今年旧約聖書を読み進めているが、私が最も信頼を置いて読んでいるのは岩波書店の旧約聖書(2004年)である。割り合い詳しい註が、本文に添えて左側の頁に出ていて読み応えがある。当ブログで扱った文書説*への言及が、関根訳(1956年)ほど強調されていないが引き継がれている。そして、気付いたことは、七十人訳、サマリア五書、ペシッタ(シリア訳)、ウルガータ、それに死海文書が、ヘブライ語の旧約聖書本文とは違う異文を伝えている場合、それが参考にあげられていたり、補足、翻訳の資料に用いられたりしていることであった。
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1990年代後半、ハンティントンの「文明の衝突」(1996年)を山口大学の授業(非常勤、英語)で取り上げたが、残念ながら数年後著者の懸念は現実となってしまった。それ以来、私は未知であったイスラムの世界を知る必要を感じて、中東のニュースに注目し、アラビア語を学び始めイスラム教にも関心を持つようになった。そして、イスラム教徒が読むクルアーンをも知っておかなければと思うようになった。
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知人の教会員できっての読書家芥野さんに、コーランを読んだ感想を依頼した。私たちはイスラム教徒についてニュースでよく聞くのに身近に感じることはない。彼らの聖典コーランはどのようなものなのだろうか。 . . . 本文を読む
以前からもそうであるが、最近、キリスト教会の神学者や牧師から学ぶことが多い。書物のほか、トゥイッターからもよい言葉や考え、同感と感じる表現を読むことがある。ここに引用する文は、九州延岡の牧師沼田師の言葉である。
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