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おーなり由子の漫画は結構好きで、昔よく読んでいました。でも、絵本作家になってからは、たまに買うだけで、ほとんど読んでいなかった。久しぶりに読んだ「しあわせな葉っぱ」。やっぱり、彼女いいなあ。
「ある朝目がさめると 頭に芽が でていました」からお話は始まる。
女子高生らしい女の子が主人公。みんなに自慢しようと勇んで登校するけれど、誰も気づいてくれない。
そのうちこの女の子は、孤独を感じ始めます。
「私の事なんて だれも 見ていないのかな」
そして、
「夢を見ました からだじゅうが 葉っぱになってしまう夢ー」
と続きます。
葉っぱに振り回される日々。でも最後は、巻頭に「かみさま どうか どうか ハッピーエンドに してください」とあるとおりになります。思春期の少女の気持ちが表現されているようで、フフッとほほえみたくなる本。30分もかからず読めます。気分がまいっているとき、つかのまでもうれしくなりたいときにお勧めです。
三河は養蚕が盛んだった土地。稲武も戦後しばらく後まで農家の副業として養蚕が行われていました。今では過去のもののとなった養蚕を将来に伝えようと、稲武の古橋会がまゆっこくらぶを立ち上げ、昔通り蚕を育て糸引きを行い、熱田神宮と伊勢神宮への献糸を続けています。
このほど、稲武地区養蚕・製糸文化伝承事業実行委員会が「蚕に関連した商品開発の参加者募集」を始めました。蚕に多大な興味を持つ友人に誘われて応募したところ、無事通過し、「蚕に関連した原材料を使用した新商品開発について開発費上限5万円」を頂けることになりました。
私と友人が選んだ原材料は、桑の葉と蚕紗。蚕紗とは、蚕の糞のことです。調べてみたら蚕の糞は漢方薬として使われており、染めにも使えることがわかりました。桑の葉のほうは、染めのほか、焼き菓子には何度か使ったことがあるし、草の会ではお茶によく使っています。それで、この二つでの商品開発やワークショップ開催に乗り気になってくれそうな友人たち3人にも声をかけて、「蚕紗と桑の葉利用研究会」を立ち上げました。
まず試したのが、蚕紗と桑の葉を使った染め。蚕紗は、まゆっこクラブからいただきました。
絹と綿の両方を、それぞれ媒染剤をかえて、染めてみました。桑の葉と桑しか食べていない蚕紗では、似たような色ではあるのですが、深みが何となく違う。蚕の体内を通って出た蚕紗は、発酵しているということなのか、色がより深い気がします。
2回目の研究会では、エコプリントとも呼ばれて、近年話題になっているバンダルダイを試してみました。みんなで持ち寄ったのは、桑の葉、蚕紗、ツユクサ、百日紅の葉、栗の葉、琉球藍の葉、アカネ、ログウッド、玉ねぎの皮、マリーゴールド、ターメリック、ハックルベリー、クサギの実。ナスの皮など。
シルクと濃染済みの木綿のバンダナに、好きな材料を散らします。
人それぞれに、選ぶ素材や置き場所が違うのが面白い。
布を半分に折って、キッチンペーパーやラップの芯に巻き付けます。そして上から紐でぐるぐる巻きつけます。私はたまたま人からもらった、布端切れをテープ状に巻いた紐があったので、それを使ちょうどいい具合でした。
大鍋にざるを逆さにしておき、水を張ってそこにまたざるを置いて蒸します。1時間近く蒸してみました。
紐をほどいて中の材料を取り除き、水洗いしてから、媒染しました。
上記、右上と左下は鉄媒染、右下と左上、左の布は、アルミ媒染です。
絹も綿も想像以上によく染まりつきました。
茶色の点々が、蚕紗です。地味ですが、あると複雑さが増します。
前回の研究会の折は、生の桑葉の入ったあんこ入りのマフィンと、オートミールのクッキーを焼きました。今回は、道の駅どんぐりの里で売られていた地元産の桑の乾燥葉を、生地に練りこんでピザを焼きました。トッピングは、かぼちゃとトマトと塩ダラ。なかなか美味でした。ただし、仕込み時に桑の葉を控えすぎたので、次回は倍の量、入れることにします。桑の葉茶には、レモングラスを加えました。桑の葉だけでもおいしいのですが、さわやかさがちょっとプラスされた感じ。
次回はシルクのスカーフを蚕紗で染める予定です。
ところで、稲武地区養蚕・製糸文化伝承事業実行委員会は、同時に「シルクパウダーを使用したシルクフードの商品開発参加者」も募集しました。こちらには、稲武の事業者2店舗が参加。私たちも含めて、採用された事業者は、試作した作品の発表や試食会への参加が義務付けられています。
私たちはまず、来月27日のいなぶふれあいまつりで、上に記した桑の葉と蚕紗のシルク染めのパネル展示と、バンダルダイの展示を予定しています。その後、名古屋金山駅で開催のIKO→MAI、稲武の旧道沿いで開かれている雪み街道いなぶでも、展示と桑の葉入りの焼き菓子の試食会を展開することになっています。
なお、バンダルダイに関しては、蚕紗入りではありませんが、11月6日(水)に、石窯ピザ&バンダルダイの会をどんぐり工房で開きます。こちらは追って告知いたします。お問い合わせは、問い合わせメールにてどうぞ。
久しぶりに、歩きました。といっても、山に登る、というところまではいかずに、ほぼ入り口で引き返しましたが。
場所は設楽町津具。こちらへ行ったのも久しぶり。目指したのは、白鳥山です。ほぼ情報皆無ででかけたので、駐車した場所から山のふもとに至るのに、30分くらいかかりました。でも、道中こんなのを見られた!
竹の花です。友人に言われるまで、ただの枯れた竹林と思っていました。
こちらが穂。120年に一度とか60年に一度とかしか咲かない竹の花です。米の穂に似ているなと思ったら、飢饉の折にこの竹の実を食べることもあったとか。木の皮まで食べていたというくらいだから、事実なのでしょう。
こちらが、白鳥神社の入り口の階段。さほど長くありませんが、一段が高い!
つくばねガシのカクトです。これに実がついて、葉っぱもついていたら、羽子板の羽根?
黒文字を結構見かけました。シカの好物で、食害がひどいと聞きますが、こちらはまだ見つけられていないようです。
こちらが本殿らしい。石段に至る手前に、小さな舞台があり、立て札には、花祭りの神事が行われる、とありました。花祭りは奥三河の古いお祭りで、東栄町や豊根村が有名ですが、津具でも行われていると、そういえば昔聞いたことがあります。
かなりの樹齢のヒノキだそうです。
神社の右手から山に登る道が。水晶が採掘される(された?)山だそうで、盗掘禁止の立て札がものものしい。
今回はここまでで引き返しました。白鳥山登山はまた別の日に。
稲武の近くなのに、山の雰囲気はかなり違います。岩が多い。樹種も違います。落ちている葉はほぼ白樫?
古い杉の木が目立ちます。
アリドオシだそうです。赤い実がかわいい。
駐車場までの道すがら。稲穂が垂れています。驚いたことに、害獣除けの柵がない! 見たのは一か所だけ。それも、低めの柵だけでした。黒文字といい稲といい、獣にとっては好物のものがいっぱいなのに、狙われていないとはびっくりしました。柵がないと、視界が遮られなくて、豊かでいい景色です。
シンガーソングライターとしてデビューし、音楽業界で多彩な仕事で「異才を発揮している」という合田道人の「童謡の謎」(表紙カバー)シリーズの一冊。
「童謡や愛唱歌とされる歌たちの背景に戦争が見え隠れしているものが実は多い。戦争の中で作られたり、戦後の苦しみの中から生まれたりした童謡が今も息づいている。兵隊や戦争といった直接的な言葉や詩がなくても、その裏側に戦争が潜んでいた歌を知るたびに、正面から向き合う必要性を感じた」(まえがき)
たとえば、「うみ」。「海は広いな 大きいな」で始まるあの歌は、昭和16年に教科書に掲載されたという。真珠湾攻撃の年です。この年から、小学校は国民学校という名に変わり、国民学校の一番の目標は、「皇国民の錬成」。その国民学校の一年生が習う歌として登場したのが「うみ」でした。
この歌のどこに戦争が隠されているかというと、3番。「海にお船を浮かばして(当時は「し」だった) 行ってみたいな よその国」
「ここにしっかりと男の子たちの夢が描かれているのだ。・・・早く大きくなって男の子たちは、兵隊さんになりたかった。日本のために戦争に出向きたかった。・・・・海を渡って敵国、よその国に乗り込んで勝利を収めたい・・、そんな心がこの歌を大きく支援していったのである。」
指摘されて初めて、この歌の1番、2番と3番の間に飛躍があることに気付きました。1番、2番の主語は「海」、でも3番は「ぼく」。突然変わっているのです。
明治43年に発表された「我は海の子」も同様。ただしこちらは、実は堂々と戦争を前面に出した歌だったのです。今は3番までしか歌われていませんが、終戦までは7番まで歌詞がありました。
「7 いで大船を 乗出して 我は拾わん 海の富 いで軍艦に 乗組みて 我は護らん 海の国」
「「我は海の子」の本質の意味は、海で毎日泳いでいる元気な子供というものだけではない。海国日本、海軍日本の子こそ「我は海の子」なのである。」
「汽車ポッポ」も出征する兵隊を見送る歌として作られたのだそう。ほかにも、戦中戦後に歌われた有名な童謡の「謎」がいくつも解きほぐされています。
子供たちの心に、じわじわと忍び寄るようにして、戦争を身近なものとさせるための道具に使われた童謡(学校で歌われたものなので、唱歌といったほうがいいかもしれません)の数々。戦後生まれの私たちも全く知らずに歌っていました。
今は、昔の唱歌が音楽の教科書から消えたと聞いて久しい。なんだか寂しいなと思っていましたが、戦争にまつわる歌は少なくとも教科書からは消えたほうがいい。また「じわじわ」来られるのはいやです。ただし、新しく教科書に載った歌が、またまた「国策」に則った歌でないと言い切れるのかどうか、知りません。
全身入れ墨を施した青年の実話。SKIN/スキン - Wikipedia
彼は幼いころ親から虐待を受けて捨てられ、白人至上主義の男に拾われる。男は、「バイキング」と名乗る集団のリーダー。彼ら夫婦のもとで、筋金入りの白人至上主義者として育てられ、黒人、移民、異教徒に対する憎悪に燃える青年になる。全身の入れ墨は、彼の憎しみを象徴しているかのよう。暴力的な集会にも積極的に参加し、テロ行為も辞さない。
しかし、三人の娘を持つシングルマザーと恋仲になり、しだいに人間的な感情が芽生え始めます。その彼を更生に導くのが、偏見で凝り固まった人たちに公平な目を持たせるべく地道な努力を重ねているプロジェクトの黒人男性。当然ながらもとの団体から危険な目に何度もあわされます。
何とか逃れた後、彼は全身の入れ墨を除去。そしてやっと生まれ変わります。
白人至上主義者たちはどんな主張をしているのか、「バイキング」とは何のつもりなのか、彼らはどこから金を得て生活できているのか、といった疑問が残り、描き足りないなと思われるところもあるのですが、アメリカのプアホワイトの現状を多少なりとも知ることができました。
狂気に思えるこの集団のリーダーが、うろついている少年に声をかけ、自宅に連れていきます。少年はそこで、彼らの主張を吹き込まれ、髪を丸坊主にされ、忠誠を誓わせられます。集団に疑問を持ち始めた主人公が、この少年に「なんでついてきたんだ」と聞いたときの答えに驚きました。少年の答えはこうです。
「腹が減っていたから」
アメリカは大変なことになっているなと再認識。そして、これは、子どもの7人に一人が貧困だという日本も、他人ごとではありません。
イギリス・アメリカの合作の冒険ファンタジー「落下の王国」。落下の王国 - Wikipedia
家族とともにオレンジ農園で働いていた少女が、木から落ちて入院。病院内で知り合ったスタントマンの語る嘘話をたのしみに、彼の病室に通う。彼は半身不随の上に失恋。人生に絶望し自殺を図り、少女を使ってモルヒネを手に入れようと考え、彼女をてなづけるために冒険物語を語り始める。
舞台は1915年。映画冒頭の何シーンかのシュールな映像にすぐに惹きつけられました。冒険物語に登場する男たちは、みな何らかの悲しみを抱いていて、決してかなうことのない敵に立ち向かう。砂漠の落日、トルコかどこかにありそうな不可思議な堅固な城、どれも青年の語るファンタジーなのですが、幼い少女はいつしか男たちとともに物語の中で戦いをはじめます。物語を語る青年も、聞く少女も、しだいに物語によって癒され、成長していきます。
第1巻「貧しき人々の群れ」「日本残酷物語1~貧しき人々のむれ」 - アンティマキのいいかげん田舎暮らし (goo.ne.jp)につづく2巻めは、離島、へき地、北海道など、開発の遅れた土地や開拓の始まった頃の土地に住む人々の、想像を絶する苦労の記録になっています。
「離島、マタギ・木地屋などの住みなす山間の地、「新天地」北海道など、かつて粗かった交通・通信の網の目をこぼれ落ちた地域が、列島中に散在していた。そこには、過酷な自然を相手に黙々と闘う人々の暮らしがあった」
島だからといって漁業が盛んなわけではない。港湾の整備がなされていない島では、船の離発着ができないから島の発展は望めない。故郷で食い詰めて島に移住したある男性は、整備に力を尽くし、小学校の設立にも寄与した。でも、島ではよそ者に土地は譲ってもらえず、朝鮮で田畑を買うことができてやっと食うための道が見つけられたと思ったら、結局敗戦で無一物に。島に戻りあばら家で妻と二人で暮らしている。
「みんなよう働き、苦労をして、しかも妻子にも手を取られずに死んだ者が多うござりました。わしゃァ、そいつらの冷とうなってゆく手を何百というほどにぎりました。こんどはわしが手を握られる番でありますが、わしにしてもじぶんらのことを聞いてくれるお人があるとは夢にも思いませなんだ。けれど、話しておるうちに、やっぱり聞いてもらいたかったんだなァということに気付いたのでござります。それでのうて、どうしてこんな書きつけやら証文やらしもうておきましたかのう」
「やっぱり聞いてもらいたかったんだなァ」のくだりに、胸を打たれました。
ある山村では、村の若者の楽しみは、みんなで山に薪取りに行って、そこで肌脱ぎになってお互いのからだに住み着いている虱を取り合うことだった、といいます。男女入り乱れて、虱取りという名目でのいちゃつきが、つかのまの慰安のひとときだったのです。「どぶろく飲んでみんなとしゃべる、楽しみといえばそれだけだったな」といった古老も登場。
山のへき地では、交通が途絶えて塩の供給がなくなると、囲炉裏端に敷いてあるござを刻んで干して、干し柿と混ぜて塩分補給していたという壮絶な話も。「若い嫁の座っていたござはとりわけうまい」(!)という冗談のような話も載っています。
1巻目同様、つい70~80年前ころ前までの日本の、片隅に追いやられた人々の暮らしがいかに過酷なものだったか、ひしひしと伝わる記録集です。さて、3巻目は「鎖国の悲劇」。続いて読もうかどうしようか、思案中です。
5月に続いて、どんぐり工房で石窯ピザと染めの会を開きました。
今回は、インド藍の染め。参加者それぞれ、古いシャツやカーテン、エプロン、スカーフなどをお持ちになって、染め液に投入。緑色になった布が、外気に触れた途端、青色に変わるのを楽しみました。
工房の庭にある、ピザ窯。夏のピザは、ナスとズッキーニをあらかじめオーブンで焼き、チリメンジャコとともにトッピング。トマトソースや染めソースをあえて作らず、トマトの角切りも載せたうえに、青じそジェノベーゼをかけて、チーズ二種を。
初めてのシソジェノベーゼを載せたピザでしたが、好評! バジルほど主張しない味なのですが、それなりによかった。ニンニクとクルミを入れました。
いつもは、インド藍染めの時は模様をつける方がほとんどなので、その模様の面白さに惹かれるのですが、昨日の会では、一人を除いてみな単色を選びました。
洗い終わった布を見ると、素材や染めの回数、織り方によって、青の色が微妙に異なり、まるで紺屋のようでなかなか壮観でした。
模様をつけたお一人は、以前、一緒に蚕のうんこ染めをした友人。うんこ染めをした布に、模様を施しました。
こちらも彼女の作品。青と白の対比が大胆。
インド藍の染めの会は、今週末、24日にも開きます。こちらは染めだけのいつもの定例講習会。まだ若干空きがありますので、どうぞ。シミのついたお気に入りの服やスカーフを再び生かすのに、藍染めは最適の方法です。お申し込みは、どんぐり工房へ。℡0565833838