風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

三峡下りの死体(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第353話)

2017年05月07日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 三峡下りは中国の数ある観光名所のなかでも特に有名なものだ。
 重慶から観光船に乗って長江の上流を下る。三峡の渓谷は長江の両側に険峻な山が連なりとても神秘的だ。
 家内は二十数年前、一九九〇年代の初めに行ったことがあるそうで、とてもきれいでよかったと言っていた。僕は残念ながら、テレビで何度も見て一度行きたいなと思いながらまだ行けないでいる。
 ある時、上海在住の日本人のおじさんたちと一緒に酒を飲んでいて、三峡下りの話題になった。みんな中国に十年以上住んでいる中国通の人たちだった。
 二〇〇五年頃に行ったというSさんは、
「川が汚かったよ。観光客が観光船からカップラーメンのカップだとか、お菓子の袋だとかをぽいぽい捨てるんよ。それで、そのゴミがあちらこちらでぷかぷか浮いてるんだ。武漢あたりでは、長江の魚を名物として出したりするけど、汚い川を見てからというもの、長江の魚がそんなものをえさにしているのかと思うと食べられなくなってしまった」
 という。同じく、その頃に三峡下りの観光船に乗ったというJさんは、
「渓谷の山はきれいでしたけど、川は汚かったですねえ。僕のときもゴミがたくさん浮いていました。死体も流れていたし」
 とうなずく。
「死体? 人間の?」
 僕は目が点になって思わず訊いてしまった。
「人間のですよ。一瞬でしたけど、浮いているのが見えました。観光船はそのままなにもせずに通りすぎてしまいましたけどね」
「それじゃ、俺が喰った長江の魚は、死体を食べた奴かもしれんね」
 Sさんは変なものを食べたかなあという感じだ。
「その可能性はないとはいえませんね」
 Jさんによると、川には死体がときどき浮いているものなのだそうだ。だから、長江に死体が浮いていたとしても別に不思議ではないのだとか。
 三峡下りに抱いていたロマンが壊れてしまった。なんだか。


(2016年4月23日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第353話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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