不平等条約を撤廃するため文明開化した日本を諸外国に見せ、同時に日本の西欧化を促進しようと鹿鳴館で舞踏会が催されたと、その程度のことは知っていた。
林氏の著作が、自分の中にある乏しい知識に血を通わせてくれた。
・明治4年、米国と欧州の列強を前に、条約改正の糸口すら掴めなかった政府要人たちは、明治13年に鹿鳴館を起工し、3年をかけて完成した。
・落成祝賀会には、諸親王、諸大臣、各国公使、その他内外の紳士淑女1,200名が集まった。
・井上馨が外務卿として条約改正の衝に当ったのが、この有名な鹿鳴館時代である。
・賓客の席次、婦人への作法、男女の服装、果ては化粧のことまで、『内外交際宴会礼式』として編纂され、その習熟と準備が鹿鳴館竣工の二年前から行われた。
・井上と伊藤の応化主義、とくに夜会と舞踏会は驕奢を競い、淫逸を追う廃頽的行事として世論の攻撃を受け、ついに勝海舟の抗議、建白書を生むに至った。
・だが井上馨はいかなる非難にも屈せず、次のように演説した
「欧米列国に日本を知らるるのは、甚だ稀なり。」
「 日本はいかなる国かと問えば、支那の属国なりと思い、あるいは、朝鮮の一部落と考うるごとき、妄想をいだく者もあり。」
「欧米人をして、日本の地理、風土、人情、物産等々、詳悉せしめる時、ここにおいて始めて、外国と対等の交際をなすに至るなり。」
・彼のあらゆる努力にかかわらず、改正作業は進展せず、とくに英国の強硬な態度が立ちはだかった。
・各国は多少の譲歩を示すがごとき態度をとりながら、実は一歩も譲らなかった。
・これに対して井上は、外国人裁判官の雇用という妥協策を持ち出した。
・秘密交渉の内容が政府高官に漏れ、ついで民間に伝わった。これに対し、政府の法律顧問であったフランス人ボアソナードが、反対意見を述べた。
・日本は維新以来多数の外国人を雇ったが、それはただの顧問又は教師であった。外国人を裁判所に官吏として入れることは、日本の司法権が外国の支配下におかれる恐れがある。
・国民の怒りを買い、いかなる変動を引き起こすやも知れぬ。
・ボアソナードの意見は正論であり、そうでなくとも鹿鳴館による欧化主義は、国民の反感を挑発していたから、国粋感情を結晶させた。
・新聞はこぞって井上の国辱改正案を攻撃し、自由党の壮士は大挙して元老院、各国公使館へ押しかけた。
・反対運動は政府内にも起こり、陸軍の鳥尾小弥太、三浦梧楼、外務省の小村寿太郎などが先頭に立ち、杉浦重剛らの学者と結んで世論を煽った。
・欧州視察から戻ってきた土佐の硬骨漢谷干城が、反対運動に同調し、激烈な意見書を伊藤に提出したため、混乱と騒動が倍加した。
・伊藤の対応に激怒した谷は、単身天皇に謁見して意見を述べ、農商務大臣の辞表を提出した。板垣退助も、二万語に及ぶ意見書を天皇に提出した。
・勝海舟、ボアソナード、谷、板垣の意見書は秘密に印刷されて、全国に流され、有志、青年、学生たちに争って読まれた。さすがの伊藤博文もついに屈服し、井上を辞職せしめ、自らが外務大臣を兼職した。
・井上の後を継ぎ外務大臣となって衝に当ったのは、大隈重信だったが、彼もまた井上と同一条件の下で、苦心を重ねた。
・彼が直面したのは列強の同じ強硬態度であり、同じ国民の反撃だった。大隈は、鹿鳴館式舞踏政策は取らなかったが、井上同様列強へ信義を求めた。しかし在野人の信念は、日本の国権は列強への抵抗を通じてのみ確保され、伸張されるというものだった。
・大隈の改正案が民間に漏れると同時に、井上に対する時以上の猛反対を巻き起こし、ついに大隈は、玄洋社員来島垣喜の爆弾によって片足を失った。内閣は総辞職し、欧化主義外交による条約改正は中止された。
林氏が一連の外交交渉失敗の原因を、章の締めくくりで述べているが、この意見には平成の今日でも変わらない重みがある。軍隊がなく軍備に頼らなくても、外交努力を重ねれば国際問題が解決できるという、理想主義者への警告だ。
他国も同じ人間だから議論を尽くせば分かり合えると、彼らは少年のように主張するが、果たして現実はそんなものだろうか。
話せば分かるという誠意を信じることは立派でも、国際社会で簡単に通じると考えるようでは、国を守る政治家にはなれない。
・私に言わせれば、井上を失脚させ、大隈の隻脚を失わせたものは、必ずしも民論の反対のみではない。真因は、安政の不平等条約をあくまで固守する、欧米列国の強圧であった。
・政府当路者は外交的交渉と術策により 、漸進的に改正できると考えたが、これは甘い夢であり、岡倉天心の言葉通り だった。
〈 岡倉天心の言葉 〉
・不平等条約の改正には、シンガポール沖における英国東洋艦隊の撃滅のほかに方策は無かったのだ。
だから林氏は、次のように断言する。
・彼らを失脚させたのは、必ずしも日本主義者や右翼や軍部ではなく、むしろ西洋植民地主義者とアジア征服者の中に友人を求めようとした、欧化的思考であったと思う。
むき出しの個人のエゴが醜いように、身勝手な国のエゴも同様に醜い。エゴは食欲や性欲と同様人間の根源的な衝動で、未来永劫人間とともに存在する。このことを知るところから現実的政治が生まれると、氏の著書を通じて教えられた気がする。
歴史の事実は、単純な善悪の物差しだけで計れない。国益のエゴを通して眺めれば、国の数だけ善があり悪がある。国際社会で幅を効かせるのは強者の意見であり、弱者は常に口をつぐんでいる。
国益を実現するためには、いつの時代でも国は戦わなくてならない。強いもの同士であれば、互いが破滅することは避けたいというエゴが働くから、そこに妥協が生まれる。
だから国を愛する人間は、国防と安全を第一考える。守りを固め、国民の意思が堅固な国を攻めようとする外国はいない。他国のエゴに無用な野心を生じさせないため、軍備と国民の勇気は悲惨な戦争を防止する有効な手段だ。
だから「ねこ庭」は、歴史を教えを無視し日本滅亡に手を貸す政党や政治家たちに反対する。「平和を守れ」「戦争反対」「人権を守れ」と言う反日左翼のレッテルを嫌悪する。
大江健三郎氏や鳥越俊太郎氏は、戦争の影くしか知らないはずのに、まるで体験者でもあるかのように大言を吐く。彼らは林氏の著作を読んでも、何も吸収しない。硬い象の皮膚みたいな、反日と憎悪の思想が魂を包んでいるから、他の意見を聞く耳を持てない。
林氏が切望しているように期待できるのは若い人たちなので、若者にこの本を読んでもらいたい。若者の中には、私の息子と孫たちが含まれる。だから私は、ブログを書き続ける。