風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

北京標準語と訛り(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第140話)

2012年11月15日 07時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 三年ほど前、広州へやってきた時、広東訛りの中国語(北京標準語)がひどく聞き取りにくくて苦労させられたものだった。僕は雲南省昆明に留学してそこで北京標準語を習ったから、僕の中国語はいささか雲南訛りが入っている。不器用だから発音もうまくない。だから、人のことは言えないのだけど、とにかく広東人は標準語が下手だ。北京標準語で話しかけられているとはわからず、よくよく聞いてみれば相手が標準語を話そうとしていることがわかったこともしばしばだった。ある日本人は、初めて広州へきて会議に参加した時、
「へえ、広東語って案外北京標準語に似てるんだ」
 と思ったそうだけど、よくよく聞いてみれば彼らは標準語で会議しているつもりだったのだとか。きれいな標準語を話す広東人はあまりいない。
 しかも、下手なくせに「自分はちゃんと標準語を話している」と思いこんでいるものだから手を焼く。たぶん、小学校や中学校の先生が訛っていて、彼らの発音を手本にして標準語を勉強したから、それが正しいと信じているのだろう。テレビを観ていると、中年以上の広東人は大学の先生でも標準語をうまく話せない人がけっこういる。
 僕は片言程度しか広東語がわからないのだけど、それでも広東語を聞いていると中国語の一方言だとはとても思えない。まったく別の言語のようにすら思える。一説によれば、北京標準語と広東語の差は、英語とドイツ語以上の開きがあるのだとか。広東人が北京標準語をうまく話せないのもむりのないことなのかもしれない。広東語は、言語学的にいってベトナム語やタイ語のほうが近いんじゃないだろうか。
 ともあれ、こちらに三年ほど住んで、広東訛りの標準語にもずいぶん慣れた。訛りがきつい場合を除いて、言っていることはだいたいわかる。慣れたどころか、広東訛りが僕にもうつっているらしい。この間、久しぶりに雲南省を旅行した時、何回か「広東人ですか?」と訊かれたことがあった。広東人に間違えられるくらい標準語が下手になってしまったんだなあと思うとなんだか悲しかった。こちらで働きはじめてからというもの仕事の専門用語を覚えるほかは標準語の勉強をしなくなったから、そんな僕が悪いんだけどさ。
 逆に、広い中国のなかでどこの人たちが標準語が上手かと言えば、意外なことに東北のいちばん北にある黒龍江省(省都・ハルピン)の人たちだ。雲南で通っていた大学のそばにハルピン人が経営する小さな餃子店があったのだけど、そこの女将が話す標準語はまるで語学学習用のテープを聞いているようで、非常に正確な発音だった。大学の標準語の先生よりもきれいな発音だから腰を抜かしてしまう。なぜハルピンの人たちの発音がきれいなのかといえば、黒龍江省はウイグルやチベットを除いていちばん最近漢民族の入植地(植民地)になったところなので現代の標準語の発音に近いのだとか。これを裏返せば、昔漢民族の植民地になったところほど、現代の標準語の発音とかけはなれてしまうということだ。
 中国語学習者にとって、方言は最大の難関だ。
「たのむからもっと正確な発音で話してくれ」
 と、やるせない気分になることもしょっちゅうある。
 もちろん、訛りを聞き取るのも語学力のうちだけど、そもそも十四億とも十五億ともいわれている人民に同じ言葉で話せというほうがむりなんだろうな。


 

(2011年12月3日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第140話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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