Ragged_Kingdom_Horse

シルク・キャロット・東京TC・ロードで長年一口馬主をしています。
いつかは理想の活躍馬に巡り会える事を夢見て。。。

Breaker boy and Horse at Coal Miners★

2020年02月02日 | 絵画・写真・アート
ブレーカー・ボーイ(breaker boy)



アメリカ合衆国とイギリスで、砕炭場で石炭から不純物を
手で分離した採炭労働者

ブレーカー・ボーイは主として子供(合法で14〜15歳、
非合法で9歳未満まで)だったが、年齢を確証する書類の
提出はなく親の証言のみ。年齢詐称含む非合法がまかり
通っていたらしい。
ブレーカーボーイには病気あるいは事故のためにもはや
働けない初老の坑夫も含まれていた。

ブレーカー・ボーイの使用は、1860年代半ばから始まった。
児童労働に対する公衆レベルの反対感情は1880年代半ばには
すでに存在し、ブレーカー・ボーイという雇用慣行は1920年代に
なってようやく終わった。

下記の写真は有名な写真家ルイス・ハインの写真 他




Coal mining child labour, 1908







炭鉱場は暗くて狭くて暑く、常に崩落の危機に晒されていた。

しかも空気が悪く、炭鉱場で働く殆どの子供は咳き込んでいたという。

日本でも炭鉱の歴史はガス爆発多発で死者も多く悲惨も、児童労働の
記事は見かけたことがない。


インスタの方で詳しく載せる予定も、ブログでは児童労働と共に
悲惨だっただろうお馬さん達

もっと悲惨な写真もありましたがこの辺で当時を察してもらえれば。

現代の競走馬は恵まれている方なのかな。

産業革命につき纏う闇の部分が気になります。



日本語版 『ちいさな労働者』 By ルイス・ハイン


Street Life in London 1876-1877 (ロンドン街頭生活)☆

2018年10月06日 | 絵画・写真・アート

Street Life in London, 1876-1877

ジョン・トムソン氏による有名な著書
『 Street Life in London(ロンドン街頭生活)』

ヴィクトリア朝時代のロンドンの路上貧民生活を取材して写真に収めたもの。
煙突掃除夫や看板屋・古着屋・花売り・アイスクリーム売り・ロンドン板男 etc
あるいは仕事も持てない「這いずり人」と呼ばれる人々の生活。。

著者のジョン・トムソン氏はスコットランドの探検写真家
この本の写真はウッドベリタイプという印刷法で19世紀の写真が
実に鮮明に写っています。


辻馬車御者 Cast iron Billy (豪腕ビリー)


街頭広告貼り(ポスター貼り)


壁広告屋(サインペインター)


セント・ジャイルズの安魚売り


『這いずり人』と呼ばれていた路上生活者(ホームレス)


Street Life in London, 1876-1877




1877年発行のオリジナルの本


本は現在の海外ネットでも売られているが、オリジナルではなく
ペーパーバッグの再発もの。

2015年にやっと日本の翻訳本が出たのでそれを今取り寄せて、
手元に届いてみている最中。

残念ながら翻訳本の写真の画質は格段に悪い。

初版でなくともオリジナルに近いヴィンテージ本も是非取り寄せてみたい!
(オリジナルは残念ながら $6,400 〜$9,600 という事らしいので日本円で
一冊100万円近く。。。。残念!無理です)



日本語翻訳本

写真の鮮度は格段に悪いけど、やはり日本語で
読めるのは感謝。
2015年出版らしく、それまでは翻訳ものはなかった模様




Franco-Prussian war ☆

2016年11月24日 | 絵画・写真・アート
普仏戦争 ・Franco-Prussian war(1870年〜1871年)

フランス・プロシア(プロイセン王国)戦争
ナポレオン三世とプロシアの戦い
ナポレオンが敗れ、フランスは第三共和制になり
ドイツ帝国が誕生する。



当時の戦争の貴重な写真。
人よりも戦争に駆り出されるお馬さん達を思うと胸が痛い。

登山の思い出(一年前のオクラ入りの記事) ★

2016年08月11日 | 絵画・写真・アート
暗い内容ですが・・一年前に書いた記事です。

10年程前に、登山の途中に一眼レフで撮った写真
(現像後の写真)を撮って、インスタマグで加工してみた。
画像はぼっけぼけ、人物はボケてて助かった(笑)


石鎚山の御来光 →石鎚山の朝もや→槍ヶ岳山頂!→白馬岳


立山三山→剱岳




独身の頃は登山が好きで、金曜の仕事終わりの夜行電車で登山に出かけ、
戦時中みたいな人が窓から出入りする身動き取れない満員電車の自由席で、
一晩中片足立ちして電車に乗っていた。
日曜の夜遅くに帰ってきて、月曜から仕事とか超ハードな趣味を持っていた。

昔から周りは賢くて立派な人に囲まれて、それ故にか自分に自信がなくって、
登山して登頂するって事でほんの少しでも『達成感』みたいなのを感じる
のが好きだった。
もちろん自然そのものも大好き。
いろんな野生動物やそこでしか生息しない
野生植物にも巡りあえて幸せだったな。

雷鳥・オコジョ・野生の鹿・クロユリ・・・・・

夏休み・冬休みは勿論アルプスへ

夏の南アルプス縦走や、北アルプス縦走、槍ヶ岳で台風にあって身動き
取れなくなったりいろんな経験をしたなあ。

お正月は白馬岳で雪洞を掘って、雪洞の中でたった一人で新年の夜明けを迎えた

冬山では一瞬の判断間違いが命取り。
物事を安易に考えず先の先まで見据える思考回路はこの時身についた。


ロッククライミングも好きで、基本鈍臭いのに結構こなせた。
小柄で関節の柔らかい人は向くみたい。

登山のレベルを向上するためにマラソンも始めた。
一番得意なのはハーフマラソンだった。
どれだけ頑張ってもフルマラソン4時間の壁は越えられなかったけど。

結婚式の夢は、マッターホルンの頂上で挙式(笑)
もちろん! それに適した相手を選べず叶いませんでした。


結婚してからは相手方が全く趣味が違ってあまり行けなくなってしまった。
特に10年程前に右足首をやってしまい、その後はさっぱり。
未だに古傷は痛むよ~。

傷が痛む時は怪我したお馬さんの気持ちになれた気がする。。。




そんな私も、自責の念の強い私らしく自己免責疾患になってしまった(涙)
平たく言ったら自分の体を自分で攻撃する病気。
10年来調子が悪くて、体のいろんな所に不調が出だし、めっちゃ丈夫
だったのにおかしいなあと思いつつありとあらゆる病院にかかって、MRIや
核を当てるシンチテストやごっつい大きい注射器に10本ぐらい取る血液検査
をしてやっと病名が判明したのが去年の6月。

国の難病指定になっている。



当時ブログで無気力記事を書いていたら、弱いものイジメで叩かれまくった。

未だに競馬や一口している人間の表裏のある言葉に傷つき
誰も信用出来なくなっている。。。





今となっては生きていくだけで精一杯、あれだけ丈夫だった心臓も
自己免疫との戦いで少しづつ根を上げてきてて、
もう登山すら行けないや・・・・

自分で自分を攻撃する病気って、流石どMな私らしいやね(笑)




今となってはどの山も登れずマラソンも出来なくなった自分に変わって、
達成感や高揚感、いろんな夢をお馬さんに託してる

世界一素晴らしい馬に出会って、エベレストに単独登頂できたぐらいの
感動を味わいたいなあ。

登頂する事に全体力使って登頂後は帰れなくてもいい・・なんてね(笑)



世界一の馬に出会った後は真っ白な灰になって燃え尽きたいな。

大好きなあしたのジョーみたいに。。。




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・・・・以上一年ぐらい前に書いた記事です。

この頃はまだ走る馬を見つけられるかもと希望を持ってたみたいね。




今ではもう夢は棄て去りました。


孫の応援気分で走ろうが走らなかろうが、すべての出資馬を応援し続けるのみです。


これぞ無償の愛ですね (笑)


Margaret Bourke-White ☆

2016年07月22日 | 絵画・写真・アート
初の商業フォトジャーナリスト。
初のフォーチュンマガジンのフォトグラファー。
初のソ連に行ったジャーナリスト、初のライフの専属フォトグラファー、
初の戦争特派員、初の強制収容所に行ったフォトグラファー。



Margaret Bourke-White(マーガレット・バーク=ホワイト)

初の女性戦場カメラマン、憧れる。。

当時のカメラがまた凄い。
重いは機材の数は多いは・・・

男性顔負けの体力と精神力がないととてもとても!


Wikipedia
Margaret Bourke-White(マーガレット・バーク=ホワイト)

ニューヨークに生まれ、クラレンス・H・ホワイトに写真を学び、1920年
代後半には写真家としての活動を開始する。ソ連を含めて、ヨーロッパにも
足を運び、報道写真、ドキュメンタリー(労働者、貧困者、大恐慌時代の写真など)
機械・工場・建造物の写真、戦争(第二次世界大戦)写真などを、また、
アメリカ空軍の写真家として、航空写真も撮影した。戦後は、インド、パキスタン
南アフリカなどの発展途上国を回り、その様子を数多く撮影した。
戦後には日本も訪れている。





LIFE創刊号の表紙は Margaret Bourke-White の撮影した
フォートペックダム(ミズーリ川流域)の写真



アメリカンドリームの理想と現実(人種差別問題)を撮った写真かな



自身の自叙伝



意気揚々としていた若い頃と対照的に晩年は強制収容所をはじめ、動物実験
の映像とか朝鮮戦争とかとてもじゃないけど目を背けたくなる写真も数多く。

LIFE誌のスローガンにはあっていたカメラマンだったんだろうね。


実際の報道では見えない裏側を見て写真に撮って・・・

何を思い何を感じて撮影したのだろう。。。


是非日本語の本を読みたいね。
彼女を知ることで当時の情勢もより深く知っていきたいです。


まずは・・・

初版の写真集かオリジナルフォト集めたいと思います

どん底 ☆

2016年07月17日 | 絵画・写真・アート
黒澤明や三島由紀夫が愛した昭和なお店



どん底って居酒屋やバーって今も全国に沢山あるんですね。

名前的には 『逆パワースポット』なイメージありますが。。。

当時はいろんな悩みを相談したり、愚痴でもこぼしに
ここへ人々が集まっていたのかな。



今流行りの △ PRISMA ってソフトで 加工してみました。







モノの価値って何なんだろう ☆

2016年05月15日 | 絵画・写真・アート
モノの価値ってなんなんだろうと最近良く思う。

例えばお馬さんなら、私は走らないって思っても出資するタイプだけど
普通はまずそんな人は少ない。
多かれ少なかれ・・走ってくれると思って出資する。

モノを買うときも、特に絵画とか。
これがのちにどれぐらいの価値になるかを考えて買う方多いんじゃないかな?

以下話題性に事欠かないBanksy の面白いお話。

彼の作品はヒップホップなネズミシリーズがPUNK魂にぴったりフィットし
結構好きになったけど、彼を取り巻く話題や妙な人気は好きではない。




バンクシーの好きな作品


人気が出るとアート単体に見向きもしなかった人がこぞっていいと言う。
そこは不思議で理解しがたい気がする。


大分前の話題だけどNYのセントラル・パークの露店で「スプレーアート」として
Banksyがオリジナル作品を60ドルという価格で販売。
勿論本人は覆面アーティストなので直接売らず、怪しい老人が・・・



Art Sale


殆どの人は見向きもせず、ラッキーな人が3人購入したと言う。
壁画が1億でオークション落札されるぐらいのあの彼の作品である。

最初のお客さんは店を出してから4時間半ぐらいしてから女性が
何と半額に値切って購入。 女性は逞しい(笑)
二人目はニュージーランドから来た若い美大生みたいな女性が2枚購入。

最後はやはり若い男性が4枚買い。
良いものに出会えて凄く嬉しそうな男性
この人が一番バンクシーのアートが好きそうだね。

おじいさんが路上に座って1日頑張って売って、受け取ったお金は
トータルでたった420ドルだった・・・とのお話。

勿論怪しいお話で普通は偽物かって疑うけど、モノがよく見えれば
60ドルだったら私なら買うかな。

デイヴィッドさんも昔、ドイツの路上でパーカー? を深くかぶりいつもと違う
格好でライブをしたら、ヴァイオリンのケースにお金を投げ入れられて
誰も気づかなかったらしい(笑)


モノやアートの価値観は誰がいいとか人気があるとか関係なく、自分で
素晴らしいと思えばそれに見合った価格を出せばいいと思う。

この時バンクシーの作品を買った人はラッキーだね。