サッカー、ワールドカップは残念な結果になってしまいました。
しかし、実力通りなので仕方ないと思います。監督の責任とはいえないような気もします。ザッケローニさんは紳士的でチーム作りもうまくいっていたように思えたので、留任してもいいのではないかと・・
しかし、ご本人もイタリアへ帰りたいでしょう。
それにしても南米の選手達の身体能力はすごいですね。ボールと足に磁石でもつけているのではと疑いたくなる選手もいます。
サッカーが国技であり、文化である国と日本とでは、まだまだ差が大きいのでしょう。
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馬耳東風 は、ご存知の通り中国のことわざです。中国の詩人・李白は不遇を嘆く友人に詩を贈りました
曰く「君のように高潔で優れた人は今の世には受け入れられない。当世は闘鶏に長けた者か、わずかな武功をたてた人間がのさばる時代だ。我々詩人がどのような傑作を吟じても、世人は、東風が馬の耳に吹くようにかえりみようともしない」と悲憤した詩だそうです
文の力が国を傾けも興しもする、という自信と誇りを持つ李白が、詩に耳を傾けない多くの世人を嘆いたのが馬耳東風の由来です。
安曇野の美しい自然が奏でる詩に耳目を傾け豊かなひとときをお過ごしになれますよう勤めて参ります
本年もよろしくお願い申し上げます
19日は仲秋の名月ですので、月にちなんだエッセイを・・
月あかり
夜半、枕元を照らし出す不思議な明るさに目が覚めた。夜明けの色とは違う銀の光をいぶかしく思いカーテンを開けると、ミッドナイトブルーの空に木立が影絵のように浮き上がり、枝の間に満月が冴え冴えと浮かんでいる。こんなにも光り輝く月あかりを見たのは初めてだった。
太陽は、家々に迎えられるのは当然、といわんばかりの自信に満ちた金色の帯を勢いよく窓に射し込む。それに比べ、温もりを携えない蒼く透きとおった月の光は、時に冷たく妖しいと疎んじられ、時に神秘的な美しさを讃えられるが、おずおずと戸惑いながら窓辺にゆらめく様はどこか恥ずかしげにみえる。
月は日々姿形を変えては、はかなく湖上をうつろい、すがすがしく山あいに佇み、銀の雫となって心の奥深い襞にそっと触れる。すべての音を吸い込んでしまいそうな穏やかな静謐は、幸せに満ちた者より、世の流れに取り残された不運を嘆く者に優しい。
「私だって陽の光のご機嫌に翻弄されているのですよ。それに陽が何日も見えなければ皆大騒ぎするのに、私なぞ何日姿を見せなくても、誰も気にしたりなんかしません。でも、あなたが私に気づいてくれたように、きっといつか誰かがあなたに気づいてくれますよ」
月下に音を奏で、詩や物語を綴った人々は、漆黒の闇をひそやかに漂う銀糸のヴェールと戯れながら月とみつめ合い、こんなささやきを交わしたのかもしれない。それは自身の内なる声との語り合いでもあっただろう。
夜の色が残されていた地方ですら派手なイルミネーションがもてはやされる今日では、このような情景を想像することは難しい。人々は月あかりから眼をそらし、自身の心に背を向けて、あだ花のように華やかなだけの人工的な輝きに刹那的な高揚を分かち合う。
しかしその輝きが増せば増すほど、人と人との温もりが失われ、心の内が荒涼としていくような気がする。
イルミネーションは空に月や星の輝きを失った殺伐とした都市を明るく暖かい雰囲気にする、という考え方もあるが、その画一的なきらめきに惑わされ、人はいつしか天空の美しい輝きを忘れ、自身と語り合うことも忘れ去ってしまうように思えてならない。
こんな不安をよそに、月は点滅を繰り返すイルミネーションを静かに微笑んで眺めながら、いつか人々が再び自分の存在に気づいてくれるのを、気長に待っているのかもしれない。
とりとめのない考えを巡らせているうちに、月が傾いたのか、いつしか窓辺の明るさが消え、わずかにうとうとした、と思ったら、月の憂いなどまるで頓着しない陽気な朝日に起こされた。
きょうも一日が始まる。私は昨夜の月あかりをいつまで心に留めておけるだろうか。
何となく手持ちぶさとか、知らない人同士の会合で早く打ち解けたいとき、面白いクイズを教えて貰いました。3つの字に共通する字を探して言葉にするのです。たとえば食・服・式に共通する字。
この場合は答は和もしくは洋。答がひとつでないこともあります。
いろいろバリエーションが作れそうです。その人の出身地の地名を入れてもらえば、さりげなくいろいろなこともわかるし。
例えば、穂・山・尾だと答は高です。渋滞にはまった御家族など、お子さんと楽しんでみてはいかがでしょう
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