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https://www.youtube.com/watch?v=CZmMQh0Q454
今日はFourth Of July
インディペンデンスデイ 朝方 Bakersfield近くのValleyでマグネチュード6の地震があった。 寝ていて気が付かなかった、、TVつけたら結構騒いでいてわかったわけです。
人類は未だにいがみ合っている。 日本国内ではマスコミが誘導してなのか、結構ガラパゴス時代がもうずいぶん長くて結構独自の世界を貫いている。 それでも平和にやっているんだから大きなお世話かもしれない。 愛国心のない人が多くいることに慣れすぎた日本の人にこの映画はどう映るのかと思ったりした。
良かったらこの映画の予告編見てください。
アメリカはずっと愛国者の集まりの国だから、そこに長く住んでいるとそれが普通、当たり前のことに思えてくる。自分の生まれた国を愛することが悪い事のように教育された我々の世代には愛国心と書くと=右翼 みたいに響くから不思議だ。 教育とは怖いものだ。
昔から日本は独自の価値観と方法を持っていて成功してきているしね。 いまもある意味鎖国しているとはいわないけど、分野のなかにはそれに近い分野もあったりする。それを踏まえてそのほうが楽しい人も多いということかもしれない。 とすると、徳川の鎖国時代はそれなりに成功した時代だったかもしれない。
日本の音楽界は一言では言えない。つまりエンターテイメントとしての音楽、そしてアートとしての音楽、単純に楽器演奏としての音楽、いろいろあるわけだしね。 どこを切って語るかによって評価が変わってくる。でもポピュラー・ミュージックというカテゴリーで言うならサブカルチャーですね。 この分野は相当ガラパゴスですね。つまり良くも悪くも日本だけ日本独自のものです。
< 物事がポピュラーになって底辺が広くなると、何事もそのクオリテイは低くなる >
これは僕の尊敬する”故 中部銀次郎”さんの名言の一つです。
どこかの誰かが嘆いた、
<最近の日本のゴルファーはマナーが全くなっていない>
という苦情に対する中部銀次郎氏の回答です。
これは稲光のような切れ味で僕のハートにつきささってきた名言中の名言です。
本当は、いえいえ、アメリカのゴルファーのほうがマナー悪いです(笑)
ゴルフはイギリスで生まれてアメリカに渡って堕落してそして日本に行って別のものになった。 という誰が言ったかの有名な言葉もあります。 ほぼ賛同します、ほぼね。(笑)
話を戻すと、
< 今の日本の音楽界は全くなっていない、だめだ、プレイヤーも聴衆もレベルが低い、知識もセンスもない、、>などと文句を言う人もいます。
昔は僕もそう思っていたかもしれない。今は全く違います。 較べるだけ野暮。もともと違うものだったわけです。 そしてポピュラーに慣ればなるほどレベルが低くなる。上の法則が働いた結果なのです。 つまり当たり前の話なのです。
<電車の客が増えて混んでくるとマナーの悪いやつもたくさん混ざってくる>これもその一つ。 TV番組がくだらないのが増えるとどんどん同じようなものが増えてくる。 これも同じ法則です。
そしてそういう烏合の衆をまとめて都合の良い方向へ導いて行くのに一番効果的なのが経済、地位、名誉、出世、というインセンテイヴ、つまり馬の人参、引っ張る餌、ですね。 そうか我々はそういう餌につられてここまで来ちゃったのか? そして同じような餌を金科玉条として他人の評価に使っているのか? などと悟るわけです。
それが理解できるとサトリが開けます。サトリといっても偉大だった日本のロック、バンドFTBの曲じゃないですよ(笑)
英語でいうEnlightnment 人と自分の差をとる、その悟りです。
貧富の差、立場の差、知識の差、人種の差、男女の差、経験の差、知能の差、などなど、すべての違いからヒエラルキーをなくすわけです。 共産主義じゃなくてね。(笑)
序列を付けない。 他人との差を取る。 これができると価値観が変わってくる、つまりサトリへの一歩が踏み始め出せると聞きました。 なるほどと僕は思います。なかなかできないし、煩悩の塊のような人間かもしれない、でも理解はできる。だからずいぶん前からアメリカン・ドリームという言葉はあまり好きじゃなくなった(笑)
この中部さんはその生涯をアマチュアで通した日本の偉大なゴルファーです。 どう言うふうに偉大だったか興味があればGoogleでチェックすれば良いと思うけど、まあ、片やの偉大だったプレイヤーは有名なジャンボ尾崎さんですね。 このスタイルの全く違う二人の間にすべての日本のゴルファーが入るのじゃないかと思うわけです。
まあ、ギターに言い換えてみればジョー・パスとジミ・ヘンドリックスの間にすべてのプレイヤーは入る、みたいな例えです。 例えですよ。
これを経済に当てはめると 金持ちと清貧の中にすべての人間は位置する。ということでしょうか? 聖書にある
< 人はパンのみに生きるにあらず マタイ4-4>
という聖句もあります。
しかしながら、下品でもなんでも良いから金くれーーと思う夜があり、
いや清貧こそ人の道と思う清い朝が来たりします。
誠に凡人の自分だったりするわけです(笑)
(注 ジャンボさんはみずがめ座の知性があったと思うし、中部さんは超スーパー大金持ちの御曹司だったわけですから誤解無きよう。)(汗、、)
言いたいことがすべて言えるわけじゃない。
書けるわけじゃない。これも凡人の証拠かもしれない。
話がいろいろ飛び散りまくりました(笑)続きはまたの機会に。
そんなことを思ったインディペンデンスデイの朝でした。
皆様も良い週末を!
Have a nice weekend!
「自分の国」をみて・・・いつも暗澹たる気持ちになるのです。国会議事堂にさえ大日章旗は翻りません。
「国民は存在するのか」。どの国を訪れても国旗が翻っているのに・・・。故郷を忘れた彷徨い人になって。
天皇が一言「国旗に誇りをもつように!!」と仰せになれば民の心も救われるのに。
千鳥ヶ淵の「墓苑」を訪れる度に心痛みます。
もうすぐ夏だと言うのに こちらは雨ばかりで寒いです。
世界的に見るとスーパー異常な現象だと思いますが、そのことすら当たり前になりつつあるのかもしれません。
普通の国というと今が普通じゃないみたいだけど、まあ、そうなると良いですね。
それと深い話を読ませていただきました凡人の私には
中々わからない部分もありましたが中部銀次郎さんの
名言は響きますね・・・プロからも尊敬されたアマチュアゴルファーですよね
ゴルファーの域を超えられてますよね
それでは余震にお気をつけてください!
TADO