右翼という言葉は、現在の日本でひどく嫌われている。嫌われるだけでなく、嫌悪され否定され、時には犯罪者の別名であるかのごとく語られる。
黒竜会の内田良平、玄洋社の頭山満など名前を聞くだけで身構えてしまうが、徳富蘇峰や岡倉天心も右翼として語られるのを知って以来、右翼とはいったい何かという疑問がずっと消えなくなった。
敗戦後の日本は、日の丸と君が代を大切にする者をみんな右翼として否定して来たのだから、ずいぶん乱暴な話だ。
二日前のブログで取り上げたが、戦後の日本では、歴史を捻じ曲げるため、米国によるライシャワー路線と、中国が主張する毛沢東路線、とソ連のスターリン路線が三つも重なり合い活動していた。国の歴史を客観的に捉える路線は一つもなく、寄ってたかって日本蔑視と憎しみの解釈を世間に普及させた。
その結果、真面目に過去を振り返り、国の歴史や祖先を見直そうとする者までが、十把一絡げで右翼の範疇に入れられる。お花畑の住民として育てられた日本人たちが、愛国の保守を攻撃し、軍国主義者や反動だと言ってののしる。穏健な私でさえ、いつの間にやら右翼の一員に数えられている。嘆かわしい限りの日本だ。
この問題を林氏が正面から取り上げているので正座して読んでいる。
・日本の右翼運動をファッシズムだと最初に規定したのは、どこの誰であるのか、私は知らない。だがどう考えてもこれは無理な試みだ。少なくとも学問的とは言えない。
・日本の右翼運動の歴史は、ファッシズムとナチズムよりはるかに古い。幕末維新の時代を省略しても、ムッソリーニとヒトラーの運動より、半世紀ほど昔から始まっている。
・北一輝の『国体論及び純正社会主義』は、明治39 ( 1906 ) 年に書かれているし、内田良平の黒竜会創立は、明治33 ( 1900 ) 年であり、明治10年に、平岡浩太郎と頭山満が創立した玄洋社が、自由民権主義から「大アジア主義」に転向したのは、明治20 ( 1887 ) 年である。」
・これに対しヒトラーの政権獲得は、昭和8 (1 933 ) 年であり、ムッソリーニのローマ進撃は、大正11 ( 1922 ) 年である。
・年代的に見ても、日本の右翼運動は彼らの運動よりはるかに古く、明らかに異質のものであり、彼らの思想とも無関係であったと見るのが、正当な解釈だろう。
・イタリアのファッショ党もドイツのナチス党も、最初から政権の奪取を目的とする政党であったが、日本の右翼運動は政権を奪うため政党を組織したことはない。
・右翼はいつも、在野の浪人団として政治の裏側と陰で動いていた。
・我われは、古屋敷を打ち壊すだけだ。新しい家の建築は他の者がやってくれると、若い頃の吉田松陰と、全く同じ言葉を吐くのが常であった。
・つまり日本には、ムッソリーニ流のファッシズムもヒトラー流のナチズムもなかった。ただ百年の歴史を持つ、右翼運動があった。
・彼らの主張は、「東亜百年戦争」の見地からする主戦論であるから、平和を願う政府や政党としばしば衝突した。
・彼らは脅し、時には暗殺した。彼らの暗殺方法は、「一人一殺主義」であり、ナチス流の大量虐殺ではない。説得性のある統一理論や、国民大衆の支持も必要としていない。
・これについて、戦勝国民主主義に追随した進歩的学者諸氏が次のように反論する。
・政権奪取を目的としないファッシズムは、ありえない。にもかかわらず、日本の右翼は政権を狙うことなく、政府を脅迫しつつ、「 天皇制」ファッシズムなる日本独特の政治形態を完成し、独伊と同盟して世界の民主主義国 に挑戦した。
・馬鹿げた理論である。第一次世界大戦で、日本は民主主義諸国側に立ったが、その時の日本が、「天皇制デモクラシー国家」であったとでも言うのか。
・日本の右翼人たちは、明治以来一度も政権の座に座ったことはない。常に民間にいて、日陰の存在であった。徳富蘇峰の如きは、むしろ例外である。
・玄洋社の頭山満翁と、黒竜会の内田良平が官途についたことを私は知らぬ。宮崎滔天をはじめとする、『東亜先覚士伝』中の数百人の右翼人はすべて生涯浪人であった。
・陸羯南は一記者にすぎず、岡倉天心はアメリカへ去り、大川周明も北一輝もともに浪人学者である。
・どんな団体にも屑はつき物だ。右翼に限らず、左翼団体の中にも屑がいる。聖なるべき宗教団体にさえも例外ではない。
・とくに戦争中の左翼運動退廃期には、主義と党名を旗印にしたゆすり、たかりの常習訪問者に手を焼いた会社や、文士諸君は少なくなかった。
・徳田球一氏がロシアからもらった資金を懐に入れるか、用途不明のまま私消した事実は、尾崎士郎氏その他の諸氏の著書によって有名である。
・私の所論は、右翼を弁護しすぎているように聞こえるかもしれぬがそんなつもりはない。現在流布されている右翼の悪評は、責任の大半が、右翼自身にあることを私は認める。
・だが多くの右翼の虚像が、日本ナショナリズムの理解の著しい障害となっているため、できるだけ 「右翼の真像」に近い物を、描き出そうとしただけである。
詳細をだいぶ省略したが、氏の主張の概要は紹介した。これ以上を望むなら、西郷隆盛、高杉晋作、吉田松陰など、幕末以来の先人の書を自ら読むしかあるまい。右翼の源流が幕末に発していることを忘れなければ、林氏の意見の大半を理解したと思って良いはずだ。
たとえ屑のように見える右翼がいても、その者が下記の主義に立っている限り、どんなに著名な左翼より数段人間が上だ。最後のおまけとして、林氏が教えてくれた「玄洋社の憲則三条」を紹介しておきたい。
第一条 皇室を敬愛すべし
第二条 本国を愛重すべし。
第三条 人民の権利を固守すべし。
何度でも言おう。
自分の国を憎み、敵対国に魂を売った左翼政治家や活動家は、右翼の足元にも及ばない屑だ。彼らは、敗戦後に発生した「獅子身中の虫」であり、「駆除すべき害虫」でしかない。