西宮の場合はもう随分昔のことであるが、お爺さ
んが一人熱心に教会に通い、会衆にとけ込み奉仕
を行なっていた。後で亡くなったことを聞いたが、
葬儀は家族が仏式で済ませたとのことであった。
年寄りの趣味程度に看做されていたのかもしれな
い。
もう一件は少し事情が違う。山口県の職員で親娘
二人で改宗し、家を建て、地方銀行に勤める息子
さん夫婦と同居していた。退職後再活発化し長い
間、教会に通い、神権者として奉仕し、会員の間
で尊敬されていた。数年前に亡くなったと聞いた。
葬儀は残念ながら教会では行なわれなかったとの
ことであった。息子さんの社会的地位からくる判
断が優先されたか、と思った。もし、この行員の
上司か同僚が教会員であるか、教会に理解を持つ
人で、故人の宗教を知っていたら、教会式で行な
われたことであろう、と想像する。(息子さんの
理解そのものももちろんであるが。)
身内が会員でなくても、モルモン教会で葬儀が行
なわれるようになることも、この教会の日本にお
ける認知度を測る尺度のように思われる。
7月末に西宮時代親しくしていた姉妹の夫君が亡
くなり、葬儀に出た会員から多数の会員に見守ら
れよい葬式であったと電話があった。高齢者が増
えてきた教会は今後人々を弔う機会が増えていく
ことであろう。
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私は語学が苦手なため、努力している方は大変尊敬いたします
「宗教」と一言では片付けられないくらい、その奥は深いものかと思いますが、相通じる何かがあるかと思いますので、今後も度々お邪魔し、参考にさせて頂きたいと思います
宗教は文化、社会、歴史、民族などと縦横無尽に関わっていて、一つを軸に学び、観察していると結局は他宗も含めていろいろな世界に理解が及んでいくように思われます。
一人の独身の姉妹(この方は50年近く教会員
として忠実に奉仕して来られました)がガンで
亡くなりましたが、生憎ご兄弟が会員ではなかった
ため、結局臨終時に教会に連絡が来ず、山梨の
ご実家の方で葬儀を済ませられてしまいました。
幸い通夜には数名の会員が参列できましたが、神殿
にも参入されていた姉妹であるにも関わらず、神殿
着を着る事もできず、かろうじてご親族にセットを
お渡しして棺に入れていただくようお願いしただけ
でした。
この方は突然亡くなったわけではありませんので、
事前に教会としての対処法をご本人やご親族と話
合っておく必要がありましたが、残念ながらそれが
できていませんでした。
やはり一人の人が命をかけて守って来た信仰を、
親族が趣味程度にしか考えていただけないのは非常
に悲しいものがあります。そういう意味で教会も、
もっと非会員の家族、親族に伝道ということでなく
ても教会について理解を深めてもらえるような何か
をする必要があるように思います。
その通りですね。日本の会員(日本人)はこの面が弱いように思われます。
「悲しい葬儀」のコメントをありがとうございました。
それはどういった形式なんでしょうか?
土葬にするとゆう話は聞いたことがありますが。
葬祭会館等でする通夜と告別式のことです。
通常は葬祭業者が入り、葬儀の準備から
火葬場までの一連の流れはやってくれます。
ただ、通夜と告別式を教会式で行うだけで
す。厳密に言えばいわゆる通夜は行われず、
ビューイングと呼ばれる故人のお顔を拝見
する時間を取るだけです。告別式は生前の
関係者が故人を偲ぶお話をします。
日本の場合はもちろん土葬ではありません。
教会でやる葬儀はたいへん霊的な時間にな
ります。
> 告別式は生前の関係者が故人を偲ぶお話をします。
この部分は監督会が司式し、教会代表者が説教に相当する話をしたり、教会員が賛美歌を歌ったりもいたします。
霊的な時間であり、いつも故人が偲ばれて心を動かされますが、会員でない親族や一般の人も参列しますので、充分しめやかにかつしっかり進行できるか心配することがあります。
宗教(布教)目的で公共の施設を使えない規則がある、という立場からの批判(自粛を求める声)である。
賛否両論が展開されているが、案外許可されていることの一つにはモルモン教会が日本社会に認知され始めているためとみることができないだろうか?(私は間接的に関係ありと感じている)。
あるいは宗教目的でも可という弾力的な使用条件に変わっているのかもしれない。教会は最近ステーク大会に区の公民館を使用できているからである。(他宗教も同様。)