を忘れた。雨がパラパラ降って来て音がするので天を仰いでいる。可愛い。

画像 1283  アルマジロ。ジョン・アーヴィングの「オウエンのために祈りを」を思い出す。アルマジロの複製はオウエンの宝物である。

画像 1284 カバの子供

画像 1288 画像 1290  パンダ。まあまあ空いていてゆっくり見れる。くまみたいなのに全然怖くない。変な生き物。

 上野動物園に3,4時間いたけれど全く飽きなかった。また行きたい。小学生以下はタダ。都内の中学生のタダ。面白いから行ってみたらいいと思う。
 個人的には、もう少し馴染みのある動物も飼ってほしいなぁ。ニホンシカとかアオダイショウとかそういう身近にいる動物の生態を知りたい。そっちのほうがリアルに役に立つ。

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