彼女はハーバード大学で博士号を取得し、ニュージーランドのオークランド大学で教鞭を執っていた。カリフォルニア州で育った彼女は日系・中国系4世のアメリカ人で、日本で伝道したディロン・井上の姪にあたる。
彼女の関心は、平和、人種差別、女性の果たす役割、民主主義などで著書を多数残している。M.井上は多くの人を励まし、感動を与えてきた。彼女の急逝を惜しみ、悲しむ声がソルトレークの新聞やSNSに寄せられた。私沼野も彼女の死を悼み、本当に残念で仕方がありません。今後の活躍に期待していたからです。
彼女の詩「母親たちに捧げる」(Crossings, 2019, p. 55)の一節です。
「あなた方を日々の苦労から解任します。
仕事から、教会や家の責任から、
周りの人々とつき合っていく立場から。
そして思う存分自らや子供のことに心を向け、
くつろいで、力を大切に使ってください。」
メリッサ・井上は教会が国際化するの (globalization) は喜ばしいけれども、各地の文化や特色を尊重し、それらが教会を創りあげ、育てていくこと (glocalization) を望むと語っていました。
Melissa W. Inouye による論文、著書(一部):
Melissa W. Inouye による論文、著書(一部):
“The Oak and the Banyan: The Glocalization of Mormon Studies” in Neal A. Maxwell Institute “Mormon Studies Review” Vol. 1 2014
“A Tale of Three Primaries: The Gravity of Mormonism’s Informal Institutions” in “Decolonizing Mormonism - - Approaching a Postcolonial Zion” edited by Gina Colvin and Joanna Brooks, University of Utah Press, 2018
自身の身近な経験から紹介させていただきます。
長男と結婚した女性は出身が東欧の一国でそこで高校生の時改宗し、SLのテンプルスクゥエアーで宣教師として奉仕し、援助を受けてBYUHで学び、そこで長男と出会って結婚し、英国でしばらく過ごし、日本に来て子供たちを産み育てました。(13歳の長男を筆頭に3歳の男女の双子を含めて5人)
そして、40歳を過ぎていましたが、昨年長男と離婚して、大学院で再度学ぶためにユタに子供5人と一緒にいくために日本を離れました。
現在は学生ビザで滞在許可が下りていますが、米国籍を持たない彼女と子供たちの将来を心配しています。米国での正式な就労は難しく思われます。
幸い子供たち(私にとっては孫たちですが)は新しい生活環境に慣れて、友達もでき、楽しく過ごしているようです。学校生活も「日本に比べて宿題が少ないので楽しい」のだそうです。
二人の離婚についての詳しい事情は何も聞いておりませんが、彼女の気持ちとしては「これ以上日本に住みたくない」だったようです。
「globalization」と「glocalization」を身を持って体験した彼女がどのような思いであったのか今は確かめるすべもありません。
ただ、彼女が自分自身の人生を考えて、決断したのだと思います。長男も子供たちの養育費として少なくない金額を送金しています。
自分自身を苦労から解任する人生の選択も新しい苦労があるようで、決して楽なものではないように思いますがいかがでしょうか。
元ご長男のお嫁さんの人生について知って、驚いています。今日の夕方、改めてお返事させていただきたいと思います。
関係する皆さんが知恵を用いて(奨学金があれば応募するなど)、よく耐え、前進されますよう、祈るばかりです。(そう言えば、小生も無鉄砲と言えるような家族連れの留学を致しました。)
その最中にワードの不活発会員の一部を訪問するという長老定員会主催の取り組みがありました。
ワードの会員記録上のすべての会員ではないにしろ、全体で200件ほど訪問しました。
この取り組みにより、はっきり覚えていませんが、100人程度の会員が、その会員記録上の
住所には住んでいない、つまり転居したことが判明しました。
そしてそういったことに対する記録上の手続きがあるので、その情報は書記に渡されます。
当時の吉祥寺ワードの会員記録上の会員数は700名前後だったと思います。
それが先の取り組みでガバっと減って500名台になりました。
そして当時の聖餐会の出席は100名程度(旧吉祥寺ワードと旧三鷹ワードの統合後、杉並ワードとの統合前)
でしたので、これで活発率が20%を割る程度だと知りました。
当時も今も関東の支部ではなくワードはそれぞれ数十人は活発会員がいます。
関西もおそらくそうです。地方のユニットや支部は数名程度のところもあれば、
熊本や金沢のように100名程度の活発会員がいるワードもありますので、
一概に数十人、とは言えません。
以前のこちらのブログやコメントにもありましたとおり、活発率は日本の場合は
平均すると15〜20%程度ではないでしょうか。
穏当な数字ではないかと思います。具体的な例を添えたコメントをありがとうございました。
どのような会員を活発と見るかによりますが、出席人数にプラスアルファすることを忘れてはならないと思います。
都合や病気で集会に来れない場合や、あまり出席できていなくても、心の中では末日聖徒であると思っている人もいるからです。
3年前に高木信二兄弟らによって行われた調査が、書籍の形で結果がまとめられています。書評の形でこのブログに紹介したいと思っています。
Unique but not different という題で、Greg Kofford Books という出版社から出ています。
JMR調査レポートと検索するとプロテスタントの出席率が見れますが、だいたい5.60パーセントくらい、カトリックは25パーセントくらいありますが、イエス・キリストの教会はダントツに圧倒的に低いというか、そもそも出席率を高評すらしていません。
↑カトリックがこちらですね、
で、
https://www.churchofjesuschrist.org/study/history/global-histories/japan/jp-by-the-numbers?lang=jpn
https://news-jp.churchofjesuschrist.org/%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E3%81%A8%E7%B5%B1%E8%A8%88
イエス・キリストの教会ではこの何年かで2000年魁夷が増えているのにユニットの数が30個ほど減っていますが、4.50人きてるとしたら2000人分くらい減っていますので、つまりこの何年かで4000人会員が消滅時効してるわけですね、不思議です
そこで、一つの奇跡について証したいと思います。私は2世ですが、大人になってある日宣教師から模擬レッスンを受けたのですが、宣教師が罪を悔い改めたらゆるされるという話をするわけですが、その罪とは「嘘をつく」「悪口をいう」「人を助けない」とか言うわけであります。私はとても驚きました。それまで教会で罪と聞いたとき、警察に捕まる犯罪のことであり、贖いとは犯罪者を救うためにあると思っていたのです。教会とはコーヒー紅茶酒タバコをやってはいけない、責任を果たすためのものと思っていたのです。おそらくお休み会員になる人には、理解が不十分なままバプテスマをうけて責任や長いプログラムに疲れてこなくなった人がたくさんいるのだと想います。
私はイエス・キリストの教会のやり方は、一人ひとりの違いに時間をかけなくて良いので、利点はあると想います。たくさんバプテスマを受けさせて責任を与えて理解できたものだけ残れば、神学校もなしに指導者を養成できます。しかしお休みになるひとにとっては時間の無駄で、さらにバプテスマを受ける人がたくさんいなければ教会は衰退していきます。背教した忌まわしい教会ではだいたいプログラムが1時間から1時間半くらいですので、プログラムの時間が削減されたのは素晴らしいと思いますが、さらに忌まわしい教会に近づく必要があります。しかしバプテスマがただの習慣だとみとめるのはイエス・キリストが間違いを犯したことになるし、イエス・キリストの教会にプログラムに時間をかけても人に時間をかける余裕はあまりありません。
さらなるプログラムの短縮、責任の軽減を提案するしかないでしょう。みなさんの負担がかるくなりますように