ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

獅子身中の虫を辿る - 2 ( 類は友を呼ぶ )

2016-09-09 21:10:48 | 徒然の記

   新聞記事で初めて知った、小田氏の細君の名前だった。玄順恵 ( ヒョン・スンヒェ ) 氏は、昭和28年に神戸で生まれ、今年63才だ。両親は、戦前に済州島から来た密航者だった。

 最初は朝鮮籍だったが、後に韓国籍になった。結婚後に名前を変えていないところからすると、帰化はしていないようだ。水墨画家として有名らしいので、日本での生活は経済的には問題なしというところか。

 しかし彼女の意見は、問題だらけだ。小田氏の妻君だけあり、日本を非難することにおいては負けていない。安倍総理の「美しい国」への批判だ。

 「ナショナリズムは、社会が重大な変化を迎えたり、人々が不安になっている時に現れ、権力者が恣意的に利用する。こんな時は、冷静にならなくてはいけない。」

 言論の自由も、職業選択の自由も、国内移動の自由すら奪っている、北朝鮮の国籍だった人間が、何を言うのかと言いたくなる。 北朝鮮を礼賛した夫の小田氏と、似た者夫婦だ。

 こんな批判は北朝鮮へ行き、金日成の銅像の前ででもすれば良い。ナショナリズムを朝から晩まで、年から年中煽り立てているのは、貴方の母国ではないか。多くの日本人は、安倍総理の「美しい国」発言で、初めてナショナリズムに目覚めたのではない。

 韓国か北朝鮮か、彼女の母国がいずれなのか知らないが、国民を拉致した無法国家北朝鮮への怒りと、ありもしない慰安婦問題で難癖をつけ、日本の歴史とご先祖様を貶めた韓国への怒りが、目覚めさせたのだ。

 見当違いの批判をする彼女に賛同し、日本叩きに参加する虫の仲間がいる。

 瀬戸内寂聴氏と澤地久枝氏だ。吉永小百合氏は、平和憲法を死んでも守れという共産党の広告塔だったし、岸惠子氏は小田実氏の心酔者だった。「類は友を呼ぶ」という言葉の通り、小田氏の周囲には「獅子身中の虫」がうごめく巣がある。以前は「ベ平連」だったが、今は「九条の会」だ。

 現憲法を平和の法典と崇めたて、他国の攻撃で日本が滅びても、「憲法を守れ」というたわ言の会だ。九条だからとふざけているのか、9人の呼びかけ人が名前を連ねている。

 井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の各氏だ。名の売れた作家や哲学者、法律学者、果ては元首相の夫人までいる。どんなに著名でも、権勢家であっても、国民は騙されてはならない。こうした人物はまごうかたなき「獅子身中の虫」であり、害虫の仲間だ。全国の「お花畑」の住民たちが、虫たちの外見に惑わされ、今では日本の各地に「九条の会」が作られている。

 面倒なので詳しく調べていないが、県単位か市単位にか、「京都九条の会」「福岡九条の会」「熊本九条の会」と、空恐ろしくなるほど全国展開している。どこから運営費が出ているのか、網の目のように張り巡らされた虫のネットワークを知るだけでも、虫退治が簡単でないと分かる。

 「映画人の九条の会」というものもあり、山田洋次、羽田澄子、降旗康男、堀北昌子、小山内美江子、大林宣彦の各氏がいる。「九条の会」は平成16年に、9人の呼びかけ人により創立されたが、元々の会は米国にある。

 こちらの正式名称は「第九条の会」と言い、平成3年に米国人チャールズ・オービー氏が創設している。氏はB29の元パイロットで、オハイオ大学の名誉教授だ。同会の設立の経緯があるので、紹介する。

 「昭和56年、氏は広島平和記念資料館を訪れ、原爆の悲惨さに驚くとともに、日本国憲法第九条の理念に感銘を受け、「第九条の会」を創立した。」

 氏も玄順恵 ( ヒョン・スンヒェ ) 氏同様、おかしな思考をする人物だ。原爆の悲惨さに驚いたのなら、アメリカへ帰り反核運動をすれば良いのだ。広島へ来て、なぜ憲法九条を知ったのか、どうして九条と原爆を結びつけたのか。思考回路に疑問を抱く。

 現在は日本カトリック教の司教までが、「九条にノーベル平和賞を」などと、訳のわからない運動を起こし、美智子様がこの司教と親しくされていると聞く。

 「九条の会」の呼びかけ人の中にいる、鶴見俊介氏の姉は、鶴見和子という社会学者だ。氏は平成18年に、88才でなくなっている。中国人や韓国人でないから、死者に鞭打つことをしたくないので、和子氏については触れずにおきたかった。しかし小田氏と妻の玄順恵氏の言葉を思うと、その得手勝手な意見がどれほど国内の害虫育成にの栄養となっているか、彼らの侮れない存在と恐ろしさを、何も知らない人々に伝えたくなった。

 だから、鶴見和子氏について少しだけ説明する。

 「氏は社会科学者として著名で、上智大学の名誉教授をしていた元共産党員だった。母方の叔父は後藤新平氏で、上流階級の一員だったせいか、美智子様と親しい間柄で、おつき合いもされていた。」

 つまり私の言う「獅子身中の虫」とは、ブログで紹介した全ての人物のことであり、覚悟をしなくては語れない人々のことだ。虫退治の困難さの一端が、見えたのでないかと思う。戦後70年かかって繁殖した虫は、70年以上かけて駆除する覚悟がいる。物理的障碍は目に見えるが、「害虫の思想」はぼんやりした人間には見えない。

 一つだけ希望があるのは、私の住む国が日本であるということだ。中国や北朝鮮なら、「ミミズの戯言」のブログ主は、即刻逮捕、監獄行き、即拷問、即処刑だろう。これだけでも日本は有り難く、感謝せずにおれない国だ。

 戦後70年、反日左翼の虫たちに攻撃され、足蹴にされても黙って耐え、国民を守ってきた日本という国のため、この虫たちの勝手な主張が許せなくなる。政府と自衛隊に守られながら、敵対する国のために活動する彼らを黙認して良いはずがない。

コメント (7)
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獅子身中の虫を辿る ( 共産党、朝日新聞、NHKと政治家 )

2016-09-09 18:08:26 | 徒然の記

 私はブログの中で、「獅子身中の虫」、「駆除すべき害虫」という言葉をしばしば使っている。

 左翼のように、やみくもに並べている軽い言葉と、勘違いしている人がいるのかも知れない。本日は、虫たちが、どのような姿で国内に生息しているかを紹介することで、害虫駆除の困難さを、私が軽々しく口にしているのでない証としたい。

 GHQ内にいた米国の左翼主義者たちが、日本の刑務所の中の共産党員を釈放して以来、敗戦後70年間に、国内での生息地を拡大したのが「獅子身中の虫」だ。天皇陛下の「お言葉」騒ぎに時間を取られ。すっかり遅れてしまったが、害虫駆除の困難さを痛感したのは、千葉日報の7月8日の記事だった。

 小田実氏の碑の除幕式が兵庫県芦屋市で行われ、妻の玄順恵 (ヒョン・スンヒェ) 氏が挨拶をしたという記事だ。

 平和運動で知られた小田氏の言葉を、後世に伝えるための碑とのことだった。昭和36年に出版された氏の著書『なんでも見てやろう』は、その年のうちに60版が出され、大ベストセラーになった。フルブライト留学生だった氏が、米国からの帰途、貧乏旅行をした思い出を綴った本だ。
 
 貧しかった日本が、厳しい為替管理をしていたため、誰もが自由に海外へ出られなかった時代の話だ。私もその一人だったが、「海外へ出て、なんでも見て来たい。」と多くの若者がすうずうずしていたから、氏の本が超ベストセラーになったという背景がある。
 
 私もそんな若者の一人だったが、今は冷めた目で氏を眺めている。というより、獅子身中の虫の一人として、嫌悪さえ感じている。昭和51年に、氏は朝鮮総連の世話で北朝鮮を訪問し、『私と北朝鮮』を出版した。
 
 「北朝鮮には、あの悪魔の如き税金がない。」と賞賛し、「食料はほとんど完全に自給自足できる国だ。」と感嘆した。
 
 税収なしで国が成り立たないという、基本知識の欠如した氏は、北朝鮮が別の形で税を調達していることに気づかなかった。自給自足している国が、どうして食料品という性格必需品を、厳格な配給制度しているのかにも疑問を抱かなかった。独裁者金日成の国を目にしても、圧政政治の片鱗さえ感じ取れなかった。
 
 「北朝鮮の社会を見ていると、それはあたかも働き者の一家で、みんなが懸命に働いていて、一家の頂に〈 アポジ  ( おやじ  ) 〉として、金日成さんがいる感じだ。」と、能天気な印象を述べていた。昭和60年に氏は、雑誌のインタビューで次のように語った。
 
 「北朝鮮は、ものすごい管理体制の中で蓄積しているから、去年くらいから、もの凄く豊かになった。」「これから韓国との差が、もの凄く出てくる。」
 
 昭和59年には、朝日新聞の入江特派員が、次のような記事を日本へ送った。
 
 「北朝鮮の経済建設のテンポは、もの凄く早い。」「鉄、電力、セメント、化学肥料や穀物の、一人当たり生産高は日本を凌ぐと政府は言っている。」「深夜の街で、酔っ払いなど一人も見かけない。」「深夜の街を歩いているのは、夜勤へと急ぐ労働者だけだ。」
 
 少し前になるが、昭和33年には、NHKの解説委員だった寺尾五郎氏が、次のような手放しの礼賛をした。
 
 「昭和61年になれば、一人当たり生産額で北朝鮮が日本を抜く。日本が東洋一の工業国だと自負していられるのは、せいぜい今年か、来年のうちだけである。」
 
 ちなみに寺尾氏は共産党の幹部で、宮本顕治氏の秘書みたいなこともしていた。
 
 共産党、朝日新聞、NHKは、こんな昔から親北・反日路線でしたから、左翼かぶれの若い小田氏が北朝鮮にもてなされ、宣伝に惑わされても不思議はない。
 
 許せないのは、小田氏のみならず、名前を挙げた人物たちが北朝鮮に丸め込まれ、利敵行為に加担したことだ。どんな便宜を図ってもらったのか知らないが、昭和50年代といえば、拉致被害者のニュースが少しずつ流れていた頃だ。
 
 彼らは、金日成の独裁国家の称賛を優先して、拉致被害者を無視し、被害者家族を見捨てる人間たちに手を貸した。
 
 「北朝鮮が、そんなことをするはずがない。」「悪意のでっち上げだ。」「拉致の十人より、北朝鮮との国交回復が先だ。」
 
 被害者の救済を忘れ自国民をないがしろにし、北朝鮮の大嘘を信じたのは、社会党の土井委員長だけでなく、自民党の野中広務、加藤紘一氏も同類だった。小泉首相が訪朝し、金正日が拉致を認めた以後、彼らは沈黙しているが立派な虫の仲間だ。
 
 マスコミの寵児だった小田氏は、現在に続く、北朝鮮親派の育ての親の一人だ。未だに、こうして除幕式の様子が記事にされるのだから、氏の蒔いた虫の卵の拡散度合いが、いかに大きかったかが推し量られる。
 
 これからが本論なのに、前置きが長くなってしまった。 序論を長くして、本論を端折ることはできないから、いったんここで終わるとしよう。
 
 今でも日本からの救いを待っている、多数の拉致被害者のことを思えば、疲れたなどと言っておれない。高齢で疲れたと、そんな贅沢が許されるのは、日本国では、天皇陛下ただお一人だ。
 
  (それにしても、あれほど国民に寄り添うと言われている陛下と、美智子様が、拉致被害者の悲惨さにはなぜ関心を示されないのだろう。) 
 
 頑迷固陋な保守の人間から、不敬と言われると困るので、心の中だけでする独り言だ。
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