For Crying Out Loud By ギタリスト竹田和夫

ロスアンジェルス在住のギタリスト 竹田和夫
何でも書いちゃいます。For Crying Out Loud !

成毛滋さんの思い出

2007年04月06日 | ギター&音楽 
驚きのニュースが入ってきた。
あの成毛滋さんが亡くなった。 色々な思い出がある素晴らしいギタリストだった。 孤高のチャレンジャーというイメージが強い。 自分にも音楽にもそれは厳しい人だったと思うけど、その人間性は本当に良い人だった。 

始めて成毛さんのプレイを聞いたのは日本中の多くのギターファンがそうだったように、フジTVの勝ち抜きエレキ合戦だった。 フィンガーズというインストバンドのプレイしたヴァイオリンの名曲 <チゴイネルワイゼン>は脅威のテクニックで当時のエレキギタープレイヤーの常識をはるかに上回ってお釣りがくるほどで、それは強力だった。

その後の活躍はギターファンならば皆知っていて、説明の必要なしだと思う。 個人的には十代終わりの頃よくフェステイヴァルや色々なコンサートで一緒になったりした。 今 色々と 記憶の糸を手繰り寄せて思い出していたところだが、、

たしかTVのフィンガーズ以降に始めて実際に氏とあったのは多分、69年に新宿は花園神社の裏にあった当時我々の虎の穴てきな本拠地、、パニックというビートクラブでだったと思う。 

ツノダさんと一緒にきて、何故か誰かの歌ったイエスタデイを弾いていった、私のギターをお貸ししたのかもしれないが覚えていない、その時 エンデイングでFのメイジャースケールをバラバラバラ、、と弾いたのだ、、当時17歳の私の辞書にそのようなものはなく、、内心、、流石のチゴイネルワイゼンだ、、と驚いたものだった、、。 

しかし、驚いてばかりいるわけにもいかないので、私も当時の自分のバンドでがんばってべろべろべろ、、と弾いていた訳だ、、、このべろべろべろ、、とばらばらばらが仲良くなるわけがなく、、当時は知っていて知らない人同士だったように思う。 

その後70年代に入り、たくさんのライヴをご一緒したのだが、一番のベストギグは赤坂のサンラザールというお店で一緒にプレイしたときの成毛さんのプレイだったように記憶している。 盟友ツノダさんと繰り広げたインプロヴィゼイションの極みはそれは強力だった、、、SGスペシャルがいい音、良い粘りを出していた。

第一回目の日本ロックフェステイヴァルというコンサートや日比谷野音の数々のコンサートで一緒になった頃だった、、。
そんな感じで数年が経って行った。

(*注この記事はアクセスも多いのでPart1とPart2を一緒にまとめました。)

77年になり当時の自分達のグループ CREATIONはかなり組織だった動きをしていた、簡単に言うとたくさんの人たちがバンドのために働いてくれていたわけだ、、、いわいるライヴハウスという我々の原点のような場所ではなかなか演奏する機会がなくなってきていた。  

 その頃日常的にプレイするグループとして ALLSTARSというバンドを作り大好きな曲をプレイしていた、、これは楽しかった、、話は前後するがその頃共通の友人を介して、成毛さんとまた出会うわけだ。 

氏の自宅スタジオに遊びに行って、実際始めてゆっくり話をしたのかもしれない。 自宅にも一回泊めてもらったりした。 朝起きて、グランドピアノの前で何か弾いて、色々話をした。 話が音楽理論の話になり、これ知っている? あれ知っている? と聞かれた、、知らないことも多く。とても為になるレクチャーをしてくれた。たしか、自然倍音列とJazzテンションのレクチャーだったように記憶している。 


結局、夕方の中華料理は彼がご馳走してくれたことは言うまでもない。 小さな小さな財布に4つ折にした一万円札が入っていたり、、ユニークな面も見せてくれた。

また、当時成毛は日本拳法に凝っていて、自宅の敷地内に立派な道場もあった、そこで裏拳の打ち方なども熱心に指導してくれた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(*注 ここから、このカッコ内の記述は2023年加筆)

( この日本拳法がその後氏と日本ロック界のゴッドファーザーY氏との決闘事件で披露された。 これは喧嘩ではなく正式な決闘だった。当時パッション満載の両氏はふとした行き違いから反発する仲となり、誤解を解くべく車のヘッドライトを照明に夜の毛利スタジオの駐車場での文字とおりの決闘があった。両者ともすでに他界しているのでここは日本ロックの歴史として、正確に僕が後世に伝えていきたいところだ。 蛇足だが去年プロレスのイベントで久しぶりにあった高中くんと成毛さんの話になり、この話になって喜んでいた。


もちろんその後、Y氏と成毛氏のわだかまりも溶けてお互い認め合う素晴らしい関係に戻ったということも事実です。 なお、本格的にボクシンググローブまで用意されていたこの決闘の詳細は僕のライブで語りますのでぜひ聞きに来るように、笑 リクエストが有れば語りましょうと、宣伝する。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

続き、、

勿論、それほど長く深い付き合いがあったわけではないと思うが、一つ一つの思い出がとてもインパクトの強いものだった。 

近年 日本に私がライヴに行くとよくリハーサルに遊びに来てくれていた。 まだまだ長生きして色々なことが出来る人だったし、誠に残念このうえもないのだが、、考え見ると、クロコダイルで何回か会えて、お話が出来て、、本当に良かったと思う。

( その時の写真を加えました。) 

成毛さんの日本ギター界発展に尽くした功績とその情熱、そして数々の名演奏は末永く後世に伝えられていくと確信しています。

もう一度一緒にプレイしたかった、、、。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« えっと 驚いた、、 | トップ | 6月に、、 »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ビ、ビックリです! (カルロス)
2007-04-06 15:42:19
はじめまして、カルロスと申します。・・・って名前のわりに、れっきとした日本人(^^:)

何がビックリって、竹田さんのこのブログを発見してしまったこと。それと成毛さんが亡くなられたことです。
1975年、中学生だった僕がはじめてグレコの「ニセポール」を買ってもらって、それに付録でついてた成毛さんの教則本とソノシートがロックギターにドップリ漬かることになったきっかけです。
その四人囃子にクリエイション!で完全にはまってしまいました(^^)
今朝も「スピニング・トー・ホールド」を聴いて目覚めたし・・・
僕の世代のロックギター弾きにはお二人は今でも絶大な存在です。
成毛さん・・・すごい才能を失ってしまいました。御冥福をお祈りいたします。

あ、僕はもうギターからは遠ざかっていますが、今はウクレレ・ソロをやっています。自分のブログでも動画をアップしてますので、もしよろしかったら覗いてみてください。

それでは!
返信する
成毛さんの事 (れすぽーる)
2007-05-17 22:05:16
自分も2週間ほど前にギター仲間の友人から「成毛滋さんが亡くなった」と聞いて、えーー!!と思わず叫んでしまいました。
僕も中学から高校にかけてグレコギターの成毛さんの教則本とカセットテープで練習してロックギターを覚えまくった記憶があります。特にエフェクターを使わずにアンプのセッテヒングでオーバードライブのやファズのような音を出すテクニックは大変参考になりました。
同時にCREATIONの曲もコピーに励んでおりました。
TVでは成毛さんがシンセサイザーを弾いており、中間では片足を持ち上げて鍵盤に乗せ、ヒューマンボイスの音を出してコーラスしていました。
残念ながらギターを弾いている姿は写真でしか見れませんでしたが、本当に印象に残る方でした。
ご成毛さん、冥福をお祈りします。
返信する
Unknown (永松一郎)
2023-11-14 01:11:55
僕が成毛さんのことで1番印象に残っているのは、ヒロさんと2人でベースレスのバンド、ストロベリーパスを渋谷のヤマハで観た時でした。世にバンドの数こそ多くあれ、2人だけのバンドと言ったら、リーマイケルズ、アッティラ(後のビリージョエル在籍)ぐらいでまさかアノ成毛氏がベースレスでやるとは信じられなくて、見学に行った次第です。氏は片手にギター🎸片手でハモンドを上手く操っていて、2人でかなりの迫力あるロックを演奏していました。無論それ以前のフィンガーズの勝ち抜きエレキ合戦の優勝も記憶にありますが、とにかく当時は日本で寺内氏や三根氏と1、2を争う名ギターリストでした。その後どんどんロックの方へ進んで、髪もだいぶ長くなって、まるでジミーペイジのようなスタイルの時もありましたね!フィンガーズ〜ジブシーアイズ〜ストロベリーパス〜フライドエッグ・・まさに日本のロックの生き字引でした。。当然竹田氏も良く聴いていましたよ!
あの野音の日々が懐かしいです。
返信する

コメントを投稿

ギター&音楽 」カテゴリの最新記事