2021年の行楽の記録をダイジェストで再録します。
京都霊山護国神社の参道から京都タワーと五重塔が見えました。
2021年2月 翠紅館(すいこうかん)跡(京都府京都市東山区)
都を見渡せる眺望の良い場所にある翠紅館は西本願寺の別邸で、幕末期にはしばしば勤王の志士たちの会合にも使われました。
文久3年(1863年)には土佐の武市半平太、長州の井上聞多、久坂玄瑞が会談し、別の日には長州の桂小五郎、久留米の真木和泉守らも集まり、尊王攘夷運動の機運が高まっていきました。
二年坂(二寧坂)(京都府京都市東山区)
霊山護国神社の大鳥居の前を南に入ると、そこは二年坂(二寧坂)。
京都を代表する観光名所で、石畳の道にお土産物店や飲食店が並ぶ清水寺に通じる参道です。
陶器屋さんや和傘屋さんもいい雰囲気の店構えですね。
平日の午前中でもあり、観光客はまばらで、開いていないお店も多く感じました。
コロナで休業しているお店もたくさんあったんだろうなと思います。
二年坂(二寧坂)は大同2年(807年)に道が整備されたことからこの名前になったという説や三年坂(産寧坂)の下に位置するから二年坂(二寧坂)になったという説などがあるそうです。
三年坂(産寧坂)(京都府京都市東山区)
二年坂(二寧坂)の石段を上がると三年坂(産寧坂)に出ました。
北政所ねねが子宝祈願のため清水寺にお参りしたことから、産念が転じて三年坂(産寧坂)になったとも言われてます。
時間の関係で清水寺までは行かず、山を下りる途中、東大路通に出る坂道からは八坂の塔(法観寺)を望むことができました。
臨済宗建仁寺派 大椿山 六道珍皇寺(京都府京都市東山区)
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の創建は延暦年間(782-805年)とされ、開基は奈良大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされています。
平安京の墓地だった鳥辺野に至る道だったことから、この周辺は六道の辻と云われていました。
六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六種の冥界を指し、人は因果応報により死後はこの六道を輪廻転生するという仏教の教義ですね。
そう、まさにここは現世と冥界の境(辻)と考えられていた場所で、一度訪れてみたいと思っていました。
本尊の薬師如来像を祀る本堂。
あの世への入り口 六道の辻。
境内にある閻魔堂(篁堂)はこの寺に伝わる不思議な伝説を伝えるお堂です。
中には迫力のある閻魔王像が安置されていました。
そして、小野篁(おののたかむら)の像。
小野篁は平安時代初期、嵯峨天皇の朝廷に仕えた役人で、文武両道に優れた人物だったそうですが、かなり自由奔放な性格だったようで奇行も多かったとされてます。
また、小野篁は閻魔王宮の役人とも云われ、昼は朝廷役人、夜は閻魔庁で閻魔王の助手を務めていたという伝説があります。今で言う副業サラリーマンですね(笑)
本堂裏手の庭園には小野篁が冥界の閻魔庁へ出勤するのに使ったという井戸(冥土通いの井戸)がありました。
また、2011年には隣接する民有地(旧境内)で井戸が見つかり、伝説にある篁が冥界から帰ってくる時に使ったと云われる黄泉がえりの井戸ではないかと考えられてます。
つづく
過去記事<Memories of vacations in 2021(2)>
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