このブログ記事 9/16「質問がある時、研鑽を積んだ学者に問う」に対する26日付けコメントに注目すべき提案があったので、ここに取り上げさせていただくことにした。(一部編集。ガラガラポンとは、複雑になってしまった問題を一度ゼロにして考え直してみること)。 . . . 本文を読む
パウロについて本を読んでいて、彼の人物像が浮かんできた。およそ気づいていたことが多いけれども、彼の手紙を読むのに参考になる。以下、主として佐藤研(みがく)の「旅のパウロ:その経験と運命」2012年によっている。 . . . 本文を読む
質問したい時、親にも教会の指導者も、さらには大管長会や十二使徒でさえ答えが出せないことがあります。私は答えが分からない時、解決の助けとなる人を探します。幸い教会は研鑽を積んだ学者に恵まれています。 . . . 本文を読む
パウロの思想的特徴の中で著しいものは、人は「律法の行ないによるのでなく、キリストを信じる信仰*によって義とされる」(ガラテヤ2:15~)という信仰義認論である。彼は繰り返しこれを主張し、徹底しているように見える。上村によれば、これは信仰による義を基準に「義人」とそうでない「罪人」を区分する二元論的になり、・・ . . . 本文を読む
日曜学校でパウロの書簡を読み始めているが、二つの疑問が生じた。それは、いつどこでこのような強い確信を持つに至ったのかということが第一である。自信にあふれ、明確な書信が展開されるのを読んで心に生じた思いである。もう一つは、第一に関連するが、一体彼の回心はどのようなものだったのかという点である。今まで使徒行伝にある通りだったのだろうと思って、改めて考えることもなかった。 . . . 本文を読む
最近、国際政治でも国内、身辺を問わず、力は何で構成されるのだろうか、と思うことがある。物質的に言っても身体的な力から言っても、下降線をたどり始めている昨今(日本という国家も社会も)、この言葉はどうなのだろうと思っている。 . . . 本文を読む