アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

アイヌの美しい手仕事展

2024-12-30 23:33:37 | 映画とドラマと本と絵画

  12月の中頃、豊田市民芸館で開催していた「アイヌの美しい手仕事」を見に行ってきました。

  厚司のみ撮影可能。点数が多く、様々な模様と素材の衣装を見ることができました。

   厚司といえばオヒョウ、と思っていましたが、オヒョウだけではなくイラクサで織った素材も。チェーンステッチのようなステッチが施されています。

  藍染の布は、本州からもたらされたもののよう。農業には携わらなかったアイヌにとって、木綿布は暖かくて柔らかい貴重な素材だったと思います。

  撮影はできなかったのですが、同じアツシでも、袖口とか、肩あたりにだけ、花柄のも綿か絹の端切れが使われているものもありました。それも、本州や大陸との交易品として入手したもので、たぶん若い女性たちの衣服になっていたのだとお思われます。布だけでなく当然糸も、赤や青の染め糸が使われていました。

   女性たちの手によって生まれた衣装の数々。美しい。刺繍の模様にはそれぞれ祈りや呪文が込められているそうなのですが、模様の配置や選ぶ布、糸などは女性たちの好みに任せられていたのではないかとおもう。パッチワークのようなアツシは、きっとセンスのいい女性が部落内にいて、彼女のもとにみんな相談に行っていたのではないかしら。木綿や絹の端切れはものすごく大事なものだったに違いないから、どの布をどの部分に持ってくるかについては、きっと悩んだと思います。

   撮影はできなかったけれど、酒箸もたくさん展示されていました。神との供食の折に使われたという長い立派な木箸。アツシ同様、様々な模様が彫り出されていますが、なかには、狐の顔とか動物の頭が浮き彫りされたものも。作る人の技の見せ所として競って派手なものになっていったのかも。

   面白かったのは、首飾り。大きくて丸くあざやかな色の石は、ロシア圏や中国からもたらされたものらしいのですが、中央のペンダント?部分には、刀の鍔とか箪笥の金具が使われているのがありました。貴重な金属に精巧な細工を施したものなのだから、飾り物にしたくなって当たり前かも。

   数か月前から「日本残酷物語」全5巻をちょうど読み進めているところだったので、北海道開拓にまつわるアイヌの人たちの悲惨な歴史に触れたせいもあって、彼らの日常生活に使われていた衣類や道具類が、単なる興味深い工芸品ではなくて、悲劇の色合いを帯びたものとして一つ一つが胸に迫りました。

 

  たまたま、最近読んだ学習漫画。中世以降、和人の力が北海道に徐々に及ぶようになり、何度も大きな抵抗運動が起きました。明治政府の世になってからは「北海道旧土人保護法」の成立によって強制的に日本人化させられました。彼ら独自の風習や儀式の禁止、狩猟やサケ漁なども禁止され、そして強制移住も。アメリカンネイティブと同じ運命をたどっています。

  この日のランチは豊田市駅近くのミネットで。友人に勧められていたフランス料理屋さんです。

   コールラビと大根のポタージュ。

   ポテト、生ハム、チコリのグラタン。

  カモロースのロティとヤマゴボウピュレ。

  どれもおいしかった。バターや生クリームがきつく感じはしないか心配でしたが、そんなことはなく完食。店内の雰囲気も感じがよくて、帰り際には、店主であるシェフが奥様と二人で見送ってくれました。いつもこうらしい。

  野菜料理のおいしいレストランはうれしい。また行きたい。

 

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映画「山の教室」

2024-12-27 14:33:53 | 映画とドラマと本と絵画

   「国民がみな幸福になること」を国是としているブータンの映画。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3_%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%95%99%E5%AE%A4冒頭は草原で歌う女性のうしろ姿。草原に広がる歌声が美しい。

  主人公は、まったくやる気のない若い男性教師。ブータンの首都に住んでいます。奨学金をもらうための義務なのか、教師として5年勤めなければならないのに、4年でギブアップ。教師には向いていないとあきらめ、オーストラリアへの移住に夢をはせています。家族は年老いた祖母だけ。

  しかし政府の要請には逆らえず、残り1年の教職の仕事は勤め上げるしかありません。そんな彼に与えられた任務は、ブータン一小さくて貧しい村、ルナナの学校に冬がくるまで赴任すること。長時間バスに乗りガサという村につきます。そこで村の村長の代理だという男性とその助手らしい男性が、ラバ?に荷物を積んで待っています。主人公は、彼らとともに、この場所から7日間かけて村まで歩きます。

  峠で行われる、旅の無事を祈るためのささやかな祈りの儀式。村人が敬虔な祈りをささげるのを主人公は意に介さず、先に進みます。道なき道を進んでようやくたどり着いたのは、標高4500m、人口56人?の寒村です。村人総出で出迎えて、新任の教師を歓迎するのですが、当の本人にはありがた迷惑。長いこと使われていなかった教室は汚く、窓ガラスの代わりに「伝統紙」が貼られています。教室に併設された彼の住居も同様に粗末。近代的な生活が当たり前の都会で暮らしていた彼には到底耐えられない環境です。すぐに、彼は村長に職を退くことを申し出ます。

  村長たちは、教師を「未来を拓く(だったかうろ覚えですが)人」として尊敬しています。子供たちに教育を施すことが、村の明るい未来につながるとかんがえるのでしょう。その教師に村を出ると言われた村長たちは、落胆しますが逆らわず、彼を町へ送る手はずをと整えます。

  ところがその後、子供たちとかかわるにつれ、彼らの純朴さに次第にひかれていき、彼は冬が来るまでこの村にとどまることにします。ノートすらないので、窓ガラス代わりの紙をはがして、子供たちに配り、街の友人に頼んで、教材や遊び道具、歯ブラシなどの日用品まで送ってもらいます。こうして村になじみ、子供たちとの交流を重ねるうちに、貧しいけれど素朴で心豊かな山の生活が次第に彼には大事なものになっていきます。

   冒頭に出てきた女性は、村一番の歌い手。彼女は彼に、「ヤクに捧げる歌」を教えてくれます。西洋の音楽しかしらない彼には、伝統的なブータンの旋律がしだいに耳に心地よく響き始めます。

   学級委員の女の子が、とてもかわいくてほほえましかった。村の女性たちのはにかみ方、笑い方が素朴で、好感が持てました。もしかしたら彼らはほんとにルナナ村の住人なのかも。昔の日本の女の人たちも、こんなだったと思われました。

   映像がしっかりしていて、退屈するところがありませんでした。必要最低限の内容だけをお互い口にし、あとは表情やしぐさで補っているところが、環境は過酷ではあるけれど、刺激の少ない穏やかな暮らしをし続けてきた村人たちならではの態度なのだろうな、と思わせてくれました。

   ただし、村を囲む山々は温暖化の影響で雪がぐんと減り、村人がじわじわと危機感をもち始めている様子も、ちゃんと描かれていました。秀逸な映画でした。

 

   

   

  

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本日、守綱寺のまちかど朝市に出店します。

2024-12-24 00:40:51 | アンティマキの焼き菓子とパン

  またまた告知が遅くなりましたが、寺部の守綱寺の絵本読み聞かせの会・冬休みお楽しみ会に出店します。お楽しみ会は本堂で。まちかど朝市は、浜縁にて開かれます。

  お持ちするのは、穀物クッキー4種とザクザククッキー、みそ味の米粉ビスコッティ。

  ほかには、シンプルだけどおいしい乳製品卵不使用のアップルパイを持っていきます。

  もっといろいろお持ちしたいとお思っていたのですが、シュトレンの注文をこなすのに忙しくて、タイムリミットとなりました。

  飛騨のあいいろパン工房さん、旭のいのはな農園さんと一緒に出店します。空飛ぶ羊の品も委託販売するそうです。

  お楽しみ会の時間は、10時半から11時半。わたしは10時半少し前に到着の予定で出発します。12時ころまでいる予定です。

  今夜もとても寒いので、明日の朝が思いやられます。しばらく前までの稲武の普通の冬の気温なのですが、このところ暖冬が続いたので、寒さがひとしおこたえます。では、おまちしています。

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明日、設楽清崎のクリスマスマーケットに出店します。

2024-11-30 23:03:00 | アンティマキの焼き菓子とパン

  明日、毎年恒例のクリスマスマーケットに出店します。

  このマーケットは、道の駅したらのすぐちかく、旧街道沿いが歩行者天国になってにぎやかな一日となります。主催は、旧道にてイタリアンモザイクのお店カモミッラ。

  お持ちするのは、まず、この冬初めてのシュトレン。主な材料は、信州産のリンゴと圧搾菜種油で作ったアップルバターと有機栽培の、強力粉、薄力粉、ライ麦粉、強力全粒粉。ラム酒や赤ワインに漬けたレーズンやイチジクも、クルミ、ヒマワリの種も有機栽培の材料を使っています。甘さは国産黒糖と粗糖を控えめに。おなかにもたれないと、毎年好評をいただいています。

  スコーンは、有機バナナとおから入り。スペルト小麦の生地で焼きました。国産有機粗糖をほんの少し加えただけなので、小腹がすいたときにぴったりのお菓子になりました。

  黒ビールケーキもお持ちしますが、実は、ぼんやりしていて計量を間違えて焼いてしまいました。いつもより、黒ビールとラム酒漬けの果物、クルミ、甘夏ジャムが少なめなのです。でも、おいしい。軽いのです。いつもの黒ビール、ラム酒たっぷりの大人のケーキとは違いますが、食べやすい。値段を安くして、売ります。

  穀物クッキー4種はいつも通り。人気のザクザククッキーもお持ちします。米粉の焼き菓子は、味噌味のビスコッティのほか、有機ほうじ茶のクッキーも焼きました。いろいろあるので、ゆっくりお選びください。

  路上ライブは一日。多分、お笑いもあり。地元の方たちも、遠方から訪ねてくる方も、皆わき和気あいあいのマーケット。どうぞいらしてください。車は道の駅したらの駐車場にお停め下さい。

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もりの幼稚園もりのたまごのおまつりに行ってきました。

2024-11-29 00:05:33 | アンティマキ風自然的生活

  先週、もりのたまごの園地でひらかれた、たまごまつりにお誘いいただきました。

  たまごまつりは、一般の保育園・幼稚園でいうところの学芸会とか生活発表会みたいなものなのですが、もりの幼稚園らしさがいっぱい盛り込まれた、たのしい会でした。

  園児たちの登場は、山の上から。落ち葉吹雪(!)を散らせながら、スタッフと園児が登場。観客は、父兄のほかOB親子、近隣のもりの幼稚園のメンバーたちなど総勢約60名。

  年長のもり組の子たちのお店。当てものがあって、景品がもらえます。私がもらった景品は、立派に太ったアベマキの実。子供たちには別の景品が用意されています。

  これが景品。本物の綿で作った綿あめ風のおもちゃもあります。

  三角の旗?は、園で草木染めした布。

  近在に住んでいる、ガラ紡・おぎゅうの里の野々山さん。常々、園児と一緒に綿つみしたり草つみしたりと、深くかかわっています。

   焚火のそばでは、お母さんたちが仕込んだ味噌汁が煮えています。

  歌がいっぱいのたまご。こちらは、たまご祭りの歌です。「村祭り」の替え歌。

  昼食後はカフェタイム。お母さんたちが手作りしたケーキやおはぎ、みたらし団子などがいっぱい並びます。それぞれ値段がついていて(安い!)缶にお金を入れます。小さな子供たち、小銭を握って行列。こういうの、今時めったにできないことなので、いい経験になります。

  とにかく子供がいっぱい。皆元気です。

  お昼ご飯を食べているとき、3歳くらいの男の子が、おにぎりを口いっぱいにほおばりながら、ご両親らしい人たちが座っているテーブルの周りを、満面に笑みを浮かべて走っていました。ぐるぐると、たぶん3周。ご飯がおいしくて、食べていることがうれしくてしかたない、という表情で、見ているこちらもつい微笑んでしまいました。

  しばらくしてふと見ると、テーブルに座ってまた食べていました。むしゃむしゃと。やっぱりしあわせそうに。あとでお母さんと話す機会を持てたので、このことをお伝えすると、「そうなんです。この子は食べることがとにかく好きなんですよ。いつも食べているときはほんとにたのしそうなのです」と。でも彼、食べてないときの顔も、とても幸せそうでした。欲望を抑えるよう強いられることが、過去に一度もなかったのでしょう。

   私も、彼同様、食べることが好きでしたが(子供は普通そうです)、食いしん坊であることに罪悪感を抱いていました。親から「はしたない」と、陰に陽に言われていた(気がした)からでしょう。だから、「食べたい!」とか「欲しい!」とか率直に言えなかった。言える子たちを見ると、心から「そのまま大きくなってね」と言いたくなります。

  おまつりに何をするか、どんなことをして来た方たちに楽しんでもらうか、皆子供たちがスタッフと一緒に考えました。話し合うこと、作ること、失敗して反省すること、みんなどれも大事な経験です。彼らは、とことんその経験を味わうことができる。もりのたまごの園地を訪れるたびに、どの子もみんな、もりの幼稚園とかプレイパークで、いっときは過ごしてほしいと、切に思います。

  はじめての、お祭り参加。ほのぼのした気分で帰途につきました。

   

 

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あした、常楽寺オーガニックご縁市に出店します。

2024-11-16 22:58:32 | アンティマキの焼き菓子とパン

  あした、豊田市下山地区の山寺、常楽寺にて、常楽寺オーガニックご縁市に出店します。

  昨年夏以来の開催。今年9月に開催予定だったのが、台風のために延期になって明日、無事に開かれることになりました。

  回を追うごとに、出店者数も増え、内容も充実。今回も本堂や境内で、様々な催し物が用意されています。【イベント案内】11/17(日)常楽寺オーガニックご縁市開催! - おいでん・さんそんセンター

  詳しい内容は、こちらのインスタで。常楽寺オーガニックご縁市(@goen.ichi) • Instagram写真と動画

  明日お持ちするのは、スペルト小麦とライムギのパンに、久々焼いたローズマリー入りフォカッチャ。こねないパンです。黒ビールケーキも焼きました。

   クッキーは、穀物クッキー4種のほか、ザクザククッキー、みそ味の米粉ビスコッティなどいつものクッキーのほか、岡崎額田の宮崎園の有機栽培ほうじ茶を入れた米粉のクッキーも。こちらは先日新発売したところ。米粉とお茶の相性はやっぱりいい。お試しください。セイタカアワダチソウ入りの塩気が効いたクッキーも少しだけ持っていきます。

   明日は、草木染めの製品も並べます。場所は、入ってすぐ右手の大広間。フランスサヴォワ地方の料理屋や焼き菓子のお店nitta さんも初出店。9月に、アトリエチェルシーでご一緒に展示会を開いた、巣衣みほこさんも独特の手作りの衣装やアクセサリーをもって出店なさいます。

   ではお待ちしています。

  

 

 

 

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本「日本残酷物語4~保障なき社会」

2024-11-05 23:13:38 | 映画とドラマと本と絵画

  「日本残酷物語」第4巻は、明治維新前後の世の中の激変に翻弄される庶民の記録です。

  表紙に書かれた文言は、「「血税」という語に、生血を搾り取られる恐怖を聞いた人々、経済・社会の急激な「御一新」の中で、脆くもさびれ崩れる町、村、家、かつて働いていた保障のしくみを失い、巨大な群が流離の境涯に落ちる」。250年続いた幕藩体制が壊れた後の動揺は、一朝一夕には終わらなかったことがこの本を読んでよくわかりました。

  「村八分の実態 藩政時代の下の農村は、一つ一つの村がみずからの手で自分たちの村を守らなければ、そのなかに住む一戸一戸の生活をすらあやうくする場合が多かったから、人々は自分たちの家を守ると同時に、また自分たちの村を守った。だが明治になって、納税の責任も連帯制を解かれ、人々もまた職業選択の自由がみとめられることになると、村のなかの古い秩序もこわれてきはじめる。村の共有林や共有山野が個人に分割されて、村全体の支えはしだいに影をひそめ、血縁中心の家がその支柱と変ってくる。しかし同族結合の要である本家も、連帯保証の重荷に耐えかねて没落するものが多くなると、村の秩序は混乱をかさね、家と家の対立ははげしくなっていく。そうした過渡期の混乱をもっともよく伝えるのが、村はずし、村八分という現象である」

  本書の中で、わたしがもっとも驚いたのが、この部分。村八分は、江戸時代からずっとつづいているものだと、なんとなく思っていました。ところが実態はそうではなくて、「むしろ共同体的な部落から近代的な部落へと変わってゆく過程で生じたものである」というのです。その理由は「生産プランを中心とした共同体ではその成員をみだりにふやしたり、へらしたりすることはできなかった。それはただちに生産にさしつかえることだったからである。したがって村八分などおこりようはなかった」。

  ところが、幕末から明治にかけて、部落内に新勢力が勃興し、旧勢力との間に対立が起きると、これまで続いていた共同体が完全に壊れた部落だったら、新勢力が勝っておわり。でも、「生産内容にかかわりある面は失われてゆくが、その形式的な側面すなわち冠婚葬祭などの行事慣習がなお保存されているのがほとんどであった」。たとえば、祭りの役割分担とか、葬儀の際の共同作業とかは昔のまま残されており、そうした方面で、気に入らない家をつまはじきすることで、「心理的に十分に苦痛を与えることは可能である。だから村八分は共同体の崩壊過程においてだけ生まれるもので、明治の村などにもっとも生じやすいものであった」。

  余談ですが、現在、共同体としての村がほぼ消えているはずの田舎でも、この記述のように、「擬制的な共同体が形式」として今も残っていると感じることはしばしばあります。わたしはこちらに来て、「村の法律と田舎の法律は違う」と言われ、別の人物からは「郷に入れば郷に従え」と言われました。「八分にしてやる」と脅された移住者もいると聞きます。「形式」すら存続できなくなった集落だと、やっと移住者は半端ものにされることなくすごせる、という皮肉めいた話もしばしば聞きます。こうしたことが、日本の農村の昔ながらのあり方ではなく、崩れかけた共同体だからこそ起きたことがらだという視点は、とても興味深い。

  本書には、なんと20年もの間ある新興の一家が八分にされ続けた話が載っています。八分がなくなったのは、この部落に小学校を作ることになり、小学校の建設費?をすべてこの家が出資してから、とのことです。村に多大な恩恵を施してもらって、いいかえると多額の出資を引き出して、やっと溜飲が下がったということなのでしょうか。ひどい話です。

  禄を失った士族たちの末路もすさまじい。私の父方の曽祖父は、いわゆる「士族の商法」で失敗して食い扶持をなくし、屯田兵として北海道に渡ることを決心した矢先、地元名古屋でなんとか仕事を見つけることができたので、遠い地に旅立つことはしないで済んだと聞いています。屯田兵、北海道開拓というと、見たことのない曾祖父のことをおもいだしていましたが、その実態をはじめて知ることができました。

  封建社会から近代社会へ。前時代と比べたら、住所も職業も選べるようになり、人々の自由度は増したように思えるのですが、内実は、簡単ではなかった。例えば村の共有物がなくなり、個人のものに帰すことで、山に住みながら勝手に薪を取ることができないとか、漁村に住みながら海草を自由に採取できないといった事態が起きました。また、職業選択の自由によって、それまで、下層の人たちが独占できていた仕事を他人に取られることになったりといったことも生じました。

  周防大島で生まれた民俗学者、宮本常一の、曽祖父から彼の父までの三代にわたる一家の辛苦の物語は、圧巻でした。決して平たんでない彼の生い立ちが、後年、彼独特の民俗学を産んだのだな、と納得できる一文です。

  第4巻も、多方面から見ないと物事がわかったとはいえない、ということを痛感する書物でした。次は最終巻。「近代の暗黒」です。

  

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映画「女ひとり大地をいく」

2024-10-29 15:48:07 | 映画とドラマと本と絵画

  「戦フ兵隊」、戦後のニュース映画「日本の悲劇」の監督・亀井文雄の劇場映画。戦後の作品です。

   1930年代、東北の寒村で極貧の生活をしていた一家。宇野重吉扮する夫が、路銀もほとんど持たずに、北海道の炭鉱に出稼ぎに行きます。でも、炭鉱でのひどい扱いに耐えかねているところに落盤事故が起き、彼は行方不明に。

  一方、主人のいない留守宅ではもちろん貧困の度合いはさらに進み、山田五十鈴が演じる美しい妻は、借金取りからしきりに身売りを勧められます。ついに、彼女も夜逃げ。夫が働いていた炭鉱に身を寄せ、炭鉱夫として働きだします。戦時下、男は次々に徴兵され、彼女たち一家に親切にしてくれていた男性も戦地へ。強制連行されたらしい朝鮮人労働者と女性たちが主となり、炭鉱主やその中間管理職たちにひどい扱いを受けながら終戦を迎えます。

  戦後も変わらず、「朝鮮戦争の特需に応じるため」(ウィキペディア)労働者たちを酷使する炭鉱主たちに対して、彼らはようやく反旗を翻します。

  当時の映画で、下層の人たちや戦場を描いた作品のリアリティはやはりすごい。家の中の荒れ方はすさまじいし、着ているものはぼろぼろ。「炭住」と呼ばれていた「炭鉱労務者住宅」は当時の建物そのままを使ったと思われます。

  この映画は、「日本炭鉱労働組合北海道地方本部加盟の炭鉱労働者が1人33円ずつ資金を出し合い、300万円の資金で製作された」そうですが、「シナリオと完成フィルムについては、映画倫理委員会から朝鮮戦争を連想させる箇所はすべて削除か改訂の希望が出され、日本炭鉱労働組合が抗議するなど、対立したが、1953年2月20日、全国で公開された」(鍵カッコ内、ウィキペディア)とのことです。

  ところで、山田五十鈴がこういう社会派の映画に出演していたとは全然知らなかったので、ちょっとびっくり。検索してみたら彼女はこの50年代に「人民女優」とのレッテルを貼られ、レッドパージの対象になったといいます。そのころの代表作がこちらだったようです。

 

 

 

 

 

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もりのようちえん・もりのたまごで草木染め

2024-10-29 14:53:56 | アンティマキの焼き菓子とパン
  今月初旬、もりの幼稚園~もりのたまごで染めの会が開かれました。
   到着早々、アサギマダラを見つけた少年。間近で見られたのは初めてです。虫も枯れ枝も落ち葉も、彼らにとってはみんなともだち。
   この日使った染め材料は栗のイガ。かまどで煮だしたイガはとってもいい茶色系の染料になりました。
   写真は、年少のころから園で染めに親しんでいたS君。3月に卒園しましたが、この日はご両親と一緒に山へ。大人と一緒に模様作りにいそしみ、出来上がったのがこれ。スカーフです。銅媒染と消石灰の媒染のグラデーションもつけて、満足の様子です。
   こちらも面白い模様ができました。
   前夜、突然この日に持っていく布の濃染処理ができているかどうか心配になり、あわてて台所で玉ねぎの皮を煮だし、持っていく予定の布二枚~綿スカーフとエコバッグ~を染めてみました。すぐに、どちらもちゃんと色が入り、一安心。
   玉ねぎ染めした布は、イガの液に入れて、皆さんの染めた色とはちょっと違う色にしてみました。写真左から4枚目と5枚目がそれ。スカーフとエコバッグです。
   みなさん、思い思いの模様が楽しげ。森の中の染めは、やはり気持ちいい。おもいのほか蒸し暑くて汗が出ましたが。
 

 

 

 

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草を採り草を食べ草の話を聞く会秋の部終わりました。

2024-10-27 00:32:39 | アンティマキの場所に生きる動植物

  昨日、初夏に引き続き、今年も草の会秋の部を開きました。講師はいつもどおり、雑草料理研究家の前田純さん。

  今年は、標高600mのこの地でも、これまでにない暑さに見舞われ、草刈りする気が起きないまま季節は秋に。草は伸び放題になっていて、草の庭を訪れるのもおっくうになっていました。か本科の植物が幅を利かせ、小さな草が消えていました。先週、前田さんと友人に草を刈ってもらって、やっと足を踏み入れられる場所に。

  そして昨日、刈った場所には、小さな柔らかな草が日を浴びて伸びていました。たった一週間で変わった庭。彼らは消えたのではなくて、背の高いか本科の植物のはざまで小さくなっていただけでした。

  採取した草や実は、ギシギシ、スイバ、ギシギシ、セリ、ミツバ、カキドオシ、ゲンノショウコ、ヤブ豆、ヒメジョオン、ノギク、クワクサ、ツユクサ、ウド、ムラサキシキブ、イヌタデ、ムカゴ。

  草の名前を知り、特性を知り、効用まで知ると、俄然その草を見る目が変わってくる。扱いが丁寧になる。優しい気持ちでそっと採りたくなる。草の庭の至る所に生えているカキドオシは、糖尿病に効果的だそう。もっとも簡単なハーブ水や干してお茶にするとか、すぐできそう。ギシギシは皮膚にいいとか。何とも思わず日ごろ目にしている草が、実は豊かな力を持っていると思うと、うれしくなります。

  ハウスポニーでは、なんとベニバナボロギクが群生しているのを、前田さんが見つけてくれました! ハッピーマウンテンの牛が嫌うのと同じように、この辺のシカもベニバナボロギクが嫌いみたいです。

  ピザには多種の野草を、スープには、ベニバナボロギクだけをちょっと煮て、あとは花や実をトッピング。

  お茶は、前田さんが持参してくだった数珠玉を炒って煮だしました。



  前日用意したお土産用の焼き菓子は、セイタカアワダチソウの塩クッキーと、ベニバナボロギク入りのあんこマフィンです。



  

  前田さんがお持ちになったクズの芯で作った草鞋。昔、繊維にしたクズの芯の部分は、捨てずにこうしてわらじにしていたとか。釣り人や川漁師には、水にぬれるときゅっと締まるこの履物が、とてもいいのだそうです。

  ガマの茎で編んだバッグ。草鞋もこのバッグも、作り手はどちらもほとんどいなくなっているといいます。

  稲わらだけでなく、さまざまな草を利用して、人々は生活してきました。昔、草は邪魔者ではなかった。参加くださった皆さんには、草摘みそのもの、草だらけの場所にいるそのことを心地よく思ってくださったようで、うれしい限りです。


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