lds教会における男女平等を目指す運動家ケイト・ケリー、教会が直面する問題を率直に取り上げる場をネット上に設けたジョン・デーリン、そして同様のブログを運営してきたアラン・ロック・ウォーターマンが最近、教会から破門すると通告を受け、宗務会議を待つ身となっている。
人権擁護の弁護士ケイト・ケリー(Kate Kelly)は1年以上前から「女性に神権を」(Ordain Women)運動の首唱者で、信仰熱心で穏やかな運動方針を貫いてきたが、監督からe-メールを受けて驚愕している。6月22日に宗務会議(disciplinary council)が予定され破門されることになった。2年にわたり、幾人かのグループで総大会の神権部会に出席を願い出たことがニュースに取り上げられていた。
ジョン・デーリン(John Dehlin)は、ウエブサイト「モルモン自由談話室」(Mormon Stories Podcast Community)を始め、教会の歴史問題を扱ったりldsのLGBT会員について調査を行なったり、脚光を浴びた著名人にインタビューを行なったりして、5千人以上の会員がフェイスブック上のグループに参加している。背教のかどで6月18日、宗務会議に出席を求められている。
アラン・ロック・ウォーターマン(Alan Rock Waterman)は、「純粋なモルモニズム」(Pure Mormonism)という名のブログを運営し、さまざまな微妙な事柄を含めて率直に扱い、疑問を感じる教会員の問いに答えていた。彼も2週間前に脱会するか活動停止を選ぶよう最後通告を受けていた。
この一連の破門通告は、末日聖徒のフェミニストや全米のリベラルないし知的ネットユーザーの間に衝撃を与え、波紋が広がった。人々は1993年9月6日に6人(後に1人加わる)のフェミニストや歴史家が破門されたことを思い起こした。サンディエゴ州立大学のブルックス教授は、「教会が多様化し、オープンになる兆しを感じていた矢先だけに、問題が先送りにされ、事態はより困難になる」と見ている。
Source: Salt Lake Tribune 紙Founder of Mormon women’s group threatened with excommunication
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http://morumonkyokai.org/%E5%85%83%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3
今回破門されるという3人も教会による『キリストの純粋な愛』に包まれているのですね。
本当に末日聖徒イエス・キリスト教会は地上における唯一まことの教会であると証します(笑)。
いずれにしても笑い事ではありません。立場によって感じ方や受け止め方がほぼ180度異なってきます。大きな組織が出す説明は時に冷たく、第三者に、例えばメディアに対して説得力を持たない。
自分が教会員であると言う自覚さえ持っていない人もたくさんいます。
モルモン教会の戒めを守りたくなければ、「教会に行かない」と言う行動でほとんどすべて解決します。
教会に定期的に出席していない会員が戒めを破ったと言うことで、破門されることはまずありません。
破門される必須条件の一つは「活発に教会に集っている会員」です。
つまり、教会に対して熱心な信仰を持っている人しか破門の対象とならないということです。(これは、教義的には正しくありませんが、現実はそうなってます。)
逆の言い方をすれば、自分が破門されたいと思ったら、ある程度熱心に教会に集い、召し等を果たす必要があります。
そのうえで、重大な戒めを破るか、教義に背く必要があります。
破門されるのが「罰」と成りうるのは、「教会員で居たい」と思う人にとってのみです。
教会員でありたくないと思っている人は、破門されても、自分の不利益にはなりません。(地域によっては、社会的な評判が悪くなる、と言うことが有りますが)
教会は、会員の中でも数少ない熱心な信仰者を「破門」することになります。
さて?こう考えると、「破門」によって、罰せられているのは、破門された人なのか?破門した教会側なのか?どっちなんでしょうか???
影響力のある人物を破門すると、教会も被害を被ることがある。それは、破門された人が少なからず共鳴者を得ていた場合、その人たちが心を痛め、教会が不評を買うことになるからです。
今回の破門騒ぎもやはりと、比較的冷静に受け止めています。
黒人の神権問題はブリガムヤング管長もいずれは与えられるようになるような発言していますから、全ての男性に与えられる事が真理。
女性の神権問題には一貫して否定的ですから、男性にのみ与えられるのが真理となるのでしょう。
既に回答している問題に対して要求するなということでしょうか。
カトリックでも女性の司祭問題で破門になってますね。
神の権威を主張する宗派の共通点?
本当ですか?
司祭が結婚した(女性と)ので破門になった、と言うのは聞いていますが?
女性の司祭問題で破門は、いつどこでの話なんでしょうか?
カソリックでは、司祭が不足していて、その為に、司祭の「結婚を認めるべきだ」「女性も司祭になれるようにすべきだ」との意見が一部の司祭から出ているとは聞いています。
モルモンも、神権者を男性に限定していては、やがて、運営に行き詰まる日が来ると思いますね。
特に日本では、会員の高齢化により、神権者不足が加速されることでしょう。
そもそも、モルモン書第二ニーファイ26節に書かれているように、ジョセフスミスは、肌の色や性別で主が差別をすることはない、と認識してたはずです。妻のエマスミスに神権を与えた、と言う話も伝わっています。
聖書でも女性の預言者が出てきます。
そういう教義的な話を抜きにしても、現在の社会で、運営に女性が加わらない組織はすたれていくでしょう。
もしも女性に神権を授けたなら、例えば日本の教会は、全国に沢山できたに違いありません。
あらゆる宗教団体を見ていますと、女性の方が信仰心は厚いです。それなのに当教会は女性には神権は授けません。
主は何故女性にお与えにならなかったのでしょうか。
これは、兄弟たちが凄く熱心に研究し、御霊によって悟り、理解していくことしかなりません。
もし日本の教会が廃れていくのでしたら、次の聖句を教会員の方、特に神権指導者の方が理解していないことになります。
★世の弱い者たちが出て来て、力ある強い者たちを打ち破る。それは、人がその同胞に忠告することや、肉の腕に頼ることのないようにするためであり、すべての人が主なる神、すなわち世の救い主の名によって語るため、信仰もまた地に増すため、わたしの永遠の聖約が確立されるため、わたしの完全な福音が弱い者や純朴な者によって世界の果てまで、また王や統治者の前に宣べられるためである。(教義と聖約1:19‐23)
宣教師に対して書かれていますが、
ワード支部の運営にも当てはまるのです。
どういうことかと、ビショップなど神権指導者職が強い会員らによって繰り返して同じ人が召されているならば、あまり強くない他の神権者はその召しによって、訓練されることなく育つことはないと言うことになるのです。
強い会員で行うと、ある程度の会員数はのびますが、それ以上に教会員が増えることも定着することもできないのです。
これは扶助協会などの姉妹にも言えることです。
女性に神権を与えないと教会が廃れてるよりは、人が育っていかない方が廃れてしまう方が心配です。
皆様もし宜しかったなら、リアホナ2007年6月のクレイトン・M・クリステンセン兄弟の話を読んで見て下さいませ。
また、「毎日の会員宣教師がもたらす力」の中にも同じことが実例として書いてあります。確かこちらは教会のホームページに記載されていたはずです。
不勉強なもので、ご存知の方がおられましたら、教えてください。
「教会の教義は、どこにも女性が神権を受けられないとは言っていない。」(2014/06/18. Kimberly BrinkerhoffのThe Mormon Hubへの書き込み)
英文
RadioWest host Doug Fabrizio: "Where does it say in Mormon doctrine that women cannot have the priesthood?"
Church spokesperson Ally Isom: "It doesn't."
いずれは、預言者に啓示が示された時には、女性にも神権を授けることができると言う意味と捉えてもよろしいのでしょうか。
大昔ワードの書記を務めていた時神権の欄に「女性」と書かれていたことに妙に納得した覚えがあります。
概ね公式サイトの意見に近いですね。
http://www.mormon.org/jpn/faq(よくある質問)/教会の女性
性的な差別もなく,完全にバランスが取れていますが,男女間で同じような賜物がある一方で,女性にしか与えられていない賜物や特質もあります。しかし,男性の場合,神権は授与という形を取りますが,女性の役割やそのすべての賜物,特質は,まさしく生まれた時から女性に与えられているものです。女性は天与の賜物のゆえに,天使の用向きを持っていると言われています。また,女性は教育を継続し,絶えずその技術を磨くよう勧められています。
人々が教会に対して抱いている最も大きな誤解の一つは,女性は男性に従属し,弱く,男性に支配されていると考えられていることです。このような間違ったことを言う人に会うとわたしはいつも笑ってしまいます。一日でもわたしかわたしの友達と一緒にいれば分かります。わたしの目から見れば,教会の女性はとても強いです。 もしそうだとしたら,なぜ女性に神権が与えられないのかと考えるかもしれません。神権を持つことと指導することは別の問題です。わたしはこれまでに5つの会長会で働いてきたほかに,指導する機会をたくさん与えられてきました。けれども,指導とは実際には奉仕することなのです。
少なくとも教会のスポークスパーソンにはそうとらえられないでしょう。私にも今の時点ではそう感じられません。lds教会にとっては重く、簡単ではない問題に思われます。
「たやすくは消えぬ柵(しがらみ)ここに在り」
の感がしています。(周囲の状況は明らかに先を行っていますが)。
日本でも1999年に以下の法律が出来ています。
「共同参画」と言う言葉に意味があると思います。
職場での男女の平等に関しては、「男女雇用機会均等法」が1986年4月から施行されています。
しかしそれでは足りないから、「男女共同参画社会基本法」がつくられたわけです。
かなり保守的な日本の政治家でもここまでの認識を持っているのですから。この法律が最低限と考えたほうが良いと思います。
男女共同参画社会基本法
(平成十一年六月二十三日法律第七十八号)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 男女共同参画社会の形成 男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO078.html
http://blog.livedoor.jp/cjcpress/archives/51404071.html
米カトリック教会メリノール宣教会のロイ・ブージョワ神父
がバチカン(ローマ教皇庁)教理省から破門処置を受けそうだ。同神父が女性の
聖職叙階を支持したことが原因という。
末日の教会では、ふさわしい男性会員全員に神権を与えるというのが方針であって、女性に神権が与えられるのは死んでからということになっているわけであり、そもそも神権は男性だって欲しい欲しいと要求して与えられるべきでもないのです。
男性の場合神権を受けてからふさわしくなく死んだら、神権取り上げですからより深刻です。
女性の場合待てば良い。それをいつまでも理解しないで人権活動をしているのですから、どうぞよそでやってくださいといわれても、しょうがないでしょう。会員のままでは救われないと思います。
(だったら女性の神権付与は女性の天使から安手されるのではないかと想像するわけです。)
聖書を読んでも女預言者はいたけれども、女の天使は一人もいませんよね。しかし教会では女性も天使になる場合もあると教えているわけで、それを基本に考えるならば、少なくとも女性の天使は地上に派遣されていない(あるいは来ても聖書に記録されない)のには訳があると思っています。
最終的には、ひとつの宗教が神話の知識に基づいて組織を運用するのはある程度しょうがないだろうし、時代は男女共同参画と言っても、モルモン教会は永遠の観点から考えて男女共同参画になってますと対外的に説明するのが賢明なのかも知れません。
女性に対する神権授与ですが、
私の個人的な見解ですが、
“教会員さん”が言うように、次の世に戴けると思います。補足意見として、「ふさわしい姉妹」に対して次の世に与えられると思います。
もう1つは、イエスキリストの再臨後の福千年に姉妹にも神権が与えられるのではないかと考えています。もしかすると、福千年の間も神権は授けられないかも知れません。
ただ、教義と聖約101:32には、「主が来るその日に、主はすべてのことを明らかにする」と仰っています。また、33には、「だれも知らなかった隠されていたこと」と書いてあり、つまりそれは、“神の奥義”に関することです。
これらのことから、姉妹が何故、現在まで神権が授かれないのか、その答えを主御自身が明らかにしてくださると私はそのことを知っています。
それと共に、福千年の神の御業を遂行するためにも、ふさわしい姉妹に神権が与えられることもあるのではないかと考えます。
個人的な見解ですが。
前大管長ゴードン・B・ヒンクレーはオーストラリアのABCテレビのインタビューに答えて言っています。('97/11/09)
デービッド・ランサム:「現在、貴教会で女性は聖職者になること(神権)を許されていませんが、将来制度が変わる可能性がありますか。・・そのためには大管長が啓示を受けなければならない。」
ヒンクレー:「そうです。しかし、今その方向に向かう(女性会員間の)世論の兆し(agitation)がありません。」
'98/09/08 ラリー・キングとのインタビューでも同じ件が取り上げられ、この時はこう語っています。
「この教会には扶助協会という優れた組織があって、女性の教会員は不満を持っていません。」
http://www.abc.net.au/compass/intervs/hinckley.htm
https://www.youtube.com/watch?v=jAsNMWwRXvs
(上の2件はいずれも東京在住のアラン・ウェスト氏がネット上に掲載したのを見てここに載せました。)
その後、16, 17年経過してどんな変化が生じているでしょうか。(あるいは生じていないでしょうか。)
どうして会員の方は、「女性に神権が与えられない方がよい」と思うのでしょうか?
私は、「女性にも神権が与えられた方がよい」とずっと思っています。
神殿の儀式でもわかるように、女性も神権の儀式の一部を行っています。さらに「女祭司となる」と言うのも、はっきりとしたモルモンの教義です。
しかるに、私が、「女性にも神権が有った方がよい」と言うと、反対の意見がたくさん出てきます。
どうしてみなさんは、「女性には神権がない方がよい」と考えるのでしょうか?そこのところが理解に苦しみます。
男も女も皆神権を持ったほうが良いじゃないですか。
女性が神権を持つことの弊害って何ですか?
教義と聖約9章7節から8節に、神から啓示を受ける方法について書いてあります。
聖徒が正しいことを思い、心の中でよく考えて、それが正しいと感じたら、神に願い求めるべきである。
つまり、「現在啓示が与えられていないから、それを願ってはいけない」のではなく、よいと思うことが有れば、神に願い求めるべきなのだと思います。
私は、女性にも神権が有った方がよいと、考えます。ですから、「女性に神権が与えられますように」と祈ります。
みなさんは、「女性には永久に神権が与えられませんように」と祈るのでしょうか?
(ただ、具体的にイメージすると時期尚早なのかもしれないと感じています。さしずめ、日曜学校の会長やワード書記、幹部初期くらいから始めていけば溶け込みやすいのかもしれない、と考えたりします。)
女性という存在そのものが神権なのだと思っています。
現実問題として各ユニットの教会運営をしているのは女性の方でしょう。男性は管理や指導という名ばかりの栄誉が与えられているだけかもしれません。
もし、男性のような働きの神権を与えられれば今以上に女性の負担が増えるでしょう。
また、もっと教会への献身を回避する男どもが増えるだけでしょうね。
現世での神権体制は神様と人間の知恵と言えるでしょう。
ただ、「補助組織」という表現は改めた方が良いかもです。
扶助協会は立派なメインの組織だと思うからです。
誰も女性に神権がなければいいなんていってません。
また明らかに女性が祭司として儀式を行えるわけですから、ふさわしかったら、いつかは何がしかの神権は受けると思って良いことです。
神権は両刃の剣であって相当のリスクもあるんだから、現世で今すぐ受けなければいけない必要性がなければ、現状が肯定されても構わないと思います。
永遠の蓋をあけてみたら男性神権者はかなり神権取り上げを食らい、女祭司が圧倒的に多かったなんてことも十分あるわけであって、今すぐそうでないから女性の人権侵害だみたいな話は、幾ら批判されたって意味がないこと思います。
しかし「多妻結婚をする必要はなくなった」と神の啓示があった後は、多妻結婚を継続して実施することを教会は罪としています。
「ふさわしい男性は人種に関わらず神権を与えられる」と神の啓示があった後は、人種を理由にはされなくなりました。そしてそれまでの人種に関する文書や幹部の発言は全て「公式なものではなかった」として教会は破棄しました。
教会員は神の啓示があるまでは個人の考えで行動しなければなりませんが、だからと言って勝手な振る舞いをして良いわけではなく、とくに教会の秩序を乱したり混乱をおこすような行動は認められません。今回のように宗紀評議会の対象となります。
しかしひとたび神の啓示があったなら、それまでの考え方を180度変えなければならないことがあります。時としてそれは受け入れがたい試練となることもあるでしょう。なにしろ啓示の前と後で、善と悪が、正義と罪が、入れ替わるのですから。
これが生ける預言者により啓示を受けて導かれている教会なのです。
俗世の基準に流されているかのように見えるかも知れません。
ころころと教義が変わっているかのように見えるかも知れません。
デタラメでいい加減でウソばかり言ってる宗教のように見えるかも知れません。
私はこの教会が唯一まことのキリスト教会であることを証します(笑)
教会に批判的な見方は、どちらかと言えば、前者で、教会中央幹部の観点は、後者に近い??
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