聖書でペリシテ人と呼ばれる人々はハムの子孫でエジプト人の子孫に数えられ、カフトルの島から地中海の沿岸地方に来たとされています(創10:13, 14)。それはアブラハムがカナンの地に来るずっと前のことです。アブラハムはカナンの地を約束の地として与えられることになりますが、彼はそれまではたどり着いた地に暫時滞在する「寄留者」という意識を持っていました(創23:4)。
後にヨシュアが約束の地にイスラエルを率いて入りますが、全地を征服したのではなく、沿岸の町々は支配していません(ヨシュア13:2,3)。
ペリシテ人はマカベア時代に記述が見えますが、ヨナタンに滅ぼされ、新約時代、言及がないため、後のパレスチナ人につながらない可能性があります。彼らは周囲の民族に同化されて消えてしまったことが考えられます。(聖書辞典、1961年参考)。
紀元後、ユダヤ人が流浪の民となり、ヨーロッパでナチスによって酷い目に合ったことは周知のところです。その間、パレスチナの地はアラブ人が何世紀にもわたって住むことになりました。
そして1948年、国際連合のパレスチナ分割決議に従ってユダヤ人国家が出現します。その後数次にわたり中東戦争が起こり、近年は割合落ち着いているように見えましたが、イスラエルがヨルダン川西岸のパレスチナ人の地域に次々と入植を始め、緊張が高まっていました。そのことも含め、イスラエル側のパレスチナに対する積年の圧倒的・非道な抑圧に対して、10月7日ハマスの攻撃が生じました。窮鼠猫を噛むという表現が当たるかもしれません。(ハマスのテロリズムを容認しているわけではありません。)
私はイスラエルがずっとやり過ぎだったと思っています。昔1970年代にBYUに留学した時も中東情勢に詳しい教授に、イスラエルはやりすぎだと思います、と語りかけたところ同意すると頷かれたのを思い出します。今、毎日のように報道されるガザの戦禍を見るにつけ、私の心は世界の人々と共にガザの住民と共にあります。また、イスラエルがパレスチナの全地を神から約束された地だから所有する権利があるという主張に疑問を呈する日本のLDSキリスト教徒です。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。