まだまだ暑い日が続いています。それでも陽が落ちると
秋虫の鳴き声が聞こえてきました。
季節は着実に秋に向かっています。
木漏れ日の中に、今年も見事に節黒仙翁が咲きました。
咲き始めてから2週間、清涼なオレンジ色です。
まだまだ暑い日が続いています。それでも陽が落ちると
秋虫の鳴き声が聞こえてきました。
季節は着実に秋に向かっています。
木漏れ日の中に、今年も見事に節黒仙翁が咲きました。
咲き始めてから2週間、清涼なオレンジ色です。
最近子供の声は騒音かどうかが論争になっているが、人の声を騒音と感じるのは、多分に内面的な問題が絡んでいると思う。孫が通う保育園から聞こえる声をうるさいと思う人は少ないだろうし、2人暮らしだった夫婦のどちらかが亡くなれば、家が急に静かになり、楽しそうな子供の声が悲しみに沈む心を揺さぶることもある。
子供の声を聞きながら「ああ、彼らが元気に育ってこれからの社会を支え、自分や子々孫々の社会保障を担ってくれる」と思えば、気分も少しかわるかもしれない。
家で仕事をしていてうるさい、という人もいるが、子供が外で遊ぶ時間は限られている。私も仕事柄、録音に差し障ることもあり、子供以外でもカラスや鳥、蝉などには泣かされることもあるが、それはこちら側の事情であり、私一人が仕事時間をずらすなどなんらかの工夫をすべきだろうと思っている。窓ガラスを防音にする、ノイズキャンセラのヘッドフォンを使うなど、日本の技術力で解決できることもあるのではないだろうか。
これも爆音とは無縁のとりあえず平和な国の贅沢な悩みといえるが、いつの日か「ああ、子供の騒ぐ声が懐かしい」などと思う日がこないことを願うばかりである。
思うに、もし隣が大勢子供のいる保育園なのに、子供の声も物音も聞こえず静まりかえっていたら、私は即座に引っ越しを検討するだろう。
そして、なんといっても、すべての大人は子供だった頃、多かれ少なかれ騒音をまき散らしてきことを忘れてはならない。