今年の夏も大勢のゲストにお越し頂きました。
改めて御礼申し上げます。
そして、ありがたいことに、いつもの年より数多くの御礼メールやお手紙をいただきました。とりわけ、美しい文字、文は人なりの言葉通りの温かいお手紙には夏の疲れも吹き飛ぶような気持ちです。
あえてテレビやPCを置かないこと、地味だけれど滋養に満ちたお料理、静寂を味わっていただくための心遣いなど、当館のコンセプトを完全にご理解下さり、かつお楽しみいただいたご様子が丁寧に綴られていました。
できるだけ多くのゲストにご満足いただけるよう努力をしてはおりますが、テレビの音がないと、我慢できない方や、お野菜やお料理があまりお好きでない方にとっては、ノーサイドでのご滞在は必ずしも快適なものにはならないかもしれません。(そのせいか、口コミでは評価が大きく2つに分かれているようです。)
当館は、電磁波から離れ、静寂という音を楽しみ、読書で心安らぎ、画集をめくりながらぼんやりし、皆様が心洗われるような場所でありたいと思っております。
今年も多くのゲストがノーサイドを訪れてくれました。
そして、最近はご夫婦の記念日にご利用の方が増えていて特別料理をご注文いただくこともままあり、緊張と張り合いを感じています。夫婦になっても、むしろ夫婦になったからこそお互い感謝を忘れない素敵な人たち・・
その方達からは決まって
「落ち着いた客室や館内、野菜をふんだんに使ったおいしいお食事、広い岩風呂、時間が経つのを忘れてしまいそうな読書室等、充分に満喫させていただきました。日常の慌しさからの解放とはこういう事なんだ!と改めて思いました。」
という内容のメールをいただきます。
本当に人への感謝を忘れない人たち、私たちも少し見習うべき、と思いました。
新聞の文化欄に、小説家の山本一力氏が、茶の湯の心について書いていた。
詳細は省くが、茶の湯の心得のなかった山本氏が、会得したのは、「茶の湯の心とは、亭主が客をもてなすため、様々に気配りし、客はその気配りに応えるよう、気遣いをする」ということだそうだ。
茶の湯というと形式張った儀式と考えられがちだが、もてなしの心と、それに応える術を究極の形にしたもので、そもそも心ありきなのである。
私たちはこの茶の湯の心を手本に宿泊業を営んでいきたいと思っている。お茶室というこぢんまりした空間と小規模な施設はどこか通じるものがあるように思うし、ゲストが良い雰囲気を創ってくれるところも共通する。
茶の湯の心をもってすれば、人と人とのふれあいは、とても豊かなものになるだろう。
http://www.no-side.com
長年リピーターとして訪れてくださるゲストのご夫婦が帰り際にこうおっしゃった。
「僕はね、友人にこういってるんだよ「ノーサイドはね、特別なものは何にもないよ。ただ、静かで、温泉に浸かれて、のんびりできて、安曇野の素材、特にお野菜をおいしく食べさせてくれる、それだけ。それでよければ行きなさい。」って」
嬉しい一言、おっしゃるとおりです。お料理をされる方はご存じですが、野菜料理は手間がかかるわりに、日本ではまだ地味な存在です。そんな野菜を評価してくださるのは本当にありがたいことです。
今回は奥様と着物の話題で盛り上がりました。といっても着物コーディネートで賞をいただくほどの方なので、教えていただいた、といったほうがよろしいでしょう。着物を着こなすには教養がいるので、わたしなどまだまだ。
ノーサイドはこのようなゲストの方々に支えられています。