「山口 萩」
関ヶ原の合戦において西軍側にいた毛利家は徳川家康によって山口の領土を取り上げられ、移った場所がこの萩です。それから二百五十年を経て、明治維新の際には多くの維新の獅子を輩出し、彼らは日本の近代化に努めました。そのため、市内のあちこちに銅像が立ち、歴史的人物の縁の地があります。中でも、特に指導的な役割を果たした吉田松陰の松下村塾は、松陰神社の境内に残されていて、季節を問わず多くの観光客で賑わっています。
武家屋敷地区では、映画撮影用のセットのように高杉晋作、田中義一、木戸孝允の旧宅が並ぶ様はまさに壮観。武家屋敷が残る小京都は多いですが、これだけの歴史の偉人が並ぶのは萩ならではのことです。これらの武家屋敷の塀が美しく映えるのは五月の初旬、夏みかんのある景色です。元々は、生活に苦しむ下級武士を救済するために始まった夏みかんの栽培が、今も武家屋敷の塀の上から実を付けている様子を見ることができます。
萩の町は、天然の要塞のように萩城島が日本海と橋本川、そして運河に囲まれており、また、鍵曲(かいまがり)と呼ばれる敵軍の進路を妨害する見通しのきかない屈折して曲がる道路を見ることができます。
=山口県の小京都・萩市の観光ポイント=
「女性に人気」の観光地
江戸時代からの「城下町」
萩城城下町
萩城城下町は国の史跡に指定されており、町筋は碁盤目状に画され、武家屋敷や町屋が軒を連ねていました。今も町筋がそのまま残り、往時の面影をとどめています。菊屋横町、伊勢屋横町、江戸屋横町と呼ばれている小路があり、萩藩御用達の菊屋家住宅、また高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅、青木周弼旧宅やなまこ壁の土蔵、門、土塀などが立ち並んでいます。平成27年に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として、世界文化遺産登録されました。
時代を超えて「武家屋敷」が残る
*https://www.little-kyoto.com/yamaguchi/hagi.html より
*https://shokyoto.jp/ml/ja/sub/yamaguchi_hagi より
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