For Crying Out Loud By ギタリスト竹田和夫

ロスアンジェルス在住のギタリスト 竹田和夫
何でも書いちゃいます。For Crying Out Loud !

今日は渡米25周年記念日 最終章

2022年03月18日 | ロスアンジェルスから
2001年9月11日 朝起きたらニュースで俗に言う 911、
アメリカ同時多発テロ事件が起こっていた。 ハイジャックされたジェット機がビルに突っ込んだ例のあの事件、これまで見たことのない光景だった。 うわっ!という感じだったか。

アメリカの社会、アメリカ人の受けた衝撃はすざましかった。
そして、申し合わせたようにどこで誰が用意したのか朝からTVではこのトレードセンターの様子とともに真珠湾攻撃のフィルムが繰り返し繰り返しこれでもかと流れました。 僕の第一印象は、何これ? パールハーバー? なんで?
日本人が関係あるみたいな印象が全米中に、何だよこれ? 

当時僕は自分のグループでValleyのマクレッズという店でJam Nightのホストをやっていました。 週一でたくさんのプレイヤーが参加してとても盛り上がっていました。 ちょうどその日の夜はそのGigがある日でした。
ややもしていると家の電話が鳴り響きます、次から次へと、出てみると仲の良い地元のプレイヤーたちが何故か心配して電話してくれてきたのです。

僕の正直な気持ちはなんで僕が心配されないといけないのか?はてなマークが100個以上飛びまくります、、
” Hey Kaz, Are You Okay?  " Hang In There man!"
だいたいこんな内容です。
要するにこのテロ事件の怒りが日本人に向かっているから気を付けろ、だいじょうぶか?と心配してくれているということです。

その時思いました、、また真珠湾かよ、最初のときが1975年 この時は2001年 Something Never Change,, これは未来永劫 背びれ尾ひれ足ヒレつけて語り継がれるものなんですね。 
仕方無いので自衛のため、この夜のギグ用にコンビニで星条旗を買って持っていき バスドラにくっつけて Americaサイドを主張しました。 友人たちいわく うん、良いアイデアだ。 <何が良いアイデアだ、ふざけんじゃないよ>と思いましたが。
直後にコンビニ店主だったか、リカーストアのオーナーだったかのインド人が殺されました、ターバンかぶっていただけで、、。タリバンのテロリストということですね。

極めつけはその当時Jamにも良く参加していた日本人ギタリストの 中村オサムくんというプレイヤーがいました。 その彼が自分の名前をアメリカ人に言う時 My Name is Osamu といいます(まあ、普通ですね) すると
<何? オサマだって?> と一触即発状態、、下手すると危ないですね、大げさでもなんでもなく ターバンかぶったインド人殺されますから、 で、彼が致し方なく考えたのが オサム- オサミ- サミー となっていったわけです。 怪我の功名で今では Sammy NakamuraのステージネームでTokyoのギターシーンで活躍中です。

おまけは 貿易でアメリカがフランスと仲が悪くなった時期にフレンチフライ不買運動も起こったほどです。 日本でいうフライドポテトのことです。 フレンチフライって名前だけでしょう? あんた馬鹿なの? って話です。

真珠湾を2022年に例にだしてアメリカに悪者退治をせまった レゼンスキー、
君の無神経極まりない発言は多くの心ある日本人すら敵に回しちゃったかもしれない。  でも、もともと調べるとはてなマークだらけの今回のストーリーだし、推して知るべしとも言えるかもしれない。

Nobody's Perfect  Forgive And Forget 

ということでお騒がせしたかもしれないけどこの件、
僕の中ではピリオド打ちます。
 
一日も早く戦争が終わりますように
この世界が平和でありますように
音楽が心を癒やせますように
世界中の人々と言葉を話せない動物たちが幸せでありますように
偉大なる神様の大いなる愛が我々とともにありますように。
John 3-16 Amen 十
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今日は渡米25周年記念日 その2

2022年03月18日 | ロスアンジェルスから
ここまでの経過はPart1からどうぞ。

Part 2 始まり始まり。

もう随分昔の話になりましたが 1975年の冬 僕はニューヨーク州の郊外ウッドストックにあるベアーズヴィルスタジオにいました。 クリエイションの2枚めのアルバムのレコーデイングのために都合1ヶ月近く滞在していました、今思うと随分ゴージャスなことができた時代だったのだと思います。

で、毎晩夕食はこのベアーズヴィルスタジオの近くのベアーカフェというこれ又 いかにもありそうな名前のCafeで食べていました。 当時のベアーズヴィルというところはここに移り住み始めた有名ミュージッシャンも多く また その他のアート関係、リッチな業界人なども多く住んでいて一種Hip でHotな地区になり始めていた場所だったのです。 

で、そこで毎晩夕食を食べるとき周りには、それまでどこかで写真を見たことのあるようなミュージッシャンたちがわんさかわんさいたわけです。月の輪熊のような風貌ですぐわかったThe Bandのメンバーだの 僕は好きだったポール・バターフィールドの姿を見つけて興奮しました。

The Butterfield Betterdaysは当時ベアーズビルにいたんですね。
そのメンバーだったマルダー夫婦とかギターのエイモス・ギャレットか、とか、その後スタッフのドラマーとなり日本ではそっちのほうで有名なクリス・パーカーもいました。 

そんなベアーズカフェ、巨大なハンバーガーに驚いたお店で、まあ、結構我々もその中に溶け込んでリラックスした時間を過ごしていました、なんか、仲間だなあ、と言った感じで、、少なくともあの時までは、、

12月の初めです、いつもは愛想の良い店のマネージャーが我々一同を捕まえてこう言います。

” 君たち、明日はここに来ないでくれ!”

一瞬 僕たちは ”What???”
意味分かんなーい、、と現代の子どもたちだったら言うのでしょうか(笑)
実際は笑えません。
彼はこう続けました、

”明日12月7日は真珠湾攻撃の日だから You達日本人はここに来ないでくれ!”

僕は自分の耳を疑いました。 この1975年が初めの渡米でしたが ここまでなんの問題もなくフレンドリーなアメリカ人と仲良くやっていたつもりでした。
この時点で戦後30年経っていて僕の中では遠い遠い過去の出来事、そういうことはあったけど、もう誰もそんな事言う人いないでしょう? と思っていました。 
なんだよ、The Band カッコ悪いじゃん、アーテイスト? お前らなんだよ?って心の中で思いました。 まあ、彼らがそういったのでは無いのかもしれませんが、、 

ちなみに彼らの名誉のため書き加えますが、その数年後に The Bandのベースプレイヤーのリック・ダンコとは彼が来日したときに友人を介して仲良くなりました。

人種差別のかけらも無い大変良い人たちでした。帰国後わざわざ手紙をくれた程です。あまりいないですよねそういう人は。リック・ダンコ良い人です。  

バンドと言えばギターのロビー・ロバートソン氏も彼が映画のプロモーションで来日したとき一緒にコンサートでプレイしましたが とてもフレンドリーな良い人でした。 

もちろんラストワルツのプロモーションで来たわけでニコニコしているのは当然なのでしょうけど、そしてバリバリのビジネスマンという感じでした。 脱線しました、、

さて、そのとき、マネージャーに真珠湾の日、明日は店に来るな、お前たちJapanese は !!  と言われた話でしたね。

そう、この時すーっと体中から血の気が引いていったことを鮮明に覚えています。 この出来事が自分にとってのそれまでの認識とアメリカでの実際とのギャップを経験していく最初の出来事だったわけです。

次はその後1976年のUS Tourでのことです。 LAでリカーショップにメンバー3人といた時のことです、入ってきた柄の悪い白人達に囲まれ、臭いインディアンがいるなとほぼリンチされそうになって 店のオーナーがショットガンをだして止めてくれました、お前たち早く裏口から逃げろ!とBack Doorから逃してくれて事なきを得たというとんでもない経験もあります。

そしてもっとも凄いのが911の事件のときのことです。 これは今回の真珠湾の件にも近いすざましくも驚いた話です。
Part 3に続く、、、

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今日は渡米25周年記念日 その1

2022年03月18日 | ロスアンジェルスから
ちょうど25年前の今日、1997年3月17日セントパトリックスデイにアメリカに移住しました。 あっという間といえばそうだし、それでもいろいろなことがあったな、体験したな、といえばそうだし、の25年でした。
写真はこっちに来てすぐ走ったRoute66です。
まあ、年齢を重ねると時間の流れがとっても早くなりますね。 やはりアインシュタインは正しかったんですね。

2020年に始まったCovid-19という未知のVirusとの人類の戦い、今年になってロシアがウクライナに攻め入って本格的な戦争に発展、世界中がとんでもないことになっていっています。 自分の人生の中で体験する大きな世界情勢の変化です。

個人的な意見として長年 そうじゃない人にとっては極端なタカ派保守とも取れるようなことをここでも書いてきましたが、今回のロシアVSウクライナの戦いを見ていて自分の中に大きな変化が出てきました。

以前の自分だったら、そら見たか?だから言っただろう? 一日も早く防衛力を強化して強い軍備を持とうと、そして事と次第によっては核武装も必要かもしれないぞ? 憲法は即効新しいものでも作ったほうが良い。
などと以前は思っていました。 ところが今回のことでなんかが自分の中で変わっていくのを感じています。

新たな思いは、、、、どうも人間は本当に好戦的でバカな生き物なのかもしれないぞ? 長い長い人類の歴史の中で洋の東西と人種を問わずずっと戦い続けてきたように思えてきた。そうだ、もしかして人間は平和なんて望んでいないのかもしれないぞ?

もちろん 悲惨な目にあっている市民、罪の無い子どもたちが苦しんでいる姿を見て同情したり そうしている相手に憎しみすら持ってしまう感情も人間の姿でもあります。 でも 実に単純にTVやネットや他人の言うことを信じてしまう一般庶民(自分も入るのですが) ここぞとばかり感情の高ぶりを発露して正義の鉄拳を振り上げる人たち、だって正しいことをしているのだからね、という状態に今なってきているように思えます。

戦争になると人々は生き生きとすると昔から言われています。 ハイになるんですね。 勇ましくなる、戦いですからね。 でも 人間はだから馬鹿なのかもしれませんね。 学ばない、変わらない、何千年も、それでいて大義名分、主義主張、守る家族がいるんだよ、国が無くなっちゃうんだよ?と戦いに行く。

なんか違うんじゃないかと思い始めています。 誤解を恐れず書くなら子供や一般市民はもちろん両国の兵士たちの命、これらすべての尊い命を一人でもよいから失わない方法があるとすれば それはウクライナによる即効の無条件降伏だと思うわけです。 アンコンディショナル サレンダー といいますが、、、

これを少しでも良い条件、コンディショナルサレンダーに持ち込みたくて、そう自分を納得させて、ゼロ戦の露と消えたのが学徒出陣の特攻兵だったという話もあります。 2600年の日本民族の存亡をかけて尊い自分の命を捧げた若者たちの気持ちだったと(なんとアメリカでは)説明されています。

結果は我々の知っている歴史が語ります。 一晩にして10万人の市民が焼け死んだ3月10日の東京大空襲、沖縄での民間人を含んだ地上戦。とどめは2発の非人道的な核爆弾の投下! それでも降伏はしないぞと、まだ本土には無傷の疾風が300機あるじゃないか? 1億総火の玉、本土決戦だ! 竹槍を使うんだ! と、、、その状態を今のウクライナに重ねてしまいます。 まあ、ウクライナは世界中がバックアップ、日本帝国はロンリーバトルでしたけど。

大東亜戦争開戦時の文言が本気だとすると ミッドウエイで負けて その後 山本五十六がラバウルに散って国葬、、このあたりでコンディショナル サレンダーに持ち込めたのではと思います。 どれだけの命が救えたかは計り知れないですね。じゃあ、なぜあそこまで傷を深くしていったのか? 誰がそうしたのか?
日本人は戦後長い間このことに関しては思考停止しているようにも思えます。

ふとそういうことを考えたとき、じゃあ、今回のゼレンスキーの18歳以上の男は国外へ退去禁止、半ば強制的にも思える、市民よ立ち上がって戦おう、外国人も戦いに来てくれ、武器はある(ドイツのパンツアーファスト3、アメリカのスティンガー、提供されてありますね) 
これ1億総火の玉、本土決戦、なんにも変わらないです。 ウクライナの人たちの総意はロシア人を殺すことなんですかね? それとも平和に暮らすことなんですかね? 

現在の米英を中心としたプロパガンダの酷さは常軌を逸しているとおもいます。ほぼ 大本営発表と同じレベルです。  もちろんロシアも負けずに対抗しますが こういうメデイア戦は圧倒的に西側の勝ちです。 もう最初から旧共産国は独裁国ですべてが嘘で固めれているから全部ウソだ、とインプットされていますから。 もちろんどっちもどっちです。 ただ、その西側の一方的な集中砲火を我々日本人は浴びているわけです。

この件で僕は黙っていようとずっと思っていました。 こういうセンシティヴなことは誤解され安いですし、しかし 昨日のニュースでゼレンスキーがアメリカに向けて 911とパールハーバーを例に出してロシアをなじった演説があったと聞きました、今日すでに一部のメデイアではパールハーバーのところは消されて911だけになってました、恐ろしいスピードです、その事自体がメデイアの公平性を疑うに値する歴然とした事実と思いました。

オイオイオイ、、ちょっと待てよ!
冗談じゃない、何が真珠湾だ。 

Part 2 に続く、、、


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