渡部正雄著「昇栄への備え」。表紙に著者の顔が見える。
日本のlds教会では戦後教会が発展し始めた頃、系図探求の面で指導的役割を果たし、各地の支部を回って訪問記を聖徒の道に掲載するなど、活躍した渡部正雄は昔2年間中国ハルピンの大学で学んでいた。
ハルピン学院 1933年頃の校舎
彼はその前に長春商業学校を卒業後、満州中央銀行の吉林分行に2年勤めている。(~1934年4月)。その間学資を貯め父の許可を得て、国立大学ハルピン学院に進学したのである。そこでロシア語とソ連事情の研究に励み、二学期からロシア人の家庭に下宿したこともあって、ロシア語が急速に進歩した、と彼は述べている。
当時中国東北三省は日本が満州国としていた時代で、彼の青春時代と若い成人期は中国で過ごしていたことになる。彼が勤めた銀行も日本が併合後各省の中央銀行を統合して設立したもので、この大規模な中央銀行で新入行員であった彼にも宿舎の部屋、専属の奉公人が与えられていたという。初めは簡単な仕事をしていたが、後に外国為替係りに配属されている。
「勉強が好き」であった渡部は、兄弟が多く進学は自力で行くように言われていたので学資を貯めて、「北満のハルビンにある外務省の後援で、大正十四年日露協会の創立した日露協会学校、後に満州国に移管されて国立大学ハルビン学院と改名された学校に入学した」。
私(沼野)はこのハルピンで昨年9月からハルピン師範大学恒星学院で日本語を教え始めた。第二学期の後半途中で病いのため、一時中断を余儀なくされて帰国しているが、9月からもう一年教壇に復帰する予定である。この立派な先輩の足跡を汚すことのないように、特に今度は健康に留意して務めを全うしたいと望んでいる。
付 ハルピン学院の正式名は「満州国立大学哈爾濱学院」。場所はハルピン馬家溝。1945年8月終戦と共に25年間で閉校。http://www.keigado.co.jp/p/haerbin/ に詳しい。今は跡地があるのみ。
Source: 渡部正雄「昇栄への備え」1999年, (株)フリーマン
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当時、ハルピンで生活した日本人を探しています。特にハルピン学院をよく知っている方を探します。