お気楽忍者のブログ 弐の巻

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旧東海道関宿 関地蔵院

2022年11月11日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

関宿の中心にある地蔵院なるお寺にやって来ました。

九關山寶藏寺 關地藏院は天平13年(741年)に奈良東大寺の僧 行基が諸国で流行した天然痘から人々を救うためにこの関の地に地蔵菩薩を安置したことが始まりと伝えられています。

本堂(重要文化財)

本尊の地蔵菩薩像は日本で最古の地蔵菩薩なんだそうです。

「関のお地蔵さん」の名で親しまれ、古くから東海道を旅する人々の信仰も集めてきました。

鐘楼は寛永22年(1644年)の建立で国の重要文化財に指定されてます。

この関地蔵院にはあの一休さんにまつわる逸話も残ってます。

修繕をした地蔵菩薩の開眼供養をしてほしいと考えていた村人たちが、関宿を通りかかった一休和尚に頼んだところ快く引き受けてくれました。しかし、一休和尚は「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ いでぬ間の かかるうき世に 目あかしめ地蔵」と詠み、立小便をして立ち去ってしまいました。

これに怒った村人たちは別の僧に開眼供養をやり直してもらいましたが、その晩、高熱を出したある村人の夢枕に地蔵が立ち、供養を元のようにせよと命じました。あわてて桑名の宿にいた一休和尚に助けを求めると、地蔵の首にかけるようにと古びた下帯を手渡され、言われたとおりにしたところ、高熱は下がったといいます(亀山市観光協会HPより引用)。

一休和尚は開眼供養をしなかったのでは無く、詠んだ歌には「釈迦が人々を救った時代は過ぎ、弥勒菩薩はまだ現世に現れない今、末法の世を救うのは地蔵菩薩だけである。どうぞ眼を開けて下さい」という意味がありました。

釈迦入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が現れるまで現世に仏が不在となるため、その間に人々を救うのが地蔵菩薩と云われてますからね。

愛染堂

愛染堂は元禄13年(1700年)に地蔵堂から新しい本堂に地蔵菩薩が移されたあとに愛染明王が祀られたのでそう呼ばれるようになりました。鎌倉室町期の建築様式が見られ、昭和25年に国の重要文化財となりました。

つづく

過去記事<関まちなみ資料館

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