昨日、お誕生日のことを書いている間中、もうひとつの「大事な日」のことが頭に浮かんでいて
ずーっとそれが離れなくて、でも、さすがに「今日書くのはな~」と思っていた日があります。
それは、命日。
この世に生まれた人は、全員必ず持つよね。
誕生日と命日。
私はまだ誕生日だけだけれど、いずれは命日も持ちます。
なんか、不思議だな~と思って。
生きている間は、誕生日が一番大事で、みんなに祝ってもらったりするし、免許証だの
病院の問診票だのにも、あたりまえみたいに「生年月日」として書きます。
生きている限り、お誕生日は、その人を表す大事な要素のひとつであり続けます。
でも、死んだとたんに、今度は「命日」が、誕生日より断然大事な日になってしまうのよね。
一周忌だの三回忌だの月命日だの、こんどは、その人を命日で語る事の方がずっと多くなります。
なんか不思議。
あの世に行ったとたん、この世のお誕生日は霞み、旅立った命日が大事になる・・・。
回転扉の向こう側とこっち側を見ている気分。
こっち側のお誕生日は、向こう側から見ると命日で、こっち側の命日は、向こう側ではお誕生日、みたいな感覚。
ふたつあるけど、実は、こっち側からと向こう側から別の呼び名で言っているだけで、
実は同じ日なんじゃないかな~、みたいな不思議な感覚。
だとすると、やっぱり
「どーせ死ぬんだから」
みたいな、投げやりな生き方はできないわねぇ。
だって、死んだら終わりどころか、続きがありそうだし。
でもって、その「続き」っていうのは、やり残した宿題、嫌がって逃げていた課題だったり
しそうだもんね~。
だから、格好悪くてもへなちょこでも、やっぱり、真面目に一生懸命生きましょう!
(52才の抱負)
ずーっとそれが離れなくて、でも、さすがに「今日書くのはな~」と思っていた日があります。
それは、命日。
この世に生まれた人は、全員必ず持つよね。
誕生日と命日。
私はまだ誕生日だけだけれど、いずれは命日も持ちます。
なんか、不思議だな~と思って。
生きている間は、誕生日が一番大事で、みんなに祝ってもらったりするし、免許証だの
病院の問診票だのにも、あたりまえみたいに「生年月日」として書きます。
生きている限り、お誕生日は、その人を表す大事な要素のひとつであり続けます。
でも、死んだとたんに、今度は「命日」が、誕生日より断然大事な日になってしまうのよね。
一周忌だの三回忌だの月命日だの、こんどは、その人を命日で語る事の方がずっと多くなります。
なんか不思議。
あの世に行ったとたん、この世のお誕生日は霞み、旅立った命日が大事になる・・・。
回転扉の向こう側とこっち側を見ている気分。
こっち側のお誕生日は、向こう側から見ると命日で、こっち側の命日は、向こう側ではお誕生日、みたいな感覚。
ふたつあるけど、実は、こっち側からと向こう側から別の呼び名で言っているだけで、
実は同じ日なんじゃないかな~、みたいな不思議な感覚。
だとすると、やっぱり
「どーせ死ぬんだから」
みたいな、投げやりな生き方はできないわねぇ。
だって、死んだら終わりどころか、続きがありそうだし。
でもって、その「続き」っていうのは、やり残した宿題、嫌がって逃げていた課題だったり
しそうだもんね~。
だから、格好悪くてもへなちょこでも、やっぱり、真面目に一生懸命生きましょう!
(52才の抱負)