アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

アトリエチェルシーで、巣衣さんとコラボ展を開きます。

2024-08-15 10:37:17 | 草木染め
 9月3日4日5日の3日間、足助の山あいにあるアトリエチェルシーで、アクセサリーと服の巣衣さんとコラボ展を開きます。
題して、<「草木絲衣」染めと装い二人展>。
 
 アンティマキは、主に周辺の野山で採取した植物で染めた草木染めのスカーフ各種、のれん、布地や端切れなどを展示。焼き菓子類の販売も致します。
9月3日は、わたしの1デイシェフの日といたします。たぶん、ですが、ベジバーガーとベジスープのランチをおつくりいたします。助っ人は昨年と同じく、真理子さん。
 
  午前11時からと午後1時から。それぞれ10人までといたしますので、できれば予約をお願いいたします。ご予約・お問い合わせは、問い合わせメールにてメイルください。
 
  巣衣みほこさんの衣服は、一枚一枚に作り手の深い愛着を感じます。アクセサリーも魅力的。以下、彼女のメッセージです。
 
「@sugoromo_mihoko
暮らしに少しスパイスを。
そんな衣・装身具などをつくっています。古い布、綿、麻、染、自然の恵、異国の風を感じるものなど、土に還るモノづくりを心がけてます。
今回は、貫頭衣、藍染装身具などご用意してます。
アンティマキさんとの初2人展となりますので、少しですが、マキさんの染められた布を使ったものも製作中です。
マキさんの草木染めのストールなども並びますのでお楽しみに♡
山のatelierで皆様のお越しをお待ちしております。」
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「日本残酷物語1~貧しき人々のむれ」

2024-08-14 11:22:24 | 映画とドラマと本と絵画

  本書は1959年から61年にかけて刊行された全7巻が初版。第2版は1972年刊行し、1979年の第8冊を底本として1995年に平凡社ライブラリーに収められました。最近、この本の存在を知り、図書館で借りました。監修は宮本常一、山本周五郎ほか。執筆者は宮本常一を含む22名。

  「これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語である。自然の奇蹟に見離され、体制の幸福にあずかることを知らぬ民衆の生活の記録であり、異常な速度と巨大な社会機構のかもしだす現代の狂熱のさ中では、生きながら化石として抹殺されるほかない小さき者の歴史である」(刊行のことば)

  日本は長い間貧しく、足利時代に訪れた朝鮮の外交使節は、乞食や廃疾者の多いのに驚いているそう。明治にはいって、ヨーロッパの王族が日本を訪れることになり、政府は慌てて東京市中にあふれかえっていた乞食をどうするか頭を悩ませ、その解決策のひとつとして渋沢栄一が養育院を建てたのだそうです。

  「海辺の窮民」の項には、驚くべき話が載っています。国内のあちこちの島や本州の海辺、大きい河川の岸辺の村では、船の難破によって得る食糧、材木、その他の積み荷を頼みにしていたというのです。人の不幸がわが身の幸せになる。それくらい、村が窮していたということです。

  いくつかの村では、まるでその年の米の豊作を占うのと同じように、難船が来るかどうかを占う行事がありました。ひどいところでは、助けを求める乗組員を村人たちが殺し、積み荷を村の収穫物として奪い取ったという記録も残っているそう。

  日本地図を見れば日本という国は山ばかりで中央はほぼ茶色。残りの平地に米を作り、畑を作り思い年貢を納めてかつかつ生きてきたのだなとわかります。こちらに引っ越してしったのですが、大概の家は山にへばりついたような場所にあり、陽当たりはよくない。土地の人がいうには「一番いい土地は田んぼに、二番目にいい土地は畑に、最後に残ったところが家になった」。

  中世から近世にかけての何百年かの間、日本の人口はほぼ横ばいだったといいます。生産は上がらず、食べ物がないので、子どもは育てられない。間引きや幼児殺しはあたりまえに、貧しい人々の間で行われていました。

  それでも、飢饉がくればさらに食べ物はなくなります。人肉嗜食も公然の秘密になっていました。女は女郎屋に売られ、子どもは子守に雇われる。それでもあぶれた人たちが乞食の群れになる。

  ある村で、村の若い衆が一人の女乞食を始終いじめているのを見かねて、おなじ村の正義感の強い青年がいじめをやめさせようと若い衆を説得。そのためいじめはなくなったのですが、そのかわり、女乞食への施しもパタッと途絶えたといいます。女乞食はその青年をなじり、いつのまにかその村から消えたとか。

 映画「福田村」でも描かれていることですが、下層の人たちは、さらにその下に貧しい人がいることが気持ちの救いになっている。貧しい村人にとっては乞食や非人がそのたぐいで、そして非人と呼ばれる人たちにはさらに下の身分としての朝鮮人がいることが気持ちの安定につながっている。この、女乞食をいじめるエピソードの中の若い衆たちも、いじめることによって自分たちが得ている満足感の代償として、彼女にものを与えていたということなのでしょうか。単純に善悪で測れない複雑な心の動きが、垣間見える話でした。

 耕作しやすい狭い平地の田畑では到底足りず、山間地では谷間や山陰の小さな土地を開墾し、代々少しずつ農地を広げてきました。こちらに来てよく見るようになった山陰にひっそりと一枚だけあるもと田んぼ。みな、昔の人たちが鍬や鋤を使って耕した場所なのでしょう。この本を読んで、当時の人たちの苦労がいっそう身に沁みました。

 2巻目は「忘れられた土地」。こちらも読み始めています。

 

  

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森のようちえん・もりのたまごで自然観察会に参加。

2024-08-08 00:04:45 | 小さな旅

  先日、豊田市の森のようちえん・もりのたまごの園地で開かれた、親子対象の自然観察会に参加させてもらいました。

  園地につくとすぐ、子どもが見せてくれた山繭。何者かに食われてはいますが、美しい黄緑色です。糸を引くとなが~い1本になるそうです。

  講師は北岡明彦氏。久しぶりにお会いしました。彼の案内で森を歩くのはとても楽しい。こちらはイヌザンショウ。葉っぱは山椒に似ていますが、匂いは違う。強い匂いではあるのですが、芳しくはない。何かに似ているのに、それより劣っている植物はとにかく「イヌ」がつくらしい。

  アベマキ、だったかしら。木肌が独特。上の方で、たくさんのカナブンが樹液を吸っているのが見られました。

  「今日はセミの抜け殻を探そう!」との北岡氏の声に、子供たちはつぎつぎに発見し、彼が持つ袋の中に投入。子供たち、目ざとい。

   顔をのぞかせただけなのに、この蛙も、子どもに捕まえられました。

   リョウブに巻き付いたサネカズラ。

  こちらはサカキ。神に供える枝として知られていますが、実はこのサカキを備えるのは伊勢神宮系統の神社だけなのだそうです。園地には、ヒサカキの方が圧倒的に多い。姫サカキが詰まって、ヒサカキ。この日サカキを備えることの方が、全国的に見ると多いのだとか。

   こちらは、ヤブムラサキ。ムラサキシキブやコムラサキシキブと同じように紫色の実ができるのだそうですが、葉っぱが違う。「愛知県で最もふわふわの葉っぱ」と北岡氏はおっしゃいます。なるほど、さほど厚い葉でもないのに、ビロードみたいにふわふわ。

   今回、観察会に入れてもらったのは、秋に開く草木染め講習会に使う材料探しのため。これまで使ったのは、杉の葉、杉皮、シラカシ、ヤシャブシ、葛葉、笹の葉。園地内で育つ植物でこれまで使ったことのない植物で、染められるものを見つけたくて、同行しました。

   採取するだけたくさんあって、しかも採りやすいもの、となると結構絞られてきます。今回は、このヤブムラサキとサカキを少しいただいて、とりあえず試し染めしてみることにしました。

   子供たちの取ったセミの抜け殻や昆虫の死骸。アブラゼミ76個! 右端は、外来種の蝶の羽。昨年までは見かけなかったのに今年は発見。外来生物がじわじわこの山中に生育し始めた証拠らしい。

  アブラゼミの雄と雌の見分け方をはじめて知りました。右が雌で、左が雄。雌の方はお尻のほうが縦線になっています。それが陰部?

  ようちえんのある園地は、スギやヒノキの人工林に囲まれていますが、伐採箇所が多いので、どんぐり類や松、ソヨゴ、ツバキ、そのほか種々の灌木類がたくさん育っています。だから、どんぐりや松ぼっくりもたくさん落ちているので、子供たちの遊ぶ材料には事欠きません。

  小さい子たちがしっかり目を見開いて、セミの抜け殻はないか、変わった虫はいないかと探す様子は真剣で、ほほえましい。いつもこの園地にくると思うのですが、「森でうんと遊んだ経験を持っているかどうかが、これからの彼らの人生を決める」と、今回も確信を持ちました。

 

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ハッピーマウンテンで牛のうんこ染めWSを開きました。

2024-08-07 14:25:47 | 草木染め

 8月最初の土曜日、お隣の長野県根羽村のハッピーマウンテンで、草木染めワークショップを開きました。

 ハッピーマウンテンは、山地酪農の牧場。9頭の牛が、山に生えている草を食べて、畜舎に入ることなく外でずっと過ごしています。牧場主は幸山明良さん。7年前から、ほぼ杉やヒノキだけだった山の整備をはじめ、今は絶滅危惧といわれる鳥までやってくる、生態系豊かな森を、牛とともに作っています。

 その幸山さんが前からやりたかったという牛のうんこ染めワークショップ。その講師として参加させてもらいました。

  当日は朝から猛暑。標高1000m近い山だというのに、日差しが強くてつらいほど。

  前日の真夜中に東京を発って、朝5時頃根羽についたというお母さんと男の子3兄弟。彼らは牛が大好きで近県の牧場にはしょっちゅう遊びに行くのだとか。でも、野外での作業は始めてだそうで、さっそく幸山さんから薪割りの手ほどきを。

  牛のうんこ採取へ。こちらをはじめて訪れたとき、牛のうんこが臭くないのに驚きました。彼らが食べているのは山の草だけ。一般の牛舎で飼われている牛は濃厚飼料といって、脂肪の多い牛乳出すため、穀物もふんだんに食べさせられます。そして大きな違いは、運動量! 健康な牛のうんこは臭くないのだと、そのとき知りました。

  うんこの煮だし開始。参加者の皆さんが拾ってきたうんこは、私が前に手でつまんだ乾いたうんことは違ってできたてほやほやの柔らかいうんこ。そのせいか、煮だし始めると、やはり臭い。でも、嗅いだことのある牛舎の臭さとは違い、十分耐えられる臭さです。

  一月前に試作するために持ち帰ったうんことは微妙に匂いも色も違う気がしました。たぶん、食べた草が多少違うのでしょう。根羽はトウモロコシの産地なので、近隣の農家で売り物にならない🌽がこの牧場にやってくることもあるそうなので、そのせいもあるのかもしれません。

  なにせ、普通の哺乳類と違って、牛の反芻能力はものすごい。固い笹もバシバシ食べるくらいなので、煮上がった染め液を濾すのには、ずいぶん時間がかかりました。

  隣の竈で煮たのは、クロモジのチップ。牧場内には、近年価値が急速に認められ始めたクロモジが結構生育しています。

  そのクロモジを細かく刻んだものを染料に。たいして臭くないとはいえ、やはりうんこらしい匂いのする鍋の隣で、ず~っと嗅いでいたくなる品のある香りのクロモジの鍋。こんな取り合わせのワークショップ、めったにないとおおもいます。

  試し染めしたときは、きれいな黄色だったのに、チップの量が多すぎたのか、この日のクロモジの染め液は、ピンクに近い肌色に。

  うんこ染めの方は、濃い草色に。こちらも、試し染めの時よりずっと黄色みの少ない色になりました。ちゃんと浴比をしらべたわけではないので、なんともいえませんが、食べたものの違いが色に出たのかしら。

  こちらがうんこ染めです。

  アルミ媒染は薄め。銅媒染ははっきり草色に。鉄媒染だと暗い草色に。

  クロモジ染めの方は、色合いがはっきり分かれました。右の二枚は同じスカーフですが、右端は銅媒染、手前はアルミ媒染。グレーは鉄媒染です。この色いい。

 上記二枚の写真に写っている数枚の小さめの布は、参加者のお一人が子供さんの夏休みの自由研究にとお持ちになったもの。それぞれ4枚ずつ用意し、豆乳、牛乳、酢、オレンジジュースに浸けた布をご持参。草色のほうが牛のうんこ、肌色のほうがクロモジ染めです。酢やオレンジジュースに浸けた布は染まらないだろうとおおもいましたが、うんこ染めの方は予想に反してうっすらですが色がつきました。実験成功!

  RちゃんとAちゃん姉妹。お姉さんはクロモジ、妹さんはうんこ染めです。

  この日の昼食は、根羽にある村の施設「くりや」内の木村食堂のベジ弁当を頂きました。こんな田舎で、安心できる素材を使ったお弁当が頂けるのがうれしい。

  食後は、牧場内でわんさと生えているベニバナボロギクを使ったクッキーを、みなさんに召し上がっていただきました。

人間が食べても野菜のようにおいしいベニバナボロギク。なのに、なぜか牛は嫌って食べません。そのおかげで、なかなかうまく育たないこの草が、ハッピーマウンテンにはいっぱい。しかも牛のうんこで育っているので立派。そのベニバナボロギクの葉と花をゆでて刻んで、オートミールのクッキーに加えました。

 写真を撮り忘れましたが、クロモジのチップの水出し茶は、とてもいい匂いがして好評でした。

  皆さんが帰り、片付けが終わったあと、根羽のさらに飯田寄りの村、平谷に新しくできたアイスクリーム店のアイスクリームを食べに、幸山さんたちと行きました。場所はひまわりの湯のすぐ前。昔はAコープだった建物です。開いているのは、幸山さんと同じく、山地酪農を平谷の山で実践している林さんご夫婦。牧場の名前はペアツリーファームです。

  草だけを食べて育った牛乳から作られたアイスクリーム。喉のどこにも引っかかることなく、すすっと溶けます。なのに、豊かなコクを感じます。上にかけてあるのは、エスプレッソコーヒー。よく合います。

  牛とともに、この山で1年間寝泊まりしたこともある幸山さん。彼を見つけると牛は我も我もと寄ってきて、彼になでたりさすったり掻いたりしてもらいたがります。彼がいることで、安心して山の生活を続けているように見える牛たち。針葉樹だらけの不自然な森だったこの山が、牛と、整備を続ける幸山さんの手によって、本来の豊かな生態系に生まれ変わりつつあります。糞虫は、肥沃な土壌を作るに欠かせない存在なのだそうですが、いまや世界的に激減しているのだとか。その糞虫がこの山にはあちこちに。この日は、糞虫マニア(!)だという少年が、希少の糞虫を発見したそうです。すばらしい!

  牧場では鶏も放し飼いしています。子供たちは、このひよこに夢中。生き物の温かさ、ひ弱さ、可愛らしさをたくさん学んだようです。

 牛のうんこ染め、初の試みでしたが、参加した方たちはみな面白がってくださり、充実した一日を過ごしてくださいました。また別の季節に、今回とは異なる草を食べた牛のうんこを、いつか染め材料に使ってみたい。

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縄文トイレワークショップに参加しました。

2024-07-30 22:58:39 | アンティマキ風自然的生活

  阪神淡路大震災のおり、私は京都の集合住宅に住んでいました。そのときは大きな揺れを感じただけで事なきを得たのですが、都市で被災することの怖さをまざまざと思い知りました。

  なかでも最も心配になったのが、トイレ。避難所に行かなくて済んだとしても、水は配給され、ベランダで七輪で炭をおこして煮炊きができたとしても、下水道が寸断されたら、どうやって流していいかわからない。自分の自由になる土地がわずかでもあればなんとかなるけれど、コンクリートの駐車場しかない場所で、いったいどうするんだろう。

  こちらに来て、その心配はいちおうなくなりましたが、いざというときのために、敷地内のどこかに簡易のトイレを作れたらいいなと思っていました。

  頻発する地震の折のためだけでなく、敷地内でワークショップなど催す際に、トイレがあったらたすかる。それも、なるべく自然にかえる形がいい。

   先月初め、松平地区で、「縄文トイレワークショップ」がある、と友人から聞いたので、「これだ!」と思ってすぐに申し込みました。

   さて、このトイレ、地面に穴を掘って、小石を詰め、一番上に燻炭をたっぷり撒いてその上に、ペール缶を置いただけのいたってシンプルな代物。

  教えてくださったのは、この方。佐賀からいらした長介さん。

   参加者が持ち寄った小石とその辺の小石。

   便座は木製ですが、なんでもOK. 介護用のプラスチックの便座でも間に合いそう。

  穴を掘り始めます。だいたい70cmから1mくらい。

   途中結構大きな石があったため、子どもだけでやり遂げることはできなかったけれど、相当の深さまで、子どもだけで頑張ってた。

  大きめの石も小石も投入。

  燻炭を広げます。

  最後は細かい炭をしっかりのせます。

  底と側面の半分に穴をたくさんあけたペール缶を置き、便座を載せて完成。

  掘っ立て小屋を建ててもいいし、簡単なテントを置いてもいい。できました!

   このトイレは、おしっこと便を別々にするところがポイント。おしっこは、この間の穴から出ていきます。

  側面の半分だけに穴をあけるのは、前側におしっこが当たっても飛び散らないようにするため。穴の中の小石にじわじわ沁みていきます。

  便は、用を足したら燻炭を撒いて、そのうえに枯葉を置きます。それで、もう全く臭くはないそう。枯葉は次に用を足す人へのエチケット。お次の方どうぞ、という印だそうです。で、ある程度たまったら、堆肥箱にもって行き、草と混ぜれば立派な堆肥が出来上がる、という仕組みです。構造も考えもシンプルです。う~ん、できそう。

  お昼は持ち寄りおかずで。参加者が多かったので、おかずもたくさん。おいしくいただきました。

  教えてくださった長介さんは、月7万円の年金生活をなさっているそうですが、それで貯金ができているという暮らし方をなさっています。トイレはこの縄文式。飲み水は、大寒のころ、タンクにたくさん山の湧水を汲んできて、その水をずっと使っているそう。洗濯や風呂は雨水をろ過したもの。電気はほとんどろうそくで賄っているとか。そのろうそくは、葬儀屋で不要のものをもらってくるそうです。一度使ったらそれで捨てるしかないろうそく。使ってもらえたら、葬儀屋もうれしいと思う。ユーモアたっぷりの彼の話は興味深く、おもしろい。いつかまた、何かのワークショップでこちらに来られることがあれば、また参加したい。

 

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段戸・きららの森へ

2024-07-29 22:25:12 | 小さな旅

  先日数年ぶりに段戸の森~きららの森を歩きました。稲武から40分ほど。標高は1000m近いそうですが、あまり上がってきた気がしません。夏休みなのに、平日だったせいか、人影は少ない。

  急坂の少ない、歩きやすい森なので、あまり頑張らずに木々の姿や草の様子をゆっくり見ることができました。この苔、初めてみた気がします。

 

  左はよく見る苔。右がこの苔。木のミニチュアのような形をしています。絵本に描かれている木みたい。

  ブナの原生林でもあるこの森。ほどよい間隔で広葉樹が茂っています。

   オモダカみたいなスミレ。

  右のキノコが育ちすぎると左の形になる。

   森を歩くと、必ず落ちているのが朴の葉。でも、木の在りかはわからないことが多い。この日は初めて、朴の実も発見しました。葉が大きいと実も大きいのかしら。

  別の場所で見つけた、熟れた実。こんな大きな赤い実、見たことない。

   差し交す枝葉。暑い日でしたが、森の中は爽快。

  ブナの古木。堂々としている。

  枯れた木。何者かがすんでいるかもしれないウロ。

  猛毒の樒。「悪しき実」だからシキミなのだそう。

   これがシキミの実。完熟?の実は、スターアニスそっくりなので、昔、リースの材料にしようとたくさん採ってきたことがありました。でも、猛毒と知ってあわてて捨てました。

  通り道をふさいだ?大木の倒木。人間はこんな風に工夫して、楽に通れるようにしました。

  頂上にある、ブナの門。しっかと大地に立っている姿が頼もしい。

  道々、夏椿の花が落ちているのを発見。むかし、京都の大きなお寺の塔頭で、「沙羅双樹を愛でる会」とかいう名のついた催し物があって、参加したことがありましたが、あれは夏椿。釈迦の入滅した場所に植えられていた「沙羅双樹」とは別物だとは、最近知りました。花の見ごろにまた訪れたいと思いましたが、夏椿はひょろひょろと丈が高いのが多いので、満開の花を見るのは難しいかもしれません。

  「きらら」という名前は、雲母(きらら)があることから名付けられたらしい。道々、これが雲母かな、と思われるようなキラキラ光る石を何個も見つけました。面白い石がないかと探しに川岸に下りた、少年。

  これも倒木。根っこがこちら側になって倒れています。その根っこから、いろいろの木々が育っています。

   こういうのは沢というのか、こちらにきて山を歩くようになってよく見ます。でも、この場所のように、陽の光が差し、木々の葉の向こうに青い空が見える景色はなかなか見られません。たいていは、うっそうとしています。国定公園だから手入れが行き届いているのか、気持ちのいい光景です。

   この日は2時間くらいゆっくりゆっくり歩きました。久しぶりの山歩きでしたが、筋肉痛はなく、心地よい疲れだけが残りました。ただし、足助に下りてきたら、突然陽の光がまぶしく、空気も暑苦しく感じました。

   高い山には登れませんが、ほど良く歩ける場所は、このあたりにはいろいろあるので、わたしのような運動不足の人間でもなんとか若い友人たちについていけます。さて、来月はどこにつれていってもらおうかしら。

 

 

 

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あしたは豊田市寺部の守綱寺で出店します。

2024-07-22 22:52:26 | アンティマキの焼き菓子とパン

  寺部の守綱寺で毎月二回開かれている、絵本読み聞かせの会。あすは、その、夏休みお楽しみ会です。いつもは10時半から11時までですが、明日は10時半から11時半まで。アンティマキは、10時半過ぎころから、浜縁にて販売を始める予定です。たぶん、12時過ぎまでいるとおもいます。

  お持ちするのは、穀物クッキー4種、オートミールのざくざくクッキー、金柑の甘煮のスコーン、熟柿のマフィン、おからのガトーショコラです。

  ガトーショコラは久しぶりに作りました。いつもより生姜多め。夏向きにしました。冷やしてお召し上がりください。冷凍してもおいしいケーキです。

  稲武もだいぶ暑くなりました。でもまだ、扇風機をちょっとかけるくらいで、収まっています。ありがたいのは、木々を通る風の涼しさ。この風があるから、なんとか過ごせています。

  あしたは、飛騨からパンのあいいろ工房、旭からいのはな農園が出店。市街地の暑さはこちらとは比べ物になりませんが、寺の本堂や浜縁に座ると、たちが高くて大木が多いせいか、さほどの暑さを感じません。夏休みの一日をどうぞ、にぎやかで心地いい場所でお過ごしください。

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あそびまNAVI(旧ガキ大将養成講座)で藍染め講座を開きました。

2024-07-20 23:08:46 | 草木染め

  一昨年から、ガキ大将養成講座の拠点さくら村で、スタッフの育てたタデアイを使った染め講座を、毎年この季節に開いています。

   こちらがさくら村。子供たちの発案と力で作られた遊具がいっぱい。

   到着と同時に遊び始める子供たち。彼は保育園の年中組。「行けるかな」「やれた」「どうかな」などなど、ひとりごちながらほぼ3分の2の高さまで登りました。

   さくら村近くの畑で、親子で刈り取った藍。今年は例年より生育が遅く、雨も多かったので、葉の状態がいつもより小さめ。でも、みんなで染めるに十分な量収穫できました。

   まず葉っぱをちぎり、必要量を集めます。

   ミキサーでやればすぐに終わる作業をみんなでもみもみ。よちよち歩きの赤ちゃんもお手伝いしてくれました。

   十分繊維が壊れてもみ終わったら漉して水を入れ、ソーダ灰とハイドロサルファイトで調整。しばらく置いておきます。インド藍の染めと違って、畑で採れた藍草で染める場合は、普通の草木染め同様、出る色合いは、植物の状態に大きく左右します。今年は、葉の色が心なしか薄いような気がするので、薬剤の量がいつもと同じで間に合うかどうか心配。それで、ちょっとだけ布を液に浸してみると、案の定、緑色にはなっても、青に変わりません。心配しつつも昼食を食べ終え、とにもかくにも一時間後、布を入れて見たら・・・

   試し染めしたときよりかなり緑色が濃くなりました。そして10分後。空気に当てると水色に変わりました。しっかり水色が出た後、再度藍液に。そのあとは絞った直後、みるみるうちに青色に変色。

   出来上がりました。いつもより薄めの青ですが、美しい。

   木々の緑に映える青、今年も何とか生まれました。

 

   

 

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映画「コスタリカの奇跡」

2024-07-01 00:54:19 | 映画とドラマと本と絵画

  1948年に軍隊を廃止した中米の小国コスタリカ。この国の稀有な歴史を、多方面から描いたドキュメンタリーです。監督はアメリカ人。

  軍事費が不要になったお金を、社会福祉や教育に回し、国民の幸福を目的にした政策がつぎつぎに実施されました。自然保護も政策のうちの重要な課題です。

  コスタリカが軍隊を廃止するに至った経緯には、驚きました。社会民主主義的制度がほぼ整ったのは戦前。その後、最初の民主的体制を整えた大統領が選挙に敗北したにもかかわらず政権に居座り、国は混乱。そのときに武装ほう起した人物が、のちにドン・ペペと親しみを込めて呼ばれるフィゲーレス。彼は民主主義革命を志す他国の兵士たちと共に戦い、政権を奪取します。そして武装解除へ。

  その後のコスタリカは、アメリカからさまざまな圧力をかけられます。アメリカ側につく政治家も当然ながら現れ、政権はたびたび揺れました。でも、たゆみない外交努力により、軍隊を持たずして中立を保ち続けました。数々の国際条約に加盟し、国際的な信頼度も増しています。

  ウクライナ戦争が始まって以来、戦場の映像を見るたびに、悲惨とか残酷とかどちらが悪いとかいう気持ちや考えとは別に、「とにかくもったいない!」という気持ちが常にわきます。弾丸一発いくらかわからないけれど、お互い一回の戦闘でものすごい費用が吹っ飛んでいるはず。そのお金を有用に使う方法はいくらもあるのに、土地を蹂躙し、建物を壊し、人々を不幸に追いやる。戦争はなんてもったいない行為なんだとおもいます。ましてや、抑止力という名のもとに、国民の幸福をさておいて軍拡競争に血道を上げるなんて、さらにもったいない。

  映画を見て、私の素朴な気持ちを政府の方針として実現した国がこのコスタリカなんだな、とおもいました。すごい国です。映画の制作時は2015年。他国同様に、多国籍企業の進出による富裕層と貧困層の格差はどんどん拡大していることも、映画はきちんと取材しています。いまはさらに国際情勢が複雑になり、軍備を持たないことへの不安が国民の間に増大することも懸念されます。でも、映画の中で描かれたこの国の人達は、自国の歴史に誇りを持ち、行きとどいた教育の成果が大きいと私は思うのですが、議論をいといません。理性的な話し合いのできる人々なら、きっとよりよい道を探すことができるのではないかな、と期待を込めて思います。

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本「国民は知らない「食糧危機」と「財務省」の不適切な関係」森永卓郎・鈴木宣弘著

2024-07-01 00:02:05 | 映画とドラマと本と絵画

  本書の3分の2は二人の対談。あとの3分の1は鈴木氏の文章という構成。帯には、「アメリカの言いなり 「ザイム真理教」が 日本人のほぼすべてを 餓死させる 悪夢のシナリオ!」「資本主義の限界、記録的猛暑、国際紛争・・・そして、日本で最初に飢えるのは東京と大阪!」・・扇情的な文言が踊っているように思えますが、読み進むにつれ、大げさな文句などではなく、これが今の現実なのだと、ひしひしと感じます。

  「鈴木 日本でわざわざ食糧を生産しなくていい。海外の安い農産物を輸入するほうが効率的なんだと、そういう考えの人が政府の議論を仕切っています。実際には中国の爆買いや、円安の悪影響で、輸入も簡単ではなくなってきている。・・・・本当に有事になれば、有事立法を作って、食糧の配給制などを実行することになるでしょう。机上の計算では、お花畑を潰してイモを作り、一日三食芋を食べていれば、なんとか一日二○○〇カロリーは賄えるはずだと。

森永 お花を育てている農家が、「そんなことできるわけねえだろ! 農水省はバカじゃねんのか?」と怒っていましたよ(笑)。」

  政府の方針で、水田を潰して畑地にしていることにも言及。でも、日本の備蓄米は他国に比べるととても少なく、やっと20日だったか2か月だったか国民が食いつなげるしかないそう。それでも、24年ぶりに改定する(された?)「食料・農業・農村基本法」の「議論の内容を見て驚いた。・・・食糧自給率という言葉すらでてこないのである。」と鈴木氏。続けて、上記の、悪い冗談のような政府の考えに対して、鈴木氏は具体的に持論を展開しています。

「政府が何を言いたいのかというと、このままの状況が続けば、日本国内での食糧生産業者はどんどん潰れていくが、それに対して抜本的に何かを変えようという議論はしたくない。「平時」は輸入でいい。だが平時ではない状態「有事」になると輸入はできない。だから有事に対応する法案だけは新たに作るということだろうか。」

  それが、花き農家に、いざとなったらサツマイモを植えろ、ということになるらしい。農業にド素人の私でも無理な話と思うことを、官僚や政治家たちが法律として施行しようとしているとは、嘘寒くなるはなしです。

「日々一生懸命に食料を作っている農家には何の支援もしない。食料は輸入し、農家はどんどん潰れればいいという政策を取っておきながら、有事には国の命令に従ってサツマイモを作り、国のために供出しろというわけだ」

 本はだいたい寝る前に読む習慣なのですが、この本を読んでいると、つい苛立ちや怒りで目が冴えてしまい、困りました。

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