寒い朝だ。しんしんと綿雪が降っている。11月に関東で雪が降るのは54年ぶりだと、テレビのニュースで聞いた。
林氏の著書を紹介しているが、追い詰められた日本が破局へ向かい、敗戦となった時、GHQに協力教授たちが歴史を改ざんするという、胃の痛むような部分に差し掛かっている。
厳しい寒気をもたらす季節はずれの雪は、林氏と私の気持に相応しい。長くなるが、氏の言葉を紹介する。
・大東亜戦争直前における、欧米列強の日本に対する経済封鎖は苛烈を極めた。
・米国は日本への石油輸出を禁止し、蘭印に石油を求めようとした日蘭商会も米英の圧力によって失敗した。
・ABCD経済封鎖網は、日本を身動きできなくするまで縛り上げた。
・最後の打開策として日米交渉に期待をかけ、これが駄目なら生きるため、必要な資源を武力で獲得するしかないところまで、追い詰められていた。
・そして日本は米国から、『ハルノート』を手交された。
・ここで私は、パール判事の「日本無罪論」に触れなければならぬ。
・パール博士はインド代表として東京裁判に臨み、この裁判が裁判という名に値せず、儀式化された復讐にすぎないことを立証し、全員無罪を主張したただ一人の判事である。
私は国際法についてよく知らないが、「法の不遡及」という原則は大学で習った。東京裁判では、「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」の条項を法的根拠にして、遡及すべからざる法を遡らせていた。
東京裁判では、A級、B級、C級という戦争犯罪が俄かに作られて日本人を裁いた。多くの人は A B C の順に、刑の重さが表されていると誤解しているが、これは単なる区分で、「 1 2 3 」と項目を分けるのと同じ分類記号である。
従ってどの級になっても、刑はすべて死刑だった。
A級・・平和に対する罪
B級・・人道に対する罪
C級・・(通常の)戦争犯罪
東京裁判が行われたのは、昭和21年から23年にかけての2年間だった。
「法律のないところに犯罪はなく、法律のないところに刑罰はない。」というのは世界法の常識だが、連合国は当時存在していなかった戦争犯罪方法を適用し、日本人を裁いた。
氏はこのことを指して、「遡るべからざる法を、遡らせてしまった」と述べている。
・東京裁判は、15年前の満州事変までさかのぼり、多数の戦犯を製造した。
・パール博士の抗議も、弁護人清瀬一郎の弁護も無視された。
・彼らは日本を明治維新以前の状態にまで押し戻すと宣言し、その通りを実行した。だから私は、大東亜戦争は「東亜百年戦争」の終局だという説を述べる。
氏の「東亜百年戦争論」が、理不尽な東京裁判への怒りから生まれたのを知った。
・はなはだ唐突かも知れぬが、この『押し戻し得ない歴史』の姿を、私は東京オリンピックの開会式のテレビで見た。
・ここにひるがえった国旗は、九十余、その三分の一近くは、大東亜戦争後の新興国であり、これに中共、インドネシア、北ベトナム、北朝鮮の国旗を加えて考えれば、私の言いたいことは理解していただけるであろう。
・オリンピクの祭典で驚くべき増加を示した新国旗は、帝国主義と植民地主義への弔旗であり、このことのため、日本の百年の苦闘が何ものをも貢献しなかったとは、歴史を読む者には言えないことだ。
氏の意見に対し、反日学者や文化人、反日・野党の政治家たちが激しい反論をしている。中国と韓国、北朝鮮も攻撃してくる。「歴史認識が足りない。」「過去の蛮行を忘れたか。」と、歴史を改ざんした反日国家が大騒ぎしている。
林氏の意見の根拠となる事例を、参考のため紹介する。マレーシアのマハティール首相が平成14年に訪日した折の講演会の話の一部だが、日本のマスコミは全く報道しなかった。
・日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は、模範にすべきものがなかっただろう。
・ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと、信じ続けただろう。
・これまで東アジアでは、高度な産業は無理だった。せいぜい質の劣る模造品を作るのが、開の山だった。
・したがって、現在西側が懸念するような「虎」や「竜」、すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業経済地域( N I E S )も、存在しなかっただろう。
・東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは、日本である。
日本を貶めることしか目的のない、反日のマスコミの姿がここにある。彼らは日本を誉めるアジアのリーダーたちの声を国民に伝えなかった。
・だから他の東アジア諸国も挑戦し、世界各国が驚くような成功をとげた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。
・もし日本がなかったら、世界は全く違う様相を呈していただろう。
・富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。
マハティール氏だったかどうかもう覚えていないが、次は東南アジアのある首相が日本について語った言葉だ。私は尊いものとして今も心に刻んでいる。
・日本はアジアのため、強大な欧米諸国と戦い、死力を尽くして戦争をしてくれた。日本はアジアの国にとって、母親のようなものだった。
・母は戦いに敗れ自らは倒れてしまったが、アジアの息子や娘たちは、解放された。白人たちの圧政から逃れ、独立を手に入れた。
金科玉条のものとして、これらの言葉を紹介しているのではない。先の大戦については、中国や韓国・北朝鮮の批判だけでなく、アジアに様々な意見があると言いたいだけだ。
だから私は東京裁判で裁かれた先人たちを、「A級戦犯」「戦争犯罪人」と言って貶めてはなるまいと思う。東條氏を含む7名の人々は、靖国神社がしているように「昭和殉難者」と呼ぶ方が正しいのではなかろうか。
美智子様は一度だけでなく二度三度、亡くなった人々を「A級戦犯」と無慈悲に呼ばれた。国民の敬愛の中心の皇室におられるのに、歴史もお調べにならず語られるお姿が見過ごせなくなる。
GHQに協力した教授たちの話は、次回にしたい。日本のため命を捧げられた先人と、反日の教授たちを同じブログ回で取り上げることを、今の私はしたくない。