77年になり当時の自分達のグループ CREATIONはかなり組織だった動きをしていた、簡単に言うとたくさんの人たちがバンドのために働いてくれていたわけだ、、、いわいるライヴハウスという我々の原点のような場所ではなかなか演奏する機会がなくなってきていた。
その頃日常的にプレイするグループとして ALLSTARSというバンドを作り大好きな曲をプレイしていた、、これは楽しかった、、話は前後するがその頃共通の友人を介して、成毛さんとまた出会うわけだ。
氏の自宅スタジオに遊びに行って、実際始めてゆっくり話をしたのかもしれない。 自宅にも一回泊めてもらったりした。 朝起きて、グランドピアノの前で何か弾いて、色々話をした。 話が音楽理論の話になり、これ知っている? あれ知っている? と聞かれた、、知らないことも多く。とても為になるレクチャーをしてくれた。たしか、自然倍音列とJazzテンションのレクチャーだったように記憶している。
結局、夕方の中華料理は彼がご馳走してくれたことは言うまでもない。 小さな小さな財布に4つ折にした一万円札が入っていたり、、ユニークな面も見せてくれた。
また、当時成毛は日本拳法に凝っていて、自宅の敷地内に立派な道場もあった、そこで裏拳の打ち方なども熱心に指導してくれた。
(*注 ここから、このカッコ内の記述は2023年加筆)
( この日本拳法がその後氏と日本ロック界のゴッドファーザーY氏との決闘事件で披露された。 これは喧嘩ではなく正式な決闘だった。当時パッション満載の両氏はふとした行き違いから反発する仲となり、誤解を解くべく車のヘッドライトを照明に夜の毛利スタジオの駐車場での文字とおりの決闘があった。両者ともすでに他界しているのでここは日本ロックの歴史として、正確に僕が後世に伝えていきたいところだ。 蛇足だが去年プロレスのイベントで久しぶりにあった高中くんと成毛さんの話になり、この話になって喜んでいた。
もちろんその後、Y氏と成毛氏のわだかまりも溶けてお互い認め合う素晴らしい関係に戻ったということも事実です。 なお、本格的にボクシンググローブまで用意されていたこの決闘の詳細は僕のライブで語りますのでぜひ聞きに来るように、笑 リクエストが有れば語りましょうと、宣伝する。)
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続き、、
勿論、それほど長く深い付き合いがあったわけではないと思うが、一つ一つの思い出がとてもインパクトの強いものだった。
近年 日本に私がライヴに行くとよくリハーサルに遊びに来てくれていた。 まだまだ長生きして色々なことが出来る人だったし、誠に残念このうえもないのだが、、考え見ると、クロコダイルで何回か会えて、お話が出来て、、本当に良かったと思う。
( その時の写真を加えました。)
成毛さんの日本ギター界発展に尽くした功績とその情熱、そして数々の名演奏は末永く後世に伝えられていくと確信しています。
もう一度一緒にプレイしたかった、、、。
何がビックリって、竹田さんのこのブログを発見してしまったこと。それと成毛さんが亡くなられたことです。
1975年、中学生だった僕がはじめてグレコの「ニセポール」を買ってもらって、それに付録でついてた成毛さんの教則本とソノシートがロックギターにドップリ漬かることになったきっかけです。
その四人囃子にクリエイション!で完全にはまってしまいました(^^)
今朝も「スピニング・トー・ホールド」を聴いて目覚めたし・・・
僕の世代のロックギター弾きにはお二人は今でも絶大な存在です。
成毛さん・・・すごい才能を失ってしまいました。御冥福をお祈りいたします。
あ、僕はもうギターからは遠ざかっていますが、今はウクレレ・ソロをやっています。自分のブログでも動画をアップしてますので、もしよろしかったら覗いてみてください。
それでは!
僕も中学から高校にかけてグレコギターの成毛さんの教則本とカセットテープで練習してロックギターを覚えまくった記憶があります。特にエフェクターを使わずにアンプのセッテヒングでオーバードライブのやファズのような音を出すテクニックは大変参考になりました。
同時にCREATIONの曲もコピーに励んでおりました。
TVでは成毛さんがシンセサイザーを弾いており、中間では片足を持ち上げて鍵盤に乗せ、ヒューマンボイスの音を出してコーラスしていました。
残念ながらギターを弾いている姿は写真でしか見れませんでしたが、本当に印象に残る方でした。
ご成毛さん、冥福をお祈りします。
あの野音の日々が懐かしいです。