家内と一緒に上海大腸麺を食べに行った。
上海市内の老西門付近にある地元では知られた店だそうで、店はきたないが味はうまいという典型的な名物ラーメン店だった。
大腸麺の店は道路沿いに面した建物の半地下にあった。上海は昔の西洋式建築があちらこちらに残っている。この店が入っている建物も昔風の作りで、道路沿いは半地下式になっていた。その半地下の店舗に中二階を作り、中二階に八席、一階に五席のテーブルを設けている。店はごく狭い。店のなかには「原料の大腸が三〇%値上がりしたので、当店も値上げします」などと大きく張り紙してあったりする。隅のテーブルには、切った豚の大腸が大きなボールに盛ってあった。
ちょうど昼どきとあって、店は満員だ。店のなかにテーブル待ちと持ち帰り待ちの行列ができていた。
「ここで食べる人は先に席についてね。注文はその後だよ」
女将さんはぶっきらぼうに言い、スープなし麺をビニール袋に入れて持ち帰りの客をせっせとさばく。僕らは半地下の一階テーブル待ちの行列に着いたのだが、前に数人しかいないのに、なかなか席につけない。二十分ほど並んでようやく坐ることができた。
テーブルについて、なぜ行列が前へ進まなかったのかわかった。注文しようにも、店員がまともに取り合ってくれないのだ。僕らの十五分ほどまえにテーブルについた女性の二人連れはまだラーメンがきていない。きていないどころか、注文もできていない。ずっと席に座って待ったままだ。
中二階の席も待たされっぱなしの客が多いと見えて、時々客がおりてきて、
「もうずいぶん待ってるんだけどさあ、いい加減ラーメンを出してくれよ」
と催促したりする。すると、いかにも頑固そうな丸刈り頭の大将が、俺は忙しいんだというオーラを全開にして、
「最低三十分は待ってもらわないといけないわな。待ちたいなら待てばいいし、待てないんだったら帰ってくれて結構だから」
とうるさそうに言い、厨房へ引っ込んで大腸麺を作り続ける。
さすがにぶっきらぼうな女将さんもドン引きな様子で、「あんた、客につっけんどんにしちゃだめよ」とたしなめていた。
「なににするの?」
ようやくおばちゃんの店員が聞いてくれた。
「大腸麺に烤麬(麬(ふすま・小麦の糠)をスポンジ状にしたもの)を入れてね」
家内は注文する。けど、それが厨房へ通った様子はない。女将さんはあいかわらず持ち帰りをさばき、店員は忙しそうに大腸麺の碗を中二階へ持っていく。十分ほどして、おばちゃんが、「なんだったっけ?」と再び訊き、
「大腸麺に烤麬を入れてね」
と、家内は同じ注文を繰り返す。
それでも、大腸麺はやってこない。家内は「しょうがないわね」と諦め顔で待っている。僕ものんびり待つことにした。
待っているうちに、おばちゃんが隣の二人連れの女性客に注文を訊いた。女性客はすかさずお金を渡し、おばちゃんが受け取った。すると、一分も経たないうちに大腸麺が二つ出てきた。
――なるほど、そういうことなのか。
僕はようやく合点がいった。
この店の仕組みでは、店員が注文を聞いただけでは、注文にならない。店員が注文と同時にお金を受け取ってはじめてオーダーが通る。店員がお金を受け取るかどうかは、その時の店員の気分次第。「ずいぶん待っているようだから、そろそろ大腸麺を出してあげなくてはいけないな」という気分になった時、はじめて店員はお金を受け取り、正式にオーダーを通すのだ。
狭い店の限られたテーブル席なのだから、さっさとラーメンを出して回転を上げたほうが儲かるだろうと思うのだけど、それをいってもしかたないのだろう。
おばちゃんが三度目に僕らに注文を聞いた時、彼女はお代を受け取った。案の定、すぐに大腸麺が出てきた。
大きな器いっぱいに中国醤油で甘辛く炒めた豚の大腸と烤夫がのっている。スープは醤油味。おいしい。店に入ってから四十分も待ったから、お腹もじゅうぶん空いている。僕はがっついて食べ、大腸と烤麬を残らず平らげた。家内はさすがに量が多いと三分の一くらい残した。
食べ終わった僕らと入れ替わりに行列の二人が坐った。さてさて、彼らは正式にオーダーを入れるまで何十分待つことになるのか?
(2016年4月6日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第350話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/