デンゼル・ワシントンが黒人弁護士を演じるこの映画、アメリカの暗い部分がまたもやど~んと胸にきました。
主人公は不正をただし、正義を貫くことを標榜している人権弁護士。大学時代の恩師が経営する弁護士事務所で働いています。しかしある日突然恩師が植物状態に。事務所は途端に閉鎖となります。就職活動に失敗した彼は、大学の後輩の働く大きな弁護士事務所に、意に反して働くことに。そこで、しだいに自分の理想が現実に到底立ち向かえないことを感じ始め、絶望します。そして、知りえた情報で大金を手に入れ、それまでの生き方を180度転換。異質の存在だった彼は、後輩の事務所の弁護士仲間と同様の、金のために働く弁護士に豹変します。しかし・・・
「12人の怒れる男たち」をはじめとして、アメリカの裁判映画や弁護士が頑張る映画は、たくさん見てきました。いずれも、理論をとうとうと述べる弁護士や陪審員、ときには検事たちが数々の困難を乗り切り、最後は勝訴する、という話だったと思うのですが、その裁判が、今のアメリカでは形だけしか行われていない!ということを、この映画で初めて知りました。ほとんど司法取引で解決してしまう、というのです。
この映画の主人公は、司法取引で解決する現状を打破し、きちんと裁判所で解決すべきだというあたりまえの認識をもっています。そして、大量の資料を作成して、司法取引の違法性を証拠立てて裁判所に申し立てる準備をしています。彼がいつも持ち歩いている大きなカバンには、その大量の書類がはいっています。
被告の弁護士と検察官の間で取引するこの制度、裁判にかかる費用や時間を節約するというメリットもあるのですが、可視化されない分、えん罪も多そう。なにより、万人に分かる形で決着がつけられないことが怖い。人々がだんだん法律を信用しなくなるのではないかともおもいます。
以前知り合いだった弁護士が、「日本の弁護士は弁舌が下手でもやれるのです。裁判所でとうとうと主張する、という必要はまずないのでね。アメリカみたいじゃないのですよ、日本は」というのを聞き、驚いたことがありますが、この映画を見る限り、アメリカの弁護士も、近ごろは裁判所で弁舌を奮うということが減ったのではないかしら。この映画、最後は希望が見えたけれど、しばらく暗い気分が消えませんでした。
主人公は不正をただし、正義を貫くことを標榜している人権弁護士。大学時代の恩師が経営する弁護士事務所で働いています。しかしある日突然恩師が植物状態に。事務所は途端に閉鎖となります。就職活動に失敗した彼は、大学の後輩の働く大きな弁護士事務所に、意に反して働くことに。そこで、しだいに自分の理想が現実に到底立ち向かえないことを感じ始め、絶望します。そして、知りえた情報で大金を手に入れ、それまでの生き方を180度転換。異質の存在だった彼は、後輩の事務所の弁護士仲間と同様の、金のために働く弁護士に豹変します。しかし・・・
「12人の怒れる男たち」をはじめとして、アメリカの裁判映画や弁護士が頑張る映画は、たくさん見てきました。いずれも、理論をとうとうと述べる弁護士や陪審員、ときには検事たちが数々の困難を乗り切り、最後は勝訴する、という話だったと思うのですが、その裁判が、今のアメリカでは形だけしか行われていない!ということを、この映画で初めて知りました。ほとんど司法取引で解決してしまう、というのです。
この映画の主人公は、司法取引で解決する現状を打破し、きちんと裁判所で解決すべきだというあたりまえの認識をもっています。そして、大量の資料を作成して、司法取引の違法性を証拠立てて裁判所に申し立てる準備をしています。彼がいつも持ち歩いている大きなカバンには、その大量の書類がはいっています。
被告の弁護士と検察官の間で取引するこの制度、裁判にかかる費用や時間を節約するというメリットもあるのですが、可視化されない分、えん罪も多そう。なにより、万人に分かる形で決着がつけられないことが怖い。人々がだんだん法律を信用しなくなるのではないかともおもいます。
以前知り合いだった弁護士が、「日本の弁護士は弁舌が下手でもやれるのです。裁判所でとうとうと主張する、という必要はまずないのでね。アメリカみたいじゃないのですよ、日本は」というのを聞き、驚いたことがありますが、この映画を見る限り、アメリカの弁護士も、近ごろは裁判所で弁舌を奮うということが減ったのではないかしら。この映画、最後は希望が見えたけれど、しばらく暗い気分が消えませんでした。