ねこ庭の独り言

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『大東亜戦争肯定論 』- 4 ( 徳川慶喜 )

2016-11-08 14:08:34 | 徒然の記

 最後の将軍だった徳川慶喜が大政奉還をしたことを、日本史の授業で習った。先生からは説明もなく、ただ歴史の事実として教わった。中学生の時も高校生になってからも、日本史の授業は無味乾燥だった。

 「慶応三年、1867年、慶喜が大政奉還。」と、期末試験のため機械的に暗記した。しかし林氏の本で、詳しい背景を教えられ感銘を受けた。大政奉還に限らないが、学校での日本史の授業は魂の抜けた、試験のための知識の切り売りでしかなかった。

 慶喜が大阪から江戸城へ戻ってくると、仏国公使ロッシュが謁見を乞うてきた。彼は慶喜に再挙を勧め、軍艦、武器、資金は、すべて、フランスから供給すると言った。慶喜はこれを拒絶し、逆に彼を諭している。

   ・わが方の風として、朝廷の命として兵を指揮する時は百令ことごとく行わる。

  ・たとい今日、公卿大名の輩より申し出たる事なりとも、勅命には、違反しがたき国風なり。されば今兵を交えて、この方勝利を得たりとも、万万一天朝をあやまたば、末代まで朝敵の悪名をまぬがれがたし。

  ・さすれば昨日まで、当家に志を尽くしたる大名も皆勅命に従わんは、明らかなり。

  ・よし従来の情誼によりて当家に加担する者ありとも、国内各地に戦争起こりて、三百年前の如き兵乱の世となり、万民その害を受けん。

  ・これ最も、余が忍びざるところなり。

 氏は、明治維新期における慶喜の苦衷を見落としてはならないと語る。勝海舟に比して、慶喜は愚者だったという風説もあるが、大政奉還の発案者が誰であったにしても、これを採用し実行するのは真の賢者にして始めてなしうるのだ、と述べている。

 幕府にはフランスの援助を当てにする者もいたが、慶喜が最後に、自らの判断で拒絶した点が重要なのだと氏が言う。仏公使ロッシュに向かい、慶喜が語った言葉を知れば、誰が彼を暗愚の将軍と言うだろう。戦乱を避け、泰然と決断した将軍の姿に、敬意と感謝の念を覚える。

 慶喜の決断が戦乱の世になるのを避けさせ、英仏の植民地へなることを防止したと知れば、現在の私たちがあるのはその決断のお陰でないか。

 時を同じくして西郷隆盛が、英国の外交官アーネスト・サトーから、熱心な提案を受ける。幕府はフランスと深く結びいているから、このまま放置していると幕府が諸侯を攻撃してくる。幕府とフランスの奸計に対抗できる強国は、英国しかないから、薩摩が英国と手を結んでおく必要がある。

 もしフランスの援兵が幕府を助けたら、英国は同数の援兵を薩摩に出す。サトーにこう言われた西郷が、なんと答えたか。将軍慶喜に匹敵する、日本の武士の言葉だった。

   ・日本の国体を立て貫いて参ることにつき、外国人に相談するような 面皮 ( めんぴ ) は、持ち合わせては居ない。

 ・このところは、われわれ日本人で十分、合い尽くすゆえ、よろしくご賢察あれ。

 ここで西郷が、うっかり提案を受け入れていたら英国に借りができ、やがて言われるがままの従属国になったと、林氏が語る。

 古い文書や記録を丹念に集め、私の知らなかったご先祖の言葉を、分かりやすい現代語にしてくれる氏を、中間小説作家などと軽視していた自分を恥じる。 

  ・今日西洋事情を説き、西洋を知っていると自認している者たちは、わずかに西洋の一端を見てその盛衰の歴史を知らぬ。

  ・彼らが強盛になったのは、過去にその理由がある。日本が内政の改革を怠り、現状のままで西洋文明の既に出来あがったものを、居ながらにして学ぼうとするのは大きな間違いである。

 氏が教えてくれた高杉晋作の言葉だが、維新の折の指導者たちの偉さをしみじみと知らされる。昭和53年に、鄧小平が日本を訪れた時のことを私は思い出す。

 彼は新幹線に乗って驚き、製鉄所を視察して驚嘆し、家電メーカーの工場を見て賞賛した。そして政治家や経済界の人間に、そっくり同じ設備を中国で作って欲しいと頼んだ。

  ・我々は急いでいる。一刻も早く近代化しなくてならない。同じものを中国へ持って来れば、後はもう、動かすだけだ。

 その時私は、この中国の権力者の言葉をかすかな軽蔑をもって聞いた。どんな立派な設備を持ち帰ろうと、それを動かす人間の教育ができていなければ、宝の持腐れだろうにと・・。

 拙速主義が災いし、38年経った今でも中国は杜撰な工場経営しかできず、公害を撒き散らし、粗悪品を世界へ輸出している。結局は、相変わらず国民を弾圧する国家から脱却できていない。鄧小平が高杉晋作ほどの見識があれば、中国の近代化が進み、国民の自由と幸福が進化していただろうにと思ったりする。

 日本は外見だけのモノマネをしたと、当時の西欧諸国は思ったかもしれないが、日本の指導者たちには、ものごとの本質を認識する力があった。一人や二人でなく、身分の上下を問わず、国内のあちこちにいたことを、氏の著作が教えてくれた。これは既に小説家が片手間にやる仕事でなく、歴史家としての立派な研究だ。

 この書は多くの人にもっと読まれるべきであり、特に若い人々に読まれるべきだ。自分は若い時に読まず、年を取ってから勝手なことを言うのだが、昔から老人はそんなものだ。自分のことを棚にあげ、偉そうに言う言葉も決まっている。

 「まったくもう、今どきの若いもんときたら。」

 私は謙虚なので若者に文句を言わないが、林氏の著作だけは「読んでもらいたい。」と思う。

コメント (2)
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