「デリー中央精神病院・入院記録」・・・4
12月7日(木)(入院して4日)
昨日から1日3回、毎食後8錠の錠剤とカプセルを飲んでいる。それに夜は睡眠薬が加えられる。痛み止めが入っているようだ身体の痛みは感じない、が心身ともに衰弱し切って動けない。禁断に入るといつもの事だが食欲は全くなく下痢が続く。何故だか今回は便秘になっている。便は肛門口まで出ている。指を肛門の中に入れると硬い物に当たる。多分それが硬くなった便のようだ。下腹部の筋力が弱っているのだ、力むのだが押し出せない。いつも煙草を吸って用を足していた。ビリを吸えば出そうな気がして、介護士に頼んだが断られた。
「ここは刑務所じゃない、ビリくらい出せよ」
と文句を言ったが、奴は英語が分からないのか知らん顔、多分ドクターから煙草やビリを吸わせないように指示が出ているのだ。最後の手段だ、肛門の回りを指で押し出すようにマッサージをしていたら、やっと頭が出始めた。息苦しくなるくらい肛門の回りを力んでいると、石のように硬い便がごろんと落ちた。その後は少し楽に太くて長いのが続いて出た。肛門の回りが切れたのだろう、指を当てると赤い血が指についた。疲れた、でも大分楽になった。
入院したのは誤りだったのだろうか、自分自身では切れなかったからなのだが。毎日、ベッドで寝ているだけで煙草はだめ、食事はインド食だけ。苦しいのは同じだけど、外だったら規制はないし自由に動き回る事が出来る。病院には沢山の薬があって、スタッフを切るのに少し楽をする、と思っていたのだが甘くはないようだ。
過ぎてしまったから言えるのだろうか、アシアナでの治療生活を思い出し、アシアナの施設や治療方が、この病院より良かったように思える。それは多くの同じ薬物中毒者達と生活を共にした、懐かしさからくるのかもしれない。デリー中央第四刑務所内にアシアナ・ホスピタルがある。デリー刑務所に収監された薬物中毒者を収容し治療と更生を目的とした医療監房である。ちょうど去年の今頃、ぼくはそこでヘロイン中毒の治療を受けていた。ニューデリーのメインバザールにある安宿ウパハル・ゲストハウスに2人の警察官が踏み込み、ヘロイン120g所持の現行犯としてぼくは逮捕された。パールガンジ警察署で2日間の取調べの後ぼくはデリー中央第一刑務所に収監された。翌朝、禁断の苦しさから監房内の鉄格子にロープを架けぼくは自殺を計ったがインド人に発見されアシアナに緊急移送された。
12月7日(木)(入院して4日)
昨日から1日3回、毎食後8錠の錠剤とカプセルを飲んでいる。それに夜は睡眠薬が加えられる。痛み止めが入っているようだ身体の痛みは感じない、が心身ともに衰弱し切って動けない。禁断に入るといつもの事だが食欲は全くなく下痢が続く。何故だか今回は便秘になっている。便は肛門口まで出ている。指を肛門の中に入れると硬い物に当たる。多分それが硬くなった便のようだ。下腹部の筋力が弱っているのだ、力むのだが押し出せない。いつも煙草を吸って用を足していた。ビリを吸えば出そうな気がして、介護士に頼んだが断られた。
「ここは刑務所じゃない、ビリくらい出せよ」
と文句を言ったが、奴は英語が分からないのか知らん顔、多分ドクターから煙草やビリを吸わせないように指示が出ているのだ。最後の手段だ、肛門の回りを指で押し出すようにマッサージをしていたら、やっと頭が出始めた。息苦しくなるくらい肛門の回りを力んでいると、石のように硬い便がごろんと落ちた。その後は少し楽に太くて長いのが続いて出た。肛門の回りが切れたのだろう、指を当てると赤い血が指についた。疲れた、でも大分楽になった。
入院したのは誤りだったのだろうか、自分自身では切れなかったからなのだが。毎日、ベッドで寝ているだけで煙草はだめ、食事はインド食だけ。苦しいのは同じだけど、外だったら規制はないし自由に動き回る事が出来る。病院には沢山の薬があって、スタッフを切るのに少し楽をする、と思っていたのだが甘くはないようだ。
過ぎてしまったから言えるのだろうか、アシアナでの治療生活を思い出し、アシアナの施設や治療方が、この病院より良かったように思える。それは多くの同じ薬物中毒者達と生活を共にした、懐かしさからくるのかもしれない。デリー中央第四刑務所内にアシアナ・ホスピタルがある。デリー刑務所に収監された薬物中毒者を収容し治療と更生を目的とした医療監房である。ちょうど去年の今頃、ぼくはそこでヘロイン中毒の治療を受けていた。ニューデリーのメインバザールにある安宿ウパハル・ゲストハウスに2人の警察官が踏み込み、ヘロイン120g所持の現行犯としてぼくは逮捕された。パールガンジ警察署で2日間の取調べの後ぼくはデリー中央第一刑務所に収監された。翌朝、禁断の苦しさから監房内の鉄格子にロープを架けぼくは自殺を計ったがインド人に発見されアシアナに緊急移送された。