[Gregory Prince, Gina Colvin マオリの血を引く]
モルモニズムの歴史について研究し著述活動を行なってきたグレゴリー・プリンスは今年元旦、ニュージーランドのカンタベリー大学社会学教授ジナ・コルビンのインタビューに答えて、末日聖徒イエス・キリスト教会が今大きな変容の過程にあることについて語った。
現在教会は一連の「福音のテーマ」に関する論文を発表しているが、そういったデータ(資料)を前に、教会員は三つのグループないし層に分かれると彼は見る。
左手に急進派がいて、資料はあるなら入手したい、我々は成熟し分別もあって対処できる、と言う人たちで、逆に右手に保守派がいて、神が語られたことはそれが結論、いろいろな事を言って煩わさないでほしい、と言う*。そして、その間に広い中間層が存在する。
この三種の会員を束ねていくのは至難の課題である。教会が(他の宗派であっても)取れる方法は三つ考えられる。1)「真理を持っている」という主張。この教会はよい教会、最善の教会、あるいは唯一の教会である、という主張(カード)である。しかし、30~40歳までの世代は、今の世にそぐわないとこの主張に興味を示さない。2)「倫理・道徳的支柱となる」という主張。神学を語るだけではなく、どんな教会であるか実質で示せという人たちに対するカードである。3)「唯一の教会」という主張。21世紀に入って生まれた世代は、それよりむしろ意味のある人生を希求している。LDS教会の指導層は1) から 2) に移行しているとプリンスは観察し、歓迎したいと語った。
直解主義、根本主義的傾向について次のように語っている。(この段落、7/7 追加)
「最初の示現が、語られた通りに起こっていなかったという証拠が出れば、教会にとってそれは破局を意味する、と言われることがあった。私はそのような二者択一的な考え方を取らない。資料(data)が何と言っているかに任せるべきである。JSは神会の概念について漸進的・流動的だったのであって、その神学の理解変遷が物語に反映していったのである。」
「また、大部分の人は鏡におぼろげに映ったのを見るのが嫌で、黒か白かをはっきりさせたがる。答えられない質問などないという、端正な形を求める気持が強い。B.R.マッコンキ―の『モルモンの教義』はそれに応えようとして執筆された。それは実は読者により重要な側面から目をそらせることになったし、福音を単純なものと思わせる誤った期待を持たせることになった。」
今の若者は、人種間の相違を受け入れており、女性に門戸を開く用意ができていて、LGBTを仲間と見ている、とプリンスは言う。
G・プリンスがインタビューで繰り返し言及したのは、昨年11月に教会手引きに加えられた変更(同性愛者の元で育てられている子供は18歳までバプテスマを受けられない)についてで、あれには非常に落胆した、教会にとって大きな汚点である。偏狭な細工で、苦闘する人々にとって我慢の限界を越える最後の一撃となった。改訂されなければならない。静かに去った人もいるので、数字はとらえられないが、2015年に未曾有の会員が教会を去ることになった。(プリンスはインタビューの最中、何度かため息をついていた。)
ほかにキリスト論(人であったキリストが神格者救い主となる過程の研究)で、イエスが復活を境に時間を遡及して、記録の時期と順(パウロ、マルコ、マタイ・ルカ、ヨハネ)が逆転して、前世のイエス、降誕物語、バプテスマ時鳩が出現、復活の順で伝えられるように変わっているのは、[ジョセフ・スミスの見神、神権回復] / [教会の組織]も同様に逆転しているのに通じ、ここに同類の現象が見られると指摘していた。
Source: http://www.athoughtfulfaith.org/greg-prince-analyzing-this-mormon-moment/
*Steven E. Snow によると90%の会員が読まないという。
Ever been curious about why so many LDS church members have never read the LDS Gospel Topics essays? Elder Steven E. Snow candidly explains why.(John Dehlin)
"You know, 90% of the church probably couldn't care less, they don't worry about such things. But we do have some folks who are on-line and we felt like they needed a safe place to go to get answers if they had questions. So I don't think you are gonna see a well publicised campaign to tell you to go to these sites."
Mormon Stories 16 July, 2016.
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倫理道徳の強調は、愛よりも正義を優先し、不寛容の助長に至る。
それでなくても、今の時代、自分が正義の側に立って、相手を裁き、攻撃する風潮がはびこっている。
不寛容の時代ここに至れりだ!
私は絶対に不寛容を赦せない!!
不寛容な奴は生きる価値が無い!!!
不寛容こそ、悪魔の所業だ!!!!!
不寛容は絶対に赦さないぞ!!!!!!-----
わはははは!
そう言えばこの前、書店で面白い本を見つけました。タイトルは『映画秘宝COLLECTION 決定版20世紀戦争映画クロニクル』、キャッチコピーは「戦争はやめろ! やめないと皆殺しだ!」
ところで末日聖徒の大多数ってどんな人かと言えば『教会に来なくなった人』じゃないかな?末日聖徒論を語る人々って、そういう人へ全く目を向けていませんよね。そこら辺に知的モルモンの限界があるように思います。
教会に入って数十年。
加速度はついているものの時代の「保守」の位置を堅持しながら変化してきているように思います。
宗教の有用性が見直される時代も、また巡ってくるでしょう。
気に入らないから、自己の主張と違うから、教会を去るというのは
なにか違う気がします。
一夫多妻や人種問題でも経験しているわけですから。
自分の為、家族の為、隣人の為により良く福音を実践してシエアハピしたものです。
http://www.uta-net.com/movie/205507/
オバマさんなんて子供の頃に自分が、大統領になるなどと考えただろうか。
人間一人一人のできることは小さいけれど、そんな人達の大勢の願いが変化をもたらすのだろうね。
良き方向に向かおうとする人たちの足を引っ張ったり、水を差すようなことはしたくないものだ。
でもさぁ、いるじゃない?何か・・・
モルモン教会はもとから黒人差別してませんよ、そんな教えはありませんよ、勝手に勘違いしてるだけじゃないの?
とか言う人がさぁ・・・おっとこれ以上は止めておこう。
それは現代の視点からではなくて、19世紀のアメリカの視点から見て、比較的そうだったというだけの話。
しかし残念ながらより差別思想が強かったブリガムヤングのたわごとにより後退してしまいました。
さらに世論の方が文明的に洗練されて先に行ってしまい、モルモン教会が時代に集会遅れで取り残されてしまい、反モルによって人種差別のひどい教会として宣伝されて定着してしまいました。
そして今になって、理解できることは、黒人の真剣剥奪・停止につながる元となった思想や説教は、支持されなくなり、福音でもなんでもない、ただのタワゴトや都市伝説、勘違いの類にすぎないものであることが明らかとなったと述べているだけです。
この手の残念な資料がかなりある事実に照らして、伝えられている多くの19世紀のエピソードが実は教会の教義ではなくて、単なる個人的な見解にすぎず、一般に思われているよりも公式のモルモンの教会教義は単純ではるかに少ないんだろうねというだけの話。
JSから200年近く経って、かなりその辺は精査されてきており、現代の現役の預言者たちは単純でわかりやすい説教ばかり行うようになってきたのが、何よりの証拠でしょう。
ルカ7:36―50
です。
「汝、貴方の敵を愛しなさい」
「人を不義な裁いてはならない」
不寛容な社会は良くないが
寛容過ぎる社会も良くない。
何年前に、ヒンクレー大管長が総大会で選民意識の強い会員に対して叱責したことを思い出しました。
同性婚に対しては今後も末日聖徒イエスキリスト教会は受け入れることはないでしょう。ですから神殿で執行することはないと思われます。
しかし同性愛者に対しては、愛を持って接するべきでしょう。私たちの価値観が違うからと言って、差別するべきではないのです。彼らが暮らしやすい社会を提供することは、主の教えには反しないと思います。但し、主の教えの中でも、優先順位があるので、同性婚に対しては反対の立場にいる。
アメリカは、いろんなことで、分断になっているように見えますね。
道を誤れば、天がその事を自然災害などを通じて教えて下さることもあるでしょう。
例えばイエローストーン国立公園内の火山帯で火山爆発指数5以上の大噴火が起こったりすることもあるでしょう。
またアメリカでモーメントマグニチュード9の地震が発生することもあるでしょう。
2005年10月の神権部会でのヒンクレー大管長のお話を読んで見てください。
豚さんもジョンさんも是非。
つまり、同性愛者と言うのは、そういう肉体をもって生まれてきた人たちなのです。
生まれながらにして、性に関する肉体的精神的構造が違うのだと思います。
問題は、社会や宗教が、そういう人たちを同じ人間として尊重するかしないかなのではないでしょうか。
同性愛の人を神殿に入れないと言うのは、足が不自由な人を神殿に入れない、と言うのと同じ意味合いを持って居ます。
もしモルモンが、同じ人間を肉体的特徴によって区別し、特定の人間を排除すると言う「価値観」を持って居るのなら、同性愛者が神殿に入れないと言うのは理解が出来ます。
やめた人の中には、今まで納めてきた献金を返せと怒る人もいて、よくネットの掲示板では論争していたものです。そう言う人たちに活発会員たちが答えるのは「自己責任」。自分で判断して自分で教会に入ることを選んだんだから後から文句言うな、と。
いや判断材料を与えてなかったでしょ、モルモン教会は(笑)。ま、それは置いといて。
そうやって自己責任論を振りかざす末日聖徒たちが、自分等の弁解に使うのが俺のせいじゃない、アイツのせいだと言う責任転換なんですね。
黒人差別の件にしても、当時のアメリカでは国自体がそう言う制度だったとか、他のキリスト教会でも差別はあったとか、仕方なかったとか・・・。
モハメドアリは「ベトコンには何の恨みもない」と言う有名な言葉で良心的兵役拒否したんだけど、迫害されタイトルも剥奪された。でも自分の良心は守ったんだ、これが自己責任ってもんでしょ。
ところがモルモンの予言者は戦争に行くのは国民の義務だと来たもんだ。全米の大学キャンパスでベトナム反戦運動が行われるなかBYUだけは様相を異にしていたらしい。予言者いわく、戦争で人を殺すのは殺人ではありません、もし戦場で不当な命令で人を殺しても主はあなたでなくその上官を罪に定めるでしょう、と。
だから末日聖徒は安心して人殺しをしてこいと言うワケだ。でもこれって教会の教義なのか、神からの啓示なのか、予言者の個人的見解で戯言なのか、さぁあなたに判断できますか? ハッキリしていることは、自己責任ではなく、他人のせいにして戦場で人を殺すのが末日聖徒なのだ。
こう言うと末日聖徒を批判しているように聞こえるかもしれないけど、そんなつもりはない。人のせいにしたっていいんだよ、だって福音ってのは自分で負いきれない罪の重荷をキリストに背負わせて救われることじゃないか。ぺテロだって3度イエスを知らないと言ったから命が助かったんだから。 みんな何かしら他人のせいにして助かっているんだよ。
だからね、自己責任ってのは福音ともっとも遠い位置にある言葉なのに、どうしてみんな他人に対してそれを使いたがるんだろうなぁと、当時、不思議に思ったものです。
自己責任と言うのは、自分の意志によって行動を決められる人に対して使う言葉だと思います。
モルモンの熱心な信者は、物事の判断基準を、自分の良心に置いてはいません。
判断基準は、あくまで、預言者の言葉であり、預言者や指導者の勧告です。
その言葉に素直に従う、それは、自分では何の判断もしないという事です。ですから、自分には何の責任も無いのです。
ただ、個々の掲示板でちょくちょく書き込む方は、世の中の批判を受けるような内容の事は、すべて、「預言者の個人的な意見です」とおっしゃるわけです。
聖典に書かれていたことや、教会で日常的に使っていたテキスト、大会で預言者が語った言葉、預言者が書いた書物、その中に書かれてある事柄、そのどれもこれも、世の中の批判を浴びる内容については、すべて「預言者の個人的解釈」とおっしゃる。
と言う事は、モルモンの熱心な信者は、自分で判断せず、その時々の預言者の個人的な見解に沿って自分の生き方を決める。
ここに、自己責任も無ければ、教会の責任も、預言者の言葉の重みもまったく無いのです。
たかが、一国の政治家でも、その発言により自分の進退を問われるのですが、モルモンの預言者に関しては、自分の発した言葉に一切責任を問われることは無いと言う事です。
そんなモルモン教会に、一体何の価値が有ると言うのでしょうか?
仮に、信仰と言う名のもと、人の心から自己の判断基準を抜き取るのなら、それに代わる「師の言葉」と言う尊い価値基準を供与すると言うのが、本来じゃないですかね。
今までの自分の価値基準を捨てて、新しい価値観を持つのが改宗だとしたら、きっちりとした、方向性を示せる価値基準を改宗者の心の中に持たせるのが、その宗教の責任だと思います。
そんな状態で、組織運営や、会員数の増加ばかり気にしている。 なんか勘違いしてる。
最終的には終わりの日に個人個人はキリストに裁かれて行くことになっており、そのときの判断基準は自らの行いとキリストの購いによることになるわけであって、いまさら怒ってみたところで自己責任の部分がかなりあるのは当然のことでしょう。
世論が誤っていれば自然災害なのかもしれませんが、万が一教会側が誤っておれば法的に存続が難しくなるだろうね。
神の植えたものは不評でも永遠に残り、植えなかったものは好評でもいずれフェードアウトとなって消えるのみです。
オムナイさんの言葉を思いだしますね。彼が言うには、予言者の教えることが正しいかどうか分からないとき、まずやって見ることにしているそうです。そうすれば段々とそれが正しいことが分かってくるのだそうです。
また教会のある指導者はこう教えています。「いつも教会の大管長に目を向けていなさい。そして,もし彼が何かするようにと言った時に,たとえそれが間違っていても,言われた通りにするならば,主はあなたを祝福して下さるでしょう。……でも心配する必要はありません。主は決して主の代弁者を通して人々を間違った道に導くようなことはなさらないからです。」
(ヒーバー・J・グラント,マリオン・G・ロムニーによる引用,Conference Report「大会報告」1960年10月,p.78)
でもね、死んでしまえばどうと言うことはないみたいですね。予言者の言葉にたわ言だとか、個人的見解だとか、都市伝説だったのだとか、熱心な末日聖徒にみなさんが寄ってたかって言いたい放題です。そこまで言うなら、彼らが生きてるときに間違いを正してあげなさいよ。(笑)
みなさんが支持の意思を示すために挙げた右手は、彼らが死んだらその手のひらを返しちゃうんですかね・・・
舛添さんは「法的には問題が無い」だったんですよね。
でも、辞職せざるを得なかった。
モルモンの預言者や指導者も、何を言っても、法的にも道義的にも問題が無いんですよ。たかが宗教団体の教理的な責任者ですから。いや、責任者ですらないんですからね。
はっきり言っておくが、「責任を取れ」なんて事は言ってない。でも、普通の人間なら、自分が言った事に間違いが有ったら、心の中で責任を感じるものなんです。
黒人に神権を与える決断をしたキンボールも何度も眠れぬ夜を過ごした。ソルトレーク神殿の中でそのキンボールの決定を支持したマックスウェルは、その時に喜びの涙を流し、それを拭ったハンカチは、そのまま洗わずに記念の書に保管した。
彼らは何故苦悩し、何故涙を流したのか、そんな事を考えたことが有るのか?
それは、自分たちが黒人に対して間違った教えを継続し、彼らを苦しめ、当然受けるべき神の祝福を奪っていたと心の中に自責の念を持って居たからだ。
人の心の中は知りようがないが、少なくとも私はそう信じるし、そう信じたい。
猪瀬氏が金の問題で辞職し、その後の舛添氏も同じ問題で辞職した。
これは、彼らに正しい自責の念が無かったからだ。
彼らの持つ自責の念は「うまくごまかせなかった」と言う後悔だけだからね。
人はそれぞれ違った思いを持って居る。しかし、集団の中では、一つの方向性をもってある思いを共有する。だから、集団が存在し存続するのだ。
モルモンには、モルモンの思いが有る。モルモンの中に流れる共通の思いが有る。
だから、自分の思いと違っていても、それがモルモンの思いなら自己を抑制してでもそれに従う。
それは一般の会員だけじゃない。
幹部も預言者も同じだ。
だから葛藤し悩むんだ。
何度も何度も、教会の過去の過ちを指摘するのは、それは忘れてはいけない事実だからだ。
黒人の神権の事を忘れた時に、同性愛者への差別的教義が生まれる。
そして、多くのモルモンが、深い悲しみの思いを抱かなければいけない時が来る。
何も考えない奴は苦悩することは無いが、きちっと物事を考える人間は、それなりに苦しむものだ。
ある意味うらやましいけどね。
麻薬やポルノ、悪い音楽から遠ざかります。
・・・なんてことを真剣に信じていた私の青少年時代。
ところが今の活発会員は、「法的には問題ない」だってサ
汚ねーよ、それ。洗えよ(笑)
①牧師の権威が強い(「神様に従うことは、牧師に従うこと」とそれらしい事を言って、隷属させようとする。牧師に従わないと「神に反逆している、悪魔にやられている、地獄に落ちる」などと脅す。)
②「裁いてはいけません、赦しましょう」と言って、牧師の間違いを指摘することを封じる
③「弟子訓練」と言って、キリストの弟子ではなく、牧師に従順な信徒作りをしている
」http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n339128
一方、モルモン書には、「31 人に頼る者、すなわち肉を自分の腕とする者はのろわれる。すなわち、聖霊の力によって与えられる訓戒ではなく、人の訓戒に耳を傾ける者はのろわれる。
」
とかってありますがな・・・・
プリンス氏のことでブログ記事あったですかぁぁ、
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/da78defe09e9e23c5bdcee39c6eda21e
ところで、ご紹介のページを見た限りでは非常にモルモン教会に当て嵌まる以下の項目があるのですが、
●聖書以外のテキストを頻繁に使う
●ほかの教会・集会に参加したり、自分の教会(堂)以外のところで信徒同士が合う事を嫌う
●初めのうちは牧師・教会員みんなで大歓迎する(ラブ・シャワー攻撃:その教会に依存する性質を持たせるため)
●「教会成長」「ビジョン」「勝利」「祝福」という言葉を好む
●十分の一献金の強要、集会参加の義務化
こうした指摘点をあらかじめ除外してしまうたまWEBの言動を見て、無自覚かどうかは別にして、モルモン会員の思考にはやはりバイアスがかかっているのだろうなと、私は思うのです。
誤)たまWEBの言動を見て
↓
正)たまWEBさんの言動を見て
指導者の考えも多様になってきたということでしょうか?
まっすぐな証だけで、世の人に教会を認めてもらえなくなったということが判ってきたのかなと感じます。
< 今の若者は、人種間の相違を受け入れており、女性に門戸を開く用意ができていて、LGBTを仲間と見ている、とプリンスは言う。
このような考えを基にして若者が指導者に良い意味での圧力を掛けることができればいいですね。
今回のイギリスのEU離脱もそうですが、結果がどうあれ、民の意見が組織を動かすということも必要な過程かと思います。
聖書の記述では、民の意見を重視すると良い結果を生じない感じですが、もともと問題がある組織であれば、内側からの改善は大いに利益のあるものとなるはずです。
私は、変革の兆しを喜び、期待をもって眺めています。
「 世界諸語のなかで、「お猫さん」「お猿さん」「トンボさん」「お寺さん」「新聞屋さん」「飲み屋さん」「御馳走様」「世間様」というように、あらゆるものに「さん」「様」の敬称をつけるのは、日本だけである。人間様だといって、威張ることがない。」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1210.html
http://ci.nii.ac.jp/els/110006000020.pdf?id=ART0008112765&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1466810767&cp=