10月12日
豊公園(滋賀県長浜市公園町)
滋賀県長浜市の豊公園(ほうこうえん)は、豊臣秀吉公の居城だった長浜城跡にある総合公園で、長浜城歴史博物館やスポーツ施設を有し、春には550本の桜が咲き誇るそうです。
3連休の初日は妻と滋賀県の北東部にある長浜を巡ってきました。
長浜城本丸跡
天正元年(1573年)、羽柴秀吉が浅井長政攻めの功績で信長から琵琶湖北部の浅井の旧領を拝領し、当時は今浜と呼ばれていたこの場所を長浜に改名しました(信長の長の字を拝領したと云われてます)。
長浜城歴史博物館
長浜城は天正3~4年に完成し、秀吉が入城しました。後の天下人の秀吉にとって初めての居城で、長浜の街は秀吉の領国・城下町経営の基礎を醸成した所とされています。長浜城はいわゆる水城であり、琵琶湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていたそうです。
江戸初期の1606年には廃城となり、資材の大半は井伊家の彦根城の築城に流用されました。
現在の天守閣はあくまでも模擬天守で、犬山城や伏見城を参考に1983年に完成し、長浜城歴史博物館として使われてます。
1階エントランス
2階、3階が展示室になっていて、2階では明治・大正期の文人画家 富岡鉄斎の没後100年企画展が行われてましたが、写真撮影は禁止でした(企画展は11月24日まで開催)。
3階は長浜城の歴史がメインの展示室で、ここでも撮影禁止の展示物が多かったから、写真はほとんどありません。。
5階の展望デッキから眺めた琵琶湖。
1586年(天正13年)の天正地震では城が全壊し、同年に長浜城主となっていた秀吉配下の山内一豊(後の土佐領主)の娘が亡くなったそうです。この地震で城の一部が琵琶湖に水没し、現在の長浜城遺跡・西浜千軒遺跡となったとされてます。
北側は湖岸を通るさざなみ街道が見えますね。
東側には伊吹山が見えます。
手前のマンションの上階に住んでる人は毎日、琵琶湖と伊吹山を見ることができてイイなぁ~(笑)
博物館を出て、琵琶湖の方に降りてみます。
琵琶湖岸に「太閤井址」の石碑がありました。
この井戸跡は昭和14年(1939年)に琵琶湖の渇水によって発見され、当時は厚さ3センチメートルほどの木の板で囲まれた状態であったそうです。今は長浜城遺跡として周囲を石で囲んで保存されてます。
この後は、長浜の街をぶらぶらしてきます
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